精神科医、エビをもらう


 先田さんはこのごろ調子いいようだ。そう感じたのは、昨年の11月のことだ。

 先田さんの当院の初診は平成13年の秋、そのとき52歳。精密機械のメーカーで働いて7年目のある日、通勤電車の中で気分が悪くなってしまい、それから会社を休みがちになり、結局その会社を辞めることになった。その後いくつかの仕事にアルバイトという形で勤めたがどれもしんどくなり半年も持たずにやめてしまった。もちろん病院には行き治療は受けてきた。しかし気分の悪さ、全身倦怠感、意欲低下は一向に治らず、しっかりものの奥さんに食べさせてもらう生活がもう20年以上続いていたのだ。精神科や心療内科に行ってもよくならなかったので、薬は近くの内科の先生から出してもらっていた。でもこれじゃあいけない、やはり専門の先生に診てもらいなさいとその内科の先生が私のところを紹介して下さったのだ。

 身体症状を伴う気分変調症というのが私の診たてで、症状は一進一退するものの、働きに出るまで元気が回復することはなかった。調子がよくてもせいぜい少しばかりの内職をする程度で、この2年間はそれもやめ、必ずして下さいねとお願いする散歩もサボることが多く、代わりにお酒を大目に飲んでしまう日々だった。この病気の背景には人との関係、環境との関係での葛藤の処理が下手で、そこから生じた不安が体の症状として出てしまい、おなかが痛くなったり、下痢をしたり、体がだるくなり、さらにその体の症状を不安に思ってしまうという悪循環があると考えられる。そういうことに洞察を与えるのが精神療法というのだが、先田さんは精神療法には拒否反応を示した。洞察を求めようと働きかけると症状は余計悪くなるのだ。

 当院に通って7年間、こんな経過の先田さんがこのごろ元気そうなのだ。
 「いかがですか?」
 「ちょっとましになってきたねえ。減らしていたデパスを元に戻してもらってから調子いい。メダカを増やしたりして忙しいしね。」

 「メダカを増やすって?」
 [川からメダカをとってきて、卵を産ませて、どんどん増やすんですわ。簡単ですよ。メダカはかわいいですよ。」
 「メダカは農薬のせいで川なんかにいないんじゃないのですか?」
 「前はそんなこというてたね。でもいますよ。いっぱいとれますよ。うちにはメダカの水槽は何鉢もあるんです。」

 先田さんはさらにメダカの通信販売をしている岡山のメダカ本舗のインターネットサイトの掲示板でメダカ飼育法を別のメダカ飼育初心者に助言したりまでしているという。メダカ飼育という趣味ができ、しかもそのことで他人のお役に立っているということが、先田さんの最近の調子のよさにつながっていたようだ。

メダカを飼うということですぐ思いつくのはぼうふらを食ってくれるだろうかということだった。庭においてある壷や受け皿のようなものに雨水がたまり、夏はやぶ蚊のものすごい襲来に悩まされているからだ。先田さんはメダカを飼うとぼうふらを全部食ってくれること、メダカを屋外で飼うことは簡単なこと、厳冬期でもメダカは無事生きていると教えてくれた。先生も飼いませんか、あげましょうかと勧めてくれた。

その後も先田さんは調子がいいようだった。ネットの掲示板でメダカの飼育法を教えてあげて感謝されたことや、希望者にはメダカを分けてあげていること、しかも小包で送っていることなどを教えてくれた。

 年が明け、春になると先田さんの活動はますます活発になってきた。メダカのみならずタニシやシジミ(?)もとりに行くという。先生一緒にとりにいきましょうという。他人様の田んぼの中じゃなく小川だから誰にも怒られませんよと。誘いはうれしいが残念ながら忙しくてそんな時間は見つけられそうになかった。

 4月も下旬なるとわが家の庭仕事の最中にやぶ蚊に悩まされるようになった。鉢植えの植物の植え替えなどをして、この花はこちらに、そこの木は今度はこちらにとしていると大きな甕が空くことになった。この半年、先田さんの診察を通じて私の方がメダカは飼いやすいから飼わねばならぬそれも屋外でという考えが刷り込まれてしまっていたようだ。甕に水道水を張り、1日溜め置いてから、コーナンのペット売り場で150円の小さな金魚5尾と1尾30円のメダカ15尾を購入した。同時にホテイアオイ3株、2種の水草も購入した。さらに金魚の餌とメダカの餌を1個ずつも。

屋外での金魚やメダカの飼育は予想をはるかに超えて難しかった。思いがけないことが次々起こり、その原因も対応法もよく分からないことだらけだ。なるほどネットを見ればものすごく多くの情報が載っている。例のメダカ本舗のサイト以外にメダカや金魚の飼育法、水草のこと、タニシやエビのこと、何でも載っている。そういう情報を駆使しても金魚やメダカは死んでいった。水は緑色の藻が繁殖し濁っていき、そのうちまた透明度が上がったかと思ったら(水草にくっついてやってきたサカマキガイというタニシみたいな水生の貝が甕の壁面につく藻を食べてくれていたせいだった)、また水は緑色にひどく濁ってしまった。直射日光で水温が上がりすぎるのだろうと大きなよしずを買ってきて覆いにもしてやった。金魚とメダカと大きさの違う魚の共存は難しいのだろうとメダカ専用の鉢も用意した。

 しかし私はイザナギとイザナミを同時にしていた。死んだ金魚やメダカは手厚く庭の土の中に葬ってやった。そしてコーナンのペット売り場に出かけ、金魚もメダカも10匹単位で何度か買い足した。私の朝の日課は朝刊を取りに行き、その後恐る恐る金魚とメダカの鉢を覗き込むことだった。なるほど子めだかが生まれるという慶事もあったのだが、結局その子メダカも含めてメダカたちは全滅した。金魚は、最初に買った5尾のうち3尾が私のやりすぎの餌をしっかり食べて体積で10倍以上になって濁り切った水の中で泳いでいる。

9月になり私は完全に失意の人であった。先田さんがやすやすとやっているメダカ飼育をまったく失敗してしまっているからだ。先田さんの診察の最後にこの情けない状況を正直に告白した。メダカ飼育名人先田さんの口から出た言葉は意外なものだった。

 「いやあ今年は僕もメダカのほうはうまく行きませんね。今はエビにしてます。エビもかわいいですよ。メダカみたいな大きさでね。しぐさがものすごくかわいい。飼うのもメダカより簡単ですわ。先生、行きましょう、エビを取りに行きましょう。え、忙しい。行く暇がない?それなら持ってきてあげますわ。1日ぐらいなら死なないですから。」

数日後、就労意欲が出てきたので就労支援センターに出す主治医意見書を書いてほしいとその書類を持ってきたついでに「これ先生に約束していたエビです」とエビの入った大きな包みを受付に渡してくれていた。たまたまその日は、私自身の医師会の集団健診の日だった。診療の終了に手間取り、終わった途端、後はよろしくとスタッフに頼み、ダッシュで保健センターに駆けつけていた。

 保健センターで健診の出席者の呼び出しが始まった頃、私のケータイが鳴った。スタッフからである。「先田さんが先生にエビを持ってこられましたので、冷蔵庫の中に入れてあります。念のためにお伝えしおこうと・・・」「ちょっと待って、冷蔵庫に?何で?先田さんの持ってきたエビは食べるものと違う、飼うためのエビなの。冷蔵庫から出しておいて。」「え〜、いいんですか、悪くなってはいけないと冷蔵庫に入れておいたのですが、じゃあ、外においておきますので。」

 スタッフたちは半年前からの先田さんと私とのやり取りを全く知らない。これはメンタルクリニックの診察のプライバシー保持ということではとてもいいことなのだ。でも先田さんが持ってきてくれたエビ達にとっては災難だった。先田さんが大事そうに、「先生に上げてください」と言ったエビが、そこらの川ですくってきた体長がメダカといい勝負のミナミヌマエビという、マニアにとっての癒し系の小エビとは思わず、車エビとかひょっとして伊勢エビとかいう食べ応えのあるあの高級なエビだと勝手に思い込んだのだ。

 食用と思い込まれたエビたちは冷蔵庫に保管される憂き目にあったのだが、スタッフが電話してくれたおかげで、冷蔵庫に2時間入っていただけで凍死の運命から逃げることが出来たのだ。

 健診を終えた私はダッシュで診療所に戻り、冷蔵庫の前に置かれた包みを家に持ち帰った。丁寧な包みの中から酸素が一杯のビニール袋が2袋出てきた。それぞれに体長2cmまでの透明な川エビが(正式名称をミナミヌマエビということを一緒に入っていた先田さん手製のワープロ説明書で知ったのだが)入っていて、それを注意深く今までメダカがすんでいた鉢に移してやった。

 餌のやりすぎが金魚やメダカを死なせてしまった最大の原因ではないかという反省から、餌は与えず、エビを眺めている。エビたちは時にはすばやく泳ぎ、時にはメダカのように動き、時には水草の下に固まって動かないでいる。ジーっと眺めているとあっという間に時間がたってしまっていることもしばしばだ。先田さんがはまったのも無理はない。私も小さなエビを見ていると何か心癒されてしまうのだ。

 でも賑やか好きの私は何か物足りなさを感じるようになってきてしまった。ここにメダカがいたらもっと楽しいだろうにと思い出した。メダカたちを次々に死なせてしまったのは、私の飼育技術が悪いせいではない、コーナンのメダカが弱かったに違いないと。

先田さんを元気にさせてくれたメダカ本舗はきっと私も元気にさせてくれるだろうと、ネットからメダカ本舗に注文して、30尾のメダカを送ってもらい、エビ君と共存させている。

 私の朝の日課の恐る恐る鉢の中を覗くことがまた始まっている。

 


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