田中精神科医オフィスの表紙へ

田中千足のコラム 第7回

狛犬ワールドにようこそ 1

為那都比古神社の狛犬たち


狛犬というのは神社の参道や本殿・拝殿の前に鎮座している石像でしょう、よく見かけますよ。犬というより獅子という方がいいみたいですね。狛犬はいつも一対で、一方は口を開ける阿形、もう一方は口を結ぶ吽形ですよね。多分神社の守り神なんでしょう。

ついこの間まで、私はこのように思っていました。お寺の仁王像に対して、神社の狛犬でしょうと。

ところが狛犬紹介の本を何冊か読むと、狛犬の世界はそんな単純なものではない、ワクワクドキドキの狛犬ワールドがあり、奥深い歴史や意味も隠されていそうなのです。


狛犬ワールドの基本を押さえましょう。箕面市石丸の格式ある神社、為那都比古神社には6対の狛犬がいます。これを調べてみましょう。

鳥居をくぐり参道を進むと、神門の前にいます。一対の狛犬は向かい合って鎮座し、右が阿形、左が吽形です。

 

神門をくぐるとすぐそこにも狛犬がいます。スペースがないので、阿形だけをお見せします。この狛犬は近畿地方で見られる代表的な狛犬の特徴を持っています。姿勢、髪型、髭などの首回り、尻尾の形などが、標準型です。苔むしていますね。これは大分古い時代のものだからです。台座には嘉永5年奉納とあります。ペリー浦賀来航の前年に建てられたのですね。

 西の参道にぐっとたくましい狛犬がいます。御影石で制作されているのでしょうか、頑丈そうで、すべて彫が深いですね。巻き毛も尻尾も立派です。新しいもののようですね。それもそのはず台座には昭和5010月奉納と刻まれています。昭和以降に流行した、というのも、国からこの型の狛犬にしなさいとお達しが出たからです。

 
 

   拝殿の前には前後2対の狛犬が鎮座しています。手前にあるのは、口が下がっていてゆるキャラです。髪や髭もそして垂れた耳もどれも可愛いですね。前肢も筋肉が見えません。

天保23月西村重左エ門さんらが造立とあります。大坂町奉行が安治川を浚渫して、その土砂で天保山を築造し始めた年ですね。

   後ろにあるすなわち拝殿に近い方にある狛犬は、先の二つの狛犬の中間的な姿形ですね。拝殿のすぐ前にあるので、この狛犬が一番格上なのでしょうか。

明治254月造立とあります。日清戦争の始まる2年前ですから、戦勝記念に奉納されたというのではないようです。古都京都では蹴上の水力発電所が開業し、京都の復興に大いに役立った年です。

   さて為那都比古神社には摂社として天満宮がありますが、この拝殿前には狛犬はいません。
   ところが神門の横に神輿庫があるのですが、その前に6番目の狛犬がいます。これもだいぶ古そうですね。ゆるキャラとまではいかないものの決して強面系ではありません。天保107月造立とあります。この年には蛮社の獄で渡辺崋山・高野長英が逮捕されています。

天保年間に2対の狛犬があったわけです。推測ですが、この2対の狛犬が、門前及び拝殿前に鎮座していたものが、後から奉納された狛犬にその座を奪われ、それぞれ今の位置に遷座したのではないでしょうか。

狛犬の位置関係を動かす力は何だったのでしょう。想像が膨らみます。これも狛犬ワールドの楽しみです


「エッセイ」に戻る