D級京都観光案内 57

明智光秀を探して 2 愛宕山詣

明智光秀は本能寺の変の4日前の旧暦527日に愛宕山に参詣し丹波平定への出陣祈願をするとともに、西坊威徳院で連歌会を開き愛宕百韻と称せられる百韻の連歌を詠んだことはあまりにも有名である。

明智光秀を探す旅は愛宕山詣を外すわけにはいかない。ここで告白するのであるが、私は恥ずかしながら愛宕山に登ったことがなかったのである。ついでに告白するが、愛宕山のような900m程度の山さえ登ったことはなかったのだ。乗鞍岳の2000m越えまで行ったことはあるが、それはバスに連れて行ってもらっただけである。標高差800mを登ったことは全くなかったのだ。

それでも箕面の大滝まで1700回以上往復しているプライドは、愛宕神社参詣に火をつけた。愛宕神社のホームページを参考に、清滝から表参道を通る徒歩2時間のコースを行くことにした。

清滝の登山口までは公共交通機関で行くとすると、阪急嵐山駅前、四条河原町、JR京都駅前から京都バスで終点清滝下車すぐである。車なら登山口のすぐそば清滝川にかかる渡猿橋の反対側にさくらや駐車場がある。軽装や革靴で行こうものなら駐車場の管理人からそんな恰好では愛宕山には登れませんよと制止される。トレッキングシューズを履き、帽子をかぶり、飲料水や食料を入れたリュックを担いでいく必要がある。単なる神社参りではなく登山だと覚悟を決めたがいい。

登り始めは参道らしく石段が整備されている。こりゃあ登りやすいわと思ったのは甘かった。箕面滝道の箕面川左岸のハイキング道がそうであるように、石段のところは自分の歩幅に合わない狭すぎたり高すぎたりとものすごく足に来るのだ。箕面滝道を登るときの倍のゆっくりのペースで登ったはずだ。でもすごく疲れるのだ。

道程の目印に鳥居本の平野屋前の一の鳥居から1丁ごとに道標が立てられている。登山口にあたる二の鳥居は10丁であり、ゴールの愛宕神社は50丁である。登るべきは40丁、約4㎞である。20丁目の一文字屋跡(まだ1㎞)、25丁目のなか屋跡、そして5合目である30丁目・水口屋跡ではきっちり休憩して水分補給して一息も二息もつかなければならなかった。こんな調子ではあと半分登っていけるのだろうかと弱気になったものだ。

でもそのあとは山腹を回る形の緩やかな山道になり再び元気を回復した。さらに樹々の合間から亀岡の町も見渡せるところもあり、ずいぶんペースは上がっていく。37丁目を越えたあたりに「かわらけ投げ」をここらでしたという標識が立ち、ほどなく行くと「水尾の分かれ」にやってくる。文字通り、左下に道を下ると柚の里で有名な水尾地区に行くのだ。

ここまで来ると愛宕神社はもうすぐだ。また石段が続く続くが、元気に行ける。ゆっくり進む老夫婦を追い越していく。黒門が見えてくる。京口惣門とも言われ、明治維新まであった白雲寺の京都側の惣門である。そこからさらに参道は続き、平坦な社務所前を進むと最後に急な石段が待っている。ここを一気に登ると愛宕神社の社殿に到着だ。

愛宕神社は全国約900ある愛宕神社の総本社である。修験道の祖である役行者と白山の開祖とされる泰澄が朝日峰(愛宕山)に神廟を建立した。その後和気清麻呂が朝日峯に白雲寺を建立し、愛宕大権現として鎮護国家の道場としたという。以来神仏習合の山岳修行道場として名高く、本殿に本地仏である勝軍地蔵、奥の院(現・若宮社)に愛宕山の天狗太郎坊が祀られていた。

白雲寺には勝地院、教学院、大善院、威徳院、福寿院等の社僧の住坊が江戸末期まで存在していたが、明治維新の神仏分離により、白雲寺は破却され、勝軍地蔵は大原野の金蔵寺に移され、愛宕神社で今参拝することはできない。

明智光秀が愛宕百韻を巻いた西坊威徳院はどこにあったのかと宮司さんに尋ねると、社務所がある所が威徳院のあったあたりだと教えてもらえた。もう一度社務所の前に立ち、そうかこの建物の中で光秀は連歌の会を開いていたのだなと感慨にふけった。

ところで光秀も私と同じように清滝口から登ってきたのだろうか。違うようだ。居城である亀山城から愛宕山に来ている。亀山城は明智光秀により築城された名城と言われたが、明治維新により破却され、民間に払いされ荒廃していったが、大正時代に大本教の出口王仁三郎によって購入整備された。しかし小説「邪宗門」のモデルになったように時の権力によって宗教は弾圧され、聖地亀山城跡は再び破壊される憂き目を見たのである。昭和20年にその地は大本教に返還され、聖地・天恩郷として現在に至っている。その城壁跡すぐ横に隣接する植物園を無料で散歩することができる。

亀山城跡のすぐそばにJR亀岡駅はある。さらに言うと、保津川下り乗り場もすぐそばにある。かくして光秀はJR亀岡駅前の道を今の保津川下り乗り場当たりの橋を渡り、保津町登山口から後に明智越と呼ばれることになる山道を登っていったのである。1時間半ほど行ったところで道は2つに分かれる。保津峡へという方に行くとJR保津峡駅まで行く。明智越から保津峡駅まで行くコースは一般ハイキングコースとされるほど整備されている。

光秀はこの分岐点を水尾の方に進んだ。ここ迄は馬で来たようだ。武士の棟梁の祖(清和源氏)の父である清和天皇の御陵が水尾の山中にある。天皇を退位し仏門に入り、水尾を終焉の地と定めて修行したが、病に倒れ洛中に戻り崩御、遺志によりこの地に陵が作られたのである。信長打倒を決意していた光秀はこの陵にも参っている。なんと奏上したのだろう。

その後光秀は徒歩で、愛宕山表参道の水尾別れまで登っていった。家村耕「光秀奔る」の中では、水尾別れの休憩所で清滝の表参道から登ってきた配下の修験僧と落ち合い、洛中の動向を聞き取っている。諜報活動をする修験僧を持っていたのだ。愛宕山の白雲寺には僧兵となるべき修験僧がいっぱいいて、彼らは広い意味の諜報活動にかかわり、情報交換していたのかもしれない。

光秀はそこから私が登ったように愛宕神社本殿まで行き、西国攻めの戦勝祈願をしたのだ。そして午後清滝口から登ってきた天下一の連歌師里村紹巴や威徳院法印・西坊行祐らとともに愛宕百韻を詠んだのである。

さて社務所前の平らなところには太い材木で作った坐る所がいくつもあり、京都側の景色を見下ろせる格好の休憩所になっている。そこで女房が作ってくれた栗おこわのおにぎりを2つ食べ、リフレッシュさせて、月輪寺(つきのわでら)を経由する下山ルートで帰ることにする。

本殿に続く石段下を右に道を取り、すぐのところで月輪寺へのちっちゃな標識に従い細い道を行く。表参道とは違い、道は細く、曲がりくねり、ごつごつした岩もあるが、下り坂なので快調に降りて行ける。30分もしないうちに月輪寺にやってきた。

月輪寺の歴史は古い。朝日峰(愛宕山)の白雲寺、高雄山の神願寺(神護寺)などともに和気清麻呂により建てられたことに始まる。のちに空也上人がこの地で修行し悟りをひらいた。のちに六波羅蜜寺を開山し、口から6体の化仏を出す空也上人像でも有名なあの空也上人である。

浄土宗の開祖、法然上人もこの寺で専修している。関白九条兼実が、この地で法然上人に帰依し、仏門に入った。建永の法難で法然、親鸞が島流しされる前当寺に来て親鸞の岳父でもある九条兼美を訪れ、それぞれ自身の木造を刻み、それが「三祖像」として伝わっている。

そんな由緒ある月輪寺も明治維新の廃仏毀釈で荒廃し、無住寺となっていたものを、現住職の祖母が在家から出家し、復興させたという。

古い仏像が本堂にはあり、特に拝観料はとらない代わりに、住職の話を聞いてから拝観してくれという。どんな話かというと、本堂床の間の両側はベニヤ板張りで踏み抜けるから決してそこには近づくなというものだ。寺宝を自慢する有名寺院が、大げさに寺宝に近づけないのと訳が違う、参拝も修行も紙一重であり貧しいこと至らないことを乗り越えてこそ実あるものになると教えてくれるようだ。

本堂にはご本尊の阿弥陀如来坐像を始め五大明王像、四天王像などが無造作に置かれる。十一面観音立像、千手観音立像、聖観音立像、空也上人立像などは宝物殿にあるがここは予約が必要で拝観させてもらえなかった。

愛宕権現堂には廃仏毀釈で取り壊された愛宕山の白雲寺の勝軍地蔵を一時的に安置されていた。勝軍地蔵はその後金蔵寺に移されている。

親鸞聖人お手植えの木から3代目の桜があり時雨桜と呼ばれる。明智光秀お手植えと伝わるホンシャクナゲも境内の斜面にあり、京都市登録天然記念物である。そうその明智光秀は、愛宕参拝の後当寺にも参拝し、おみくじを引いたという。「信長公記」によると愛宕山本堂でも3度までくじを引いたとあり、光秀が神頼みの縁起担ぎが強い男のように描かれている。そのようなイメージを待たせたい豊臣秀吉に忖度してそんな記事を書いたかもしれない。まあ眉唾の話だ。

月輪寺から清滝に下る道はごつごつした岩がむき出しになったり、曲がりくねったりしているのでゆっくり足元を踏みしめながら降りないといけないが、それを除けば一気にふもとの広い林道のところまでやってくる。ふもとの川からか大きな水の音が聞こえてきてほっとする。約35分だった。逆に月輪寺にこの道を登っていく場合約1時間はかかる。心しよう。

月輪寺登り口の案内板の横に、「空也の滝」はこちらの案内板がある。降りてきたところをV字形に戻る形で石段を昇っていけばいい。細い川の流れに沿ってある苔むした石段をどんどん登っていくと人家のようなものが現れるが構わずどんどん行くと正面に石の鳥居があり、その奥に高さ15mの空也の滝が現れる。その時は3筋に流れ落ちていた。かつて空也上人がここで修行したことからその名があるが、現在もここで滝行をする人がいるれっきとした修験の地なのだ。

不動明王石像、役行者石像、八大龍王、春日弁財天女、南無日輪本地観世音菩薩身などの神碑がある。夏でも涼しいと言われ、荘厳な雰囲気である。ここに来ただけで、まるで滝行でもしたように心洗われる気分になるから不思議なものだ。ただ「足元マムシ注意」の親切な張り紙は蛇嫌いな人には途中で踵を返して逃げ出したくなるかもしれない。

月輪寺登山口まで戻れば広い林道をゆっくり歩いて30分もすれば表参道登り口迄やってくる。私にとって初めての愛宕山詣では無事終了である。両足の親指の爪が赤紫になったのを除いては。

なお空也の滝にだけ行くのなら、清滝口から往復1時間半を見ておけばいい。しかも最後の石段で滑らない靴さえ履いておけば軽装で行っても問題なない。帰りに愛宕念仏寺、化野念仏寺、清凉寺、嵯峨野、嵐山どこかによる時間はたっぷりあるはずだ。


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