D級京都観光案内 3
もう一つの小野篁と紫式部

 

 京都市紫野に船岡山という小高い丘がある。平安京に都が定められるとき北に玄武が宿る大岩があることが当時の地相学的に必要であったが、船岡山がその玄武であるとされた。ちなみに東の青竜は鴨川、南の朱雀は巨椋池そして西の白虎は山陰道であった。

 船岡山のすぐ南に内裏が作られたので、船岡山の西の一帯は右京のすぐ北のはずれであったが、時代が下ると右京はさびれ、しかも内裏がずっと東方に移動したものだからその一帯蓮台野は平安京の三大葬送地の一つとなった。

 かつてのメインストリート朱雀大路は葬送のための卒塔婆が林立しそこから千本通りと名を変えたのは前々回にも書いたとおりである。千手観音の手が千本あることと関係するのかしらと思ったりしていたが大違いなのだ。卒塔婆千本だったのだ。

 葬送の地には必ず小野篁が登場する。だって地獄で閻魔大王につかえていたのだから。鳥辺野にあった六道珍皇寺に小野篁と閻魔大王が祭られていた。今日は蓮台野の小野篁ゆかりの寺を訪ねよう。小野篁開基、本尊閻魔大王の引接寺(いんじょうじ)、通称千本ゑんま堂だ。

 京都南インターを降り、まっすぐ北上し東寺のところで大宮通に道を変え北上する。四条大宮で北西に進路をとる。交差点すぐの左手に餃子の王将1号店があるのを横目で見て、三条を過ぎると道はまた真北に向かう。ここが千本通りである。山陰線の二条駅前を過ぎ、千本丸太町の交差点のすぐそばの児童公園内に大極殿跡の石碑がある。さらに北に行くと水上勉の小説「五番町夕霧楼」の舞台になった色町五番町があり、その一角千本中立売には千中ミュージックというDX東寺、伏見ミュージックと並ぶ京都三大ストリップ劇場の一つがあったらしい。らしいなどとあいまいな表現になるのは、そこが健在だった昭和40年代、私は超真面目な理学部の学生だったから詳しくはないのである。後年自分が精神科医になると分かっていたらより良き診療をするために3つとも見物に行っていただろうが。

 寄り道はせずに千本今出川を越えしばらく行くと左手に目指す千本ゑんま堂がある。境内の雰囲気は京都の有名なお寺とはずいぶん違う。狭いというだけではない、何か庶民的雰囲気でちょっと雑然とした感じがする。原色の五色の幕が引かれ、赤い提灯がずらっと並び、「卒塔婆流しできます、流派を問いません」という大きな看板がかかっているせいだろうか。

本堂には中央に本尊閻魔法王がおり、両脇には検事役の司命尊と書記役の司録尊が控えている。参詣のしおりには「ゑんま様は地獄の支配者のように思われますが、実は人間界をつかさどる、私達に最も身近な仏様です。死んでしまった人間を、あの世のどこに送るかを決める裁判長の役目を担っています。人間を三悪道には行かせないため、怒りの表情で、地獄の恐ろしさを語り、嘘つきは舌を抜くと説いて下さるのです。」と書いてある。そうなのかゑんま様は仏の化身で我々を善導してくださるありがたい存在なのだ。

そして開基である小野篁卿尊像もある。本堂の裏に回ると、一杯地蔵さんが何列にも並んでいてその前に供養池という長方形のプールのようなところがある。お精霊迎えといって、あの世のご先祖さんが各家庭に帰ってくるのを水塔婆を流し迎え鐘を撞いてお待ちする習わしがあるのだ。卒塔婆を水に浮かすというのは三途の川を戻ってくるというイメージなのだろうが、私には小学生の時同級生の土葬に参列させられた生々しい葬儀と何かダブって、医者のくせにちょっと気分が悪くなりそうでその供養池の前をさっと通り過ぎてしまっていた。ずんずんと進むと高さ6mもある紫式部供養塔がある。南北朝時代に建立されたとの刻銘がある。十層からなるが、下の層には阿弥陀様とかが何体も彫られている。供養塔の横には新しい紫式部の像があるがちょっと蛇足という感じだ。

梵鐘もあり、迎え鐘・送り鐘の時に撞かれるのだ。さらに忘れてはいけない行事にゑんま堂狂言がある。京都の4大念仏狂言の一つで、壬生寺、清凉寺、神泉苑の念仏狂言が無声なのに対し、ここの狂言はセリフがあることが特徴なのだ。

ここでも御朱印をもらおうと寺務所に行くと、お守りやお札の横に「ゑんま様のお目こぼし」という有難そうなものが置いてある。お供え物の鏡餅のお下がりを細かくしてあられにしたもので1300円である。たった300円で今までの悪行をお目こぼしして頂けるなんてこんな有難いことはない。早速それもゲットした。食べるとそうまずくはない。それもそのはず京西陣菓匠宗禅謹製とある。この店の本店はすぐ近くにある。あとで寄ることにしよう。

ゑんま堂の北300mのところに上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)がある。車で行くなら十二坊交番前を左折し寺境内の駐車場に止めればいい。こちらは静かな境内で、もしその時ならば枝垂桜が咲き誇り、知る人ぞ知る隠れ桜の名所である。国宝絵因果経(現在は京都国立博物館に寄託)をはじめ重要文化財を多数所蔵している。だが残念ながらこれも含め本堂も拝観させてもらえない。特別公開の日を待たないといけない。でも境内を歩くだけで行く価値はある。井戸が多数あって釣瓶と桶も風情がある。そうそれに大仏師定朝の墓もあるのだ。いろいろ寺を訪ねて仏像を見ては感動するのだが、日本で日本風の仏像づくりの基礎を築いたのが定朝だと中学生のころから教えられてきたその人のお墓があるのだ。

車を南に向けて千本通りを走らせる。ゑんま堂の前を通り過ぎ300mいった左手に通称釘抜地蔵、石像寺がある。路地の突き当りの境内の狭いお寺だから車で進入できない。少し手前寺之内通りの角にコインパーキングがある。ちょっと狭いがここに止められたら一番近い。平安時代初期、空海によってたてられ、石の地蔵尊は空海自身が彫ったと言い伝えられている。いろいろな苦しみを取ってくれるご利益があることから「苦抜き地蔵」とあがめられていたという。ところが室町時代、大商人が長年苦しむ両手の痛みを取ってくれと願掛けしたところ夢に地蔵さんが現れ、「前世の悪行で両手に恨みの釘がささっている」と釘を抜いてくれたという。翌朝起きるとすっかり痛みはなくなっている。喜んでお礼にお寺に駆けつけるとお地蔵さんの前には2本の血に染まった釘があったという。

それ以来いろいろな苦しみや痛みを取ってもらった人は2本の八寸釘と釘抜きを張り付けた絵馬を奉納する習わしになり、苦抜き地蔵は釘抜き地蔵といわれだしたという。本堂の壁面にぎっしり張りつめられた釘と釘抜きの絵馬は壮観であり、絶好の写真を撮るスポットでもある。西陣出身の歌手都はるみもきっちりこの場所で写真に納まっていた。

千本通りを挟んで石像寺の向かいに古びたうなぎ屋がある。何かうまそうなのだが残念ながらまだ買ったことはない。先を急ごう。車を寺之内通りを東に走らせる。注意深く走ると右手にあられの宗禅本店がある。ホームページを見ると「一つ一つのあられに紋様を施した上技物あられを現代作れるのは日本で当店しかない」とある。ちょっと寄りたいとこだが、駐車場はちょっと離れたところに見つけないといけないみたいだ。

一旦車を堀川通りまで出し(この途中に前回触れた妙蓮寺がある、そこにちょっと立ち寄るのも一興)、南に下がり今出川通りを西に行くと千本通りに戻ってくる、もう少し行くと上七軒の五つ辻にやってくる。次のお寺の目的地千本釈迦堂にには直角に北に曲がりまっすぐ行けばいい。ちょっと寄り道、北西の細い道を行く。上七軒の花街の雰囲気がする中にふた葉といううどん屋さんが右手にある。うまく行くと(開店の11時前だったら)向かいに1台分の駐車場があいている。店に入ると驚くほどごく普通のうどん屋さん。でも芸妓さんや舞妓さんの団扇がずらっと並んでいる。メニューも一杯だ。お勧めはたぬきうどん、油揚の刻みにしょうが味のあんかけだ。

ふた葉を後にし、最初の角を右に曲がる。児童公園の前で停める。せんべいの田中実盛堂がある。有平糖を棒状にのばした飴をゴマ煎餅で包んだ京絹巻がこの店の一番の売りだが、私はいつも格安の割れ煎餅の詰め合わせを買っている。

すぐ先の角を左に向かう、上七軒の交差点を真北に上がる道に出たわけで、すぐ右手に千本釈迦堂大報恩寺の境内に入る道がある。鎌倉初期義空により開創された。本堂は創建時のそのままのものであり、応仁の乱でも奇跡的に戦火を免れた。(ちなみに京都の古老が「この前の戦争」と言ったら、応仁の乱のことであるそうな。)洛中最古の建造物であり国宝である。拝観料600円を払えば本堂の中、霊宝堂を見ることができる。本堂にはいろいろ国宝があり、霊宝堂には重要文化財の快慶作の十大弟子像、定慶作の六観音像(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を救う聖・千手・馬頭・十一面・准胝・如意輪の六観音)などがあり圧巻である。

庶民にはおかめさんの方が有名である。境内東にはおかめ塚があり、おかめさんの像がある。本堂の東にも種々様々な奉納されたおかめ像が並べられている。おかめさんは本堂造営の棟梁のおかみさん。棟梁の夫がかけがえのない柱の寸法を短く切り誤って大いに悩んでいた。おかめは「いっそ斗組で補えば」と助言して、夫の窮地を救ったが、上棟式の前に自刃して果てたという。

おかめさんの徳を偲び、そのふくよかな笑顔が明るい人柄を伝え、おかめ信仰となり夫婦円満の御利益があると信じられているという。境内にはおかめ桜という立派な枝垂桜がある。満開のおかめ桜をぜひ見て見たいものだ。2月の節分会はおかめ福節分として有名で、鬼追いの儀の後有名人による福豆まきがある。

7月には陶器供養会があり全国陶器市でにぎわい、8月には精霊迎え、六道詣りもある。全国唯一の六観音があるからだ。

そうしてなんといっても有名なのが127日、8日の大根焚きである。中風除け、諸病封じの御利益があるという。ただこの日は車で境内に乗り付けるのは難しいでしょう。

京都検定がらみでいうと、翌129日、10日には鳴滝了徳寺で大根焚きがある。親鸞聖人に里人が大根を煮て捧げたのが起源という。

今回のお寺巡りはこれまでにしよう。ちょっと小腹がすいてきたので、上七軒の交差点を左折して100mばかりのところにある日栄堂に寄ってみたらしだんごを食べよう。おじいさんとおばあさんが昔ながらにやっているという古くて狭いお店で、お持ち帰りもできる。下鴨神社の神饌菓子である加茂みたらし茶屋のみたらし団子は一串に5個、それも1個目だけ少し離して刺してあるが、日栄堂のは少し大きめの団子が3つ並んでいる。小さなお店で駐車場などあるわけないので、たれをこぼすのには目をつぶり、運転しながら食べるとしよう。


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