続D級京都観光案内 5 伏見神寶神社の狛龍・狛犬
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年賀状のデザイン面にはその年の干支を登場させる。2009年の丑年からは古布を組み合わせて作られた干支人形をちょっと華やかな帯地の上に乗せ、写真を撮ったものを使っていた。箕面滝道、「一汁二菜 うえの」の隣の「ゆずりは」で11月になると人形作家さんの干支人形が並べられ、気に入った物を購入する。必ず赤いちりめんの裂が使われていて、年賀状にふさわしい明るさを演出してくれていて重宝した。残念なことだか、2017年酉年用を最後に、「ゆずりは」でかわいい干支人形が売り出されることはなくなった。
2018年戌年用には変わるべきデザインを見つけなければいけなくなり、急遽お参りした天橋立の籠神社(このじんじゃ)の狛犬が立派で重要文化財になっているので、借用することにした。年賀状と初詣はほぼ同列にめでたいものである。年賀状に神社の守り神の狛犬ほどふさわしいものはないだろうと考えたのである。ただ狛犬は決して犬ではなく、ライオンかあるいは想像上の動物だということは不問にした。お正月というめでたい時にそんなことを言うのは野暮というものというのが私の理屈である。
翌年からは南禅寺塔頭・聴松庵の狛イノシシ、大豊神社の狛ネズミ、北野神宮の神牛、鞍馬寺の狛トラそして岡崎神社の狛ウサギと続き年賀状を飾ってくれた。今年は辰年である。狛龍を見つけないといけない。今までの寺社巡りの中では残念ながら巡り合ったことがなかった。
でもこういう時にネットは便利ですね。狛龍で検索するとすぐ出てくる。それが伏見神寶(かんだから)神社だった。初めてその名を聞く神社だ。伏見稲荷大社の奥に入っていくところにあるらしい。京都検定の公認テキストには、伏見稲荷大社が詳しく取り上げられている。その成り立ちから歴史、境内及び建造物、祭り事に縁起物や門前菓子、さらに関連する事項が網羅されている。検定試験に備えて十分読み込んでいたはずだったから、伏見神寶神社が大社のすぐそばにあると知ってちょっと驚いた。伏見稲荷大社に参拝したのは67年前に親に連れられて一回行ったきりであることから、京都検定テキスト至上主義の落とし穴にはまっていたようだ。やはり現地に足を運んでおかないとだめなのだ。
師走に入った土曜日、伏見稲荷大社に参拝し、伏見神寶神社の狛龍の写真を撮りに出発した。JR京都駅でJR奈良線に乗り換え2つ目の稲荷駅で下車する。紅葉を見るためだろう1つ目の東福寺駅で多くの乗客が下りるが、稲荷駅で下車する人たちも多い。もちろんその中の一人が私である。
駅の前の本町通は参拝する車や観光バスで渋滞することが名物で、渋滞の車の間を縫うように電車から吐き出された人たちがすぐ向かいにある一番鳥居を目指す。一番鳥居から一直線に伸びた表参道は両側の紅葉も赤く染まり、鳥居も建造物もすべて朱塗りで、二番鳥居、大楼門に通じていく。外国人観光客には好まれる撮影スポットで、ポーズを決め写真を撮る人たちも多い。
大楼門は豊臣秀吉により再建されたというから、豪華絢爛、桃山時代だ。外拝殿があり、唐破風の内拝殿前で多くの人が参拝している。正月の初詣客は関西第1位が続いているようだ。右奥には伏見稲荷の社家に生まれ国学者として著名な荷田春満(あずままろ)旧宅と彼を祀る東丸(あずままろ)神社がある。学問の神様だ。
本殿の左手に権殿があり、その横の大きな鳥居をくぐり階段を登っていくといくつかの摂社があり、ちょっと立派な建物・奥宮がある。本殿と同じ流造で重要文化財だ。そこから二股に分かれ有名な千本鳥居が続く。右側通行なので右側を行くが、満員のエスカレーターを行くがごときで、しかもスマホで撮ってもらうために立ち止まりポーズをとる人あるいは自撮りする人続出で、隙間をかいくぐりながら追い越していく。
しばらく行くと奥の院(奥社奉拝所)にやってくる。願いをかけ持ち上げてみて、思ったより軽ければ願いはかない、思ったより重ければ願いはかなわずという占いができる「おもかる石」がある。
そこから「お山めぐりコース」熊鷹社への鳥居が続いているところを10mほど行くと、「根上がりの松」がある。松の根の一方が盛り上がっていることから名づけられ、不思議なご神徳があると信仰されている。一つは「腰や膝の痛みが取れる」こと、もう一つは「株価が上がる(値が上がる)」ことという。
「根上がり松」に上る少し手前に、大きく右に曲がる細道がある。「竹林の静宮 神宝神社 →→」と案内の駒札が立っている。今まで歩いてきた整備された参道と違って、むき出しの荒れた道で、両側には竹、笹、灌木が生い茂り本当にこの先に神社があるのかと思ってしまうほどだ。先ほどまでの人混みの喧騒はないが、でもぽつりぽつりと進む人たちはいるし、帰ってくる人たちも確かにいる。木の根道になっているところを通り抜けると、パッと明るくなり「神寶神社」の石碑と鳥居が現れる。到着である。
鳥居をくぐると左に地龍、右に天龍に守られた本殿「神寶宮」がある。本殿には天照大御神、稲荷大神、十種神宝を奉安してある。十種神宝とはわが国最古の十種の神器でありそれこそが神として祀られているのだ。国家の盛衰をも左右することができるほどの強力な霊力があるという神器にまつわるこの神寶神社は新たなパワースポットとして若い人達に人気を集めているという。確かに、今日通ってきた朱塗りの華々しさとこれぞ京都観光とばかりの参拝客の多さとは対照的に、質素・簡単で、けばけばしさのない単色の美を与えてくれる。祈りの場は本来こうなのだろう。
私の興味は狛龍たちで、確かに面会し写真に収めることもできた。右の天龍は口を開けており阿形である。左の地龍は口を閉じており吽形である。二つの龍は目と歯が金粉で色づけされている。罰当たりのようだが金歯なの?という感じでちょっとなあとか思ったりもするが、年賀状用にはおめでたい感じがしてまあいいだろう。
帰り道、鳥居の前に鎮座する狛犬を見て驚いた。ともに新しい小ぶりの狛犬で、右の狛犬は阿形で口を開け、口の中は赤く、左足には赤い花模様のある球を押さえている。鷺森神社で見た阿形の狛犬と同様球を押さえ、きっと財運に恵まれるというご利益の象徴だろう。左の狛犬は吽形で口を閉じ、中の赤みはかすかに見える程度だ。右脚はなんと小さな子狛犬の上に置いている。鷺森神社の吽形の狛犬同様、子孫繁栄の御利益を保証してくれるものに違いない。
帰りは千本鳥居も通らず、本殿に戻り、裏参道から帰った。土産物屋や食べ物屋が並んでいたが、狐せんべいも稲荷せんべいもウズラの焼き鳥もどれもこれも素通りしてしまった。
京都駅に戻り、JR伊勢丹地下2階老舗・名店弁当コーナーで辻留の弁当、和久傳の鯛寿司、まい泉のフィレとんかつサンドをゲットし、大事に抱えて帰路についた。
辻留の弁当をつつきながら酒をちびちび飲んで、無事伏見神寶神社の狛龍の写真をゲットし、あろうことか子狛犬を押さえる狛犬に巡り合えた喜びに浸ったのである。
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