続D級京都観光案内 2 ささやかな美味しいもの巡り
|
令和5年3月現在、箕面市立老健の施設管理者をやっている。暇そうに見えるのだがとても忙しいのである。ということで、D級観光案内用にDeepに京都を旅する時間的余裕がない。で、安直に三日と明けずに食べたくなる定番の店にだけ寄っている。味の好みは人それぞれに違うことを恐れずに紹介してしまおうと思うのだ。実はすでにD級京都観光案内で触れたものもあるのだが、二番煎じも許してもらおうと図々しく思っている。
まず古知谷阿弥陀寺を目指したところからおいしいもの巡りは始まる。古知谷阿弥陀寺は開山の弾誓上人が木喰上人とし即身仏(ミイラ仏)となり岩窟内の石棺におさまっていることで有名な寺である。樹齢800年、高さ20mの大樹タカオカエデは天然記念物に指定されている。
私たちはいつも車で移動する。京都南インターから市内に入り東寺の前で右折し大宮通を北上し五条通まで来ると右折し鴨川を渡ってすぐの川端通りを北に向かう。松原通りに来たらちょっと寄り道。右折するとまたすぐ信号がありそれを右折するとすぐ左手に佃煮屋の「はれま 本店」がある。チリメンジャコと実山椒を焚いた「チリメン山椒」と、ゴボウ、レンコン、昆布、チリメンジャコと実山椒を甘さを抑えてしっかり炊き上げた「野菜昆布」の2商品がある。両方ともゲットする。野菜昆布の中の真っ黒なレンコンが大好きで、炊きたての白いご飯と食べると最高だ。
チリメン山椒は京都のほかの店でも一杯売っている。京都に限らずチリメン山椒は売っている店は山ほどある。それどころか自家製のチリメン山椒を作っている家も多いのだ。どのお店も自分のところのチリメン山椒が一番おいしいと自負しているし、それどころかどのお店のものより私の作るチリメン山椒が一番おいしいと思っている人も少なからずいる。10年ほど前の、いかなごのくぎ煮がそうだったものなあ。自家製のくぎ煮を日本一だと思っている人が周りにいっぱい存在したものなあ。
そんなわけで「はれま」のチリメン山椒、野菜昆布が一番だよと主張するつもりはさらさらありません。私としては好きだという程度の話。と、断って、大原を目指す。南に下がり、左折して東を向き、北に一方通行の通りに左折して、松原通の狭い交差点を右折して東に進み、西福寺、六道珍皇寺の前を通り過ぎて、清水道の交差点に出る。この狭い狭い松原通を両側の通行人たちに注意しながらやっとたどり着くという感じなのだが、この松原通が平安京では五条大路だったとはちょっと驚きだ。
東大路通を北に進む。ここは片側2車線の広い通りだ。すいすい走れると思いきやそうはいかない。左に駐停車している商用車、タクシー、自家用車が一杯だ。バス停では市バスが長く停まっている。右折車も多く、追い抜き車線もこれまた団子になる。東山五条の交差点ではちゃんと左側車線にいないと右折専用レーンにいる自車に気づいて愕然とする。行きたくもない山科の方に連れていかれてしまうのだ。
つまらん寄り道は避けて無事北進する。祇園石段下を越え、丸太町通も通り越し、次の信号で春日北通りを東に行ってちょっと寄り道。この通りをまっすぐ行くと黒谷の金戒光明寺にぶつかる。すなわちこの道は金戒光明寺への参詣道だったわけだ。この道の両側には本家西尾八ツ橋と聖護院八ツ橋総本店と八ツ橋の老舗2軒がある。
八ツ橋の起源には二つの説がある。まず一つは、伊勢物語の第九段、都におれなくなり東下りをする在原業平一行が、三河の国八橋(川が蜘蛛の脚のように流れ八つの橋を渡していたのでその名がある)に来て、カキツバタが美しく咲いているのを見て、カ・キ・ツ・ハ・タを各句の頭にして業平は即興で都の妻を偲ぶ歌を詠んだという故事にちなんだもの。これは本家西尾説。
もう一つは、琴の名手、八ツ橋検校の遺徳を偲び、琴の形の干菓子を八ツ橋と名付けたというもの。八ツ橋検校の墓は金戒光明寺にあり、その参詣道に八ツ橋の店が並んだと、なかなか説得力があるもの。聖護院八ツ橋はこちらの説をとる。ただ不思議なのは聖護院八ツ橋の商標はカキツバタがデザインされている。つまらないのに私は悩んでしまうのだ。
個人の好みを言わせてもらえば肉桂の味がよりしっかりしている本家西尾の方が確かに本家らしい。ついでに言うと、スタバコーヒーのオリガミ・ベロナとの相性抜群なのだ。
2軒の八ツ橋屋さんを過ぎてすぐ北に折れる道がある。50mほど行ったところに河道屋養老という勝新太郎が愛した蕎麦屋がある。ここの蕎麦はシンプルだけど飽きが来ない。私も気がつくとついこの店にやってきている。なお河道屋養老をさらに北に行くと、すぐのところに平安八ツ橋本舗とまたも八ツ橋屋さんがあるのだ。
とんだ寄り道をしてしまった。こんな調子で行くと大原につくころには日が暮れる。急ごう。東大路通をずんずん北に行く。百万遍を通り過ぎ、高野で左折して北大路通を西に行き、高野橋東詰で右折し、高野川左岸沿いに北東に進む。一車線道路で大原行の京都バスも走るので、ゆるゆる走ることになるが、まあこれもちょっとした旅気分になるというものだ。
松ヶ崎橋東詰を越えてすぐ、山ばな平八茶屋がある。ここの麦飯とろろ汁も食べたいところだが、もちろん今はスルー。白川通りに合流してすぐの花園橋を右折して、若狭路・敦賀街道に入る。どんどん山に向かって登っていく感じで、八瀬にやってくる。「昔ここに遊園地があったんや。このへんかな、いやさっき通り過ぎたあの辺りかもしれん。」などと毎度たわいもないことを言い合いながら上り坂をぐんぐん走らせる。
八瀬から大原に入ったすぐの右手に、土井志ば漬け本舗の大きな店と広い駐車場がある。ここのレストランはいつも混んでいる。待つのが嫌いな私は、ここをスルーし、「里の駅 大原」の案内板が出ている信号を左折する。「元祖 卵かけめし」の看板が立つ「はんじ」という店の前を通りすぎ、すぐに「里の駅 大原」はある。駐車場はそこそこ広い。日曜日にのみ開催される朝市は朝6時から9時までというから驚きだ。ここに来ようと思うと朝4時半に起きないといけない。さすがそれは無理だ。大体私たちが来るのは平日の午前11時過ぎである。開店が午前9時だから、物は大分少なくなっている、特に人気商品は。
もし7月頃なら人気商品は大原特産の赤しそである。大原の赤しその魅力を大原観光保勝会のブログはこう書いている。「“最も原品種に近く、色・香り・味とも最高級である”と学会で論文発表がなされました。その理由として、1)800 回以上繰り返し繰り返し、栽培されてきたこと、2)大原が盆地のため、他所からの花粉の飛来がないことです。」
確かに我が家で種から作った赤しそに比べ、瑞瑞しい赤紫の葉は物が違うという感じだ。梅干しを作る予定はないので、赤しそそのものは買わず、赤しそ製品を買うことにする。
ここで「土井の志ば漬」も買うことができるが、三千院の門前近くに店を構える「志ば久」の「志ば漬」も売っている。どちらも綺麗な包装がしてある。ところが私は陳列台のそれらではなく、冷蔵室に無造作に入れられている組合員さんお手製のビニール袋入りのしば漬けを買うことにしている。はじめ買った時はどんなものだろうかと半信半疑だったけれど、一緒に買ったちらし寿司ととともに食べたら、そのおいしさにびっくりした。よく漬かった大きなナスにしっかりと赤しそがついている。漬け汁が少なく全然べとつかない。口にすると予想した酸っぱさは全然ない。もちろん妙に甘ったるい味付けもしていない。理想的なすっきりした酸味と、しその香りと歯ごたえ、もちろん塩味も備わっている。うまいのだ。すぐに食べきれないものは冷凍しておく。1か月以上たって解凍して食べてもそのおいしさは全く変わらないのだ。
冷蔵庫内のしば漬けの隣には菜の花の古漬けがある。子どものころ黄色い花の付いた菜の花漬けを始めて食べて、黄色い花を食べても大丈夫なのと驚いた記憶があるが、子供にもそのおいしさが分かり、以来菜の花漬けは大好物になっている。黄色が目立つのは早春のものなのだが、古漬けになれば何月になっても楽しめる。現にここの菜の花漬けはすっぱすぎもせず妙に甘ったるくもなく、大好きになってしまった。これまた冷凍しておいても全く問題なく楽しめる。すぐきも売っているが鷹峯の農家の自動販売機のものよりだいぶ割高なのでこれは買わない。
蒸し暑い季節の時には「しそジュース」も買う。多分土井の製品だったと思う。志ば久だけが作る「しそ巻ラッキョウ」も売り切れていなければ買う。赤いしその甘酢につけて赤く柔らかくなったラッキョウを丁寧に赤しそでまいたもので、わが女房の大好物なのだ。もしここで売り切れていたら、志ば久本店にまで買いに行かないといけない。国道沿いに駐車場があり、店まで5分ほどかかってしまう。志ば久の「赤紫蘇ふりかけ」は2種類あって、よくある粉末状の「こまかめ」とフレーク状の「粗め」である。普通にご飯にかけるのは「こまかめ」が適し、おにぎりには「粗め」がいい。おにぎりの水分を吸って、食べるころにはしその葉の小片が復元され、それはそれは素敵な赤しそおにぎりになるのである。
弁当類は定番のちらしずし、山菜ごはん、のり巻き、イナリずし、とんかつ弁当などが売られているが、意外においしいのが900円の唐揚げ弁当である。名前はちょっと違ったような気がするがごめんなさい。大きな唐揚げが3つ入っていて、まずこれがおいしいのだ。でももっとすごいのは、何種類もの地の野菜をとても巧みな調理法で、えっ、この野菜こんな風に料理するの、えっ、何かと思ったら野菜だったという風に、組合員さんの技に驚いてしまうのだ。土井のしば漬け本舗のレストランでは食べそびれたけれど、この唐揚げ弁当で十分だったよと負け惜しみをきっちりいえるのだ。
なおここまで来たから近隣の寺社紹介をよう。三千院、実光院、宝泉院、勝林院そして来迎院の寺院群、その一帯の中に後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵があり、三千院からだらだらともと来た道に戻る所に出世稲荷神社がある。国道を挟んで三千院の反対側に寂光院がある。最初に触れた古知谷阿弥陀寺は里の駅から寂光院の方に曲がらず、国道にほぼ平行に走る旧道を北に向かって進めば中国風の門が現れてくる。
里の駅大原でとんだ時間をとってしまったので、ささやかな美味しいもの巡りの続きは次回に回すとしよう。
|
「エッセイ」に戻る