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続D級京都観光案内 16

番外編 秦河勝をたどって播州赤穂坂越へ

D級京都観光案内 11 「太秦は『日本のハリウッド』」で、広隆寺に隣接する大酒(おおさけ)神社を訪ねている。大酒神社は、元は大避神社と表記されていた。そこの祭神ではないが秦氏の重要族長として広隆寺の建立に関わった秦河勝も紹介されていた。聖徳太子のブレーン的存在であり、秦氏にとってかけがえのない人といってもいいだろう。近くにある蛇塚古墳の被埋葬者として秦河勝が推定されているとしても不思議はないのだ。

ところが秦河勝の埋葬地が京都から遠く離れた播州赤穂の坂越港沖に浮かぶ小さな島、生島(いけしま)にあるのだ。この生島を見下ろす山の中腹に大避(おおさけ)神社がある。祭神は秦河勝(大避大神)・天照皇大神・春日大神である。

なぜ秦河勝はあんなに活躍した京都の地を離れ、遠く離れた異郷で神とまで崇められる存在になったのだろう。この謎に迫るため、坂越の大避神社を訪ねてみよう。

坂越の港は天然の良港として栄えた。北前船の寄港地の一つとして、坂越の町並みや文化財が2018年に『日本遺産』に認定されている。見所一杯ののんびり町歩きができるのだ。

坂越は大避神社だけで有名なわけではない。坂越カキとブランド名で呼ばれるほど、ここのカキは良質でしかもよく肥えた超美味のカキなのだ。

大避神社を訪問する前に、まず美味な坂越カキを堪能しよう。となると1月から3月の間に訪問するのがベストである。もちろんカキに興味のない人はほかの時期に訪問しても見どころは一杯である。

坂越漁港のすぐそばにある海の家 しおさい市場をまず目指そう。箕面とどろみから新名神に入り、道なりに山陽道に入り快調に車を走らせる。赤穂インターまで行ってしまうと坂越まで戻ることになるので、龍野西インターで降り、ナビに従って一般道を通る。相生市内を通り、道の駅あいおい白龍城でいったん海を眺めるが、また山中ドライブになり峠を越えて降りてくると今度こそ海岸線を走り、ほどなくしおさい市場に到着する。カキのシーズンには駐車場は満車状態になることも多く、少し離れた駐車場に車を停めないといけないこともある。運悪く近くに停めるところを見つけられない時は、しおさい市場はあきらめて、海岸沿いにいくらでもあるカキを食べさせる店を探せばいい。

しおさい市場ではいろいろなカキ料理が安い値段で食べられるし、焼カキ食べ放題(制限時間70分)3,800円もある。海産物の直売所もあるが、駐車場の反対側にはカキを扱う商店がずらりと並び、直接購入もできるし、発送もしてもらえる。このお店の中で、かましま水産はメディア露出度No.1である。寺坂水産は赤穂義士47名中唯一の生き残り寺坂吉右衛門の末裔が経営しているお店である。私ごとになるが、従兄弟の一人が寺坂吉右衛門の末裔だということで、つい寺坂水産を贔屓したくなるのだ。

さあ大避神社を訪問しよう。海岸沿いに西に進むと、大避神社の参道前に来る。もう少し車を進めると海岸側に坂越第一観光駐車場がある。坂越浦周辺観光のベースキャンプだ。ここに車を停め、まず大避神社を目指す。

参道の入り口に「秦河勝ゆかりの地 坂越」の大きな案内板がある。「京都太秦の地で活躍し聖徳太子にも仕えた秦河勝は、聖徳太子の死後、蘇我入鹿の乱を避け海路で坂越に漂着した。そのあと千種川の流域の開拓を進め、坂越の地で没した」という。秦河勝は神格化されて大避大明神として祀られ、その墓(直径20mの円墳)は坂越浦の生島に作られた。大避神社の御旅所があり、一般人は立ち入り禁止になっている。

参道途中にも鳥居があり、さらに進んで広い石段を行くと、両側に一対の狛犬が置かれ、さらに立派な神門がある。神社らしく矢大神・左大臣が安置されている。門をくぐりまっすぐ進むと拝殿、本殿がある。拝殿の横には絵馬堂があり、海運安全を願う多数の絵馬に加え、200年前に奉納されたという珍しい舟絵馬もある。絵馬といっても長さ2mほどで側面に7本の櫂の付いた小型の和船である。横の艇庫には「兵庫県有形民俗文化財 楽船」と案内板がある立派の和船が置かれている。

大避神社の秋の大祭は坂越の船祭りと知られ、10月の第2日曜に行われる。祭神・秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭で、十隻にも及ぶ和船を連ねて船渡御を行う。荘厳華麗な神事であり、国指定の重要無形民俗文化財である。瀬戸内海の三大船祭の一つに数えられるのももっともである。

帰りに神門を見るとなんとそこには一対の仁王像が立っている。前から見ると神門で、後ろから見ると仁王門ではないか。祢宜さんに聞くと神仏習合の名残で、神社の裏山にある妙見寺がかつて大避神社の神宮寺であったその名残だという。

その妙見寺観音堂に行ってみよう。大避神社の左手の裏参道を登っていくと、宝珠山中腹に宝形造の屋根で懸造りの観音堂はある。ご本尊の如意輪観音を祀っている。「観音堂は展望台ではありません。お祀りするところです。騒がない、走らない、欄干に座らないなど普通のマナーをお守りください 妙見寺」とわざわざ立札が立っているぐらいここからの見晴らしは素晴らしいのだ。正面には生島が間近に見え、背後に瀬戸内海が広がる。春ならば桜、ミツバツツジが明るく咲き誇り、秋ならモミジが美しい。

観光駐車場に戻り、千種川向かう石畳の大道(だいどう)に沿ってぶらり散歩してみよう。日本遺産に「荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間」として指定されている、坂越の町を見て行こう。

入口に立つのは旧坂越浦会所だ。旧赤穂藩の支所でありながら茶屋的役割をしていたという。隣に慶長2年創業の奥藤酒造の立派な店構えがある。広い奥の敷地内には郷土資料館があり、酒造りの道具や酒を積み込んで上方まで運んだ船の復元模型がある。ここの酒の銘柄はずばり「忠臣蔵」そして「乙女」である。

少し進むと坂越まち並み館がある。旧奥藤銀行を修景整備したもので、観光案内所も兼ねている。銀行で使われた大金庫などの展示物がある。奥藤酒造は銀行も持っていたわけで、多分廻船業として巨万の富を築いたのだろう。

廻船業を営んだ豪商の屋敷跡が大道の両側に続き、その先に木戸門跡がある。廻船業で栄えた町は木戸門とそれを守る門番がいて、朝に開き夕べにとじられて、町の治安を図ったのだ。

さらに進み千種川の河岸、旧坂越橋のたもとに、高瀬舟発着所跡がある。古来、赤穂の塩は有名であった。江戸時代には千種川河口の両側に広大な塩田が開発されていた。赤穂の塩は全国各地に運ばれ、赤穂潘にとって大きな財源になっていたのだ。ただ、千種川河口のあたりは遠浅の海であるため北前船が乗入れることができない。それで船底の浅い高瀬舟で塩田から坂越橋の袂まで運び、大八車に積み替えて、坂越の港の北前船まで運んだのだ。

松の廊下の事件そして赤穂藩取り壊しと繋がる出来事は赤穂義士の討ち入りばかりが脚光を浴びているが、背景には赤穂の豊富な塩田利権の強奪を図った勢力があったのではという憶測も流れるほどだ。

大道からふらふらと横道にそれて町の探索をするのも趣があるが、次の目的地に行ってみることにしよう。

車を海岸線に沿って西に走らせる。赤穂御崎にやってくる。赤穂御崎公園の東御崎展望台からは瀬戸内海の島々が一望できる。旅装の大石内蔵助像があり、赤穂藩取り潰しの残務整理を国家老として済ませた後、妻子をこの地から海路大坂にやり、自身は数日後京都山科に向け船出したとある。

さらに西に行くと赤穂温泉があり、素晴らしい眺望と美味な海鮮料理を歌いものにする素敵な旅館、ホテルも多い。きらきら坂というスポットはインスタ映えする坂道として有名で、なだらかなタイル張りの坂道、ガラス工房、雑貨店、カフェ、縁結びの神社が人気なのだ。そして赤穂というとこう来なくてはというのが、「大石名残の松」だ。赤穂を発つ船中で御崎の巌頭に立つ老松を何度も何度も振り返り名残を惜しんだという。

御崎には寄らずに赤穂市街に行くのなら、坂越の観光駐車場から大道を千種川左岸まで行き、少し下流にある坂越橋を渡り右岸に沿って走る国道250号線(はりまシーサイドロード)をどんどん西に走ればよい。JR播州赤穂駅前を左折するとお城通りで、城下町らしい区割りされた街並みを進むことになる。花岳寺通りとの交差点を右折すると、そこが目的の花岳寺である。

花岳寺は「浅野家と義士のお寺」といわれ、浅野家の菩提寺であり、浅野家三代の墓所がある。大石内蔵助はここで浅野家の菩提を弔ってから、多分浅野家の再興を祈願し、かなわぬ時は御主君の無念を晴らすことを誓ったのだろうが、京都に向かって出帆したのだ。義士墓所・義士宝物館・義士木像堂があり、拝観できる。本堂の天井には豪快な虎図がある。ご本尊は釈迦如来である。ただし御朱印は「千手観音」であり、討ち入りの時に大石内蔵助が懐に入れていた千手観音に因んでいるそうだ。

花岳寺を出てすぐのところに創業嘉永6年の老舗和菓子店、岩佐屋がある。嘉永6年というとペリー来航のその年だ。もちろん赤穂銘菓の塩味饅頭もあるがそれ以外いろいろ美味しそうな和菓子を売っている。

歩いて交差点のところに戻ると、息継ぎ井戸がある。萱野三平らが主君刃傷切腹の知らせをもって早籠を乗り継ぎ、場内に入る前でまずここで一息ついた井戸である。

赤穂大石神社を目指そう。お城通りを進み、しおみラインに右折し、大石神社をぐるっと回って、大石神社の駐車場に入り車を停める。大石神社の参道には四十七士の石像が市民の奉納によって安置される。寺坂吉右衛門像もある。

この神社は開運厄除・本願成就の御利益がある。本殿の前には胸をそらし四角い口をした立派な狛犬一対がある。境内には義士宝物殿、宝物殿別館、義士木像奉安殿、大石邸長屋門・庭園など見どころ満載である。萱野三平らは早籠でこの長屋門に入り大石内蔵助に凶報を伝えたのである。

駐車場から神社と反対方向に行くと赤穂城跡にやってくる。武家屋敷公園、二の丸門跡、山鹿素行像を通り本丸門を抜け、本丸御殿、本丸庭園、天守台に至ることになる。

最後に赤穂といえば塩味饅頭。尾崎町の創業明和初年元祖播磨屋、JR播州赤穂駅近くのかん川本舗及び総本家かん川駅前店、はりまシーサイドロード沿いに潮見堂、赤穂城跡近くに巴屋がある。岩佐屋も含めどの店の塩味饅頭も微妙に味わいの違いがあるから楽しいものだ。秦河勝に導かれて赤穂に来たが,最後はおいしいもの探しで幕を閉じることになる。

 


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