続D級京都観光案内 14 祇園界隈の狛犬探訪
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八坂神社の西楼門といえば、京都観光、特に祇園界隈の観光の一番象徴的なところである。本日の祇園界隈の狛犬を探して歩く旅のスタートはこの西楼門からである。
車で行く場合、このあたりのコインパーキングはなかなか見つけにくい上にびっくりするほど高くつくものだから、おすすめは八坂神社の北側に入口があり円山公園地下にくぐる京都円山駐車場である。ただ祇園交差点では東大路通北行は右折禁止だから、いったん知恩院前まで行き右折して、三門前をぐるっと回って知恩院前に戻り、左折して東大路通を南行し祇園交差点を大きく左折して、円山駐車場入り口に滑り込まないといけない。混んでいる四条通を我慢して祇園交差点にやってきたのなら、堂々と斜め左に曲がればよい。
駐車場から地上に出て祇園石段下までやってくる。壮麗な朱色の西楼門の両側にはこれまた朱色の翼廊が建っている。
ここは人気の撮影スポットだから、写真を撮る観光客で一杯である。ただ皆さん楼門も映りこむように写真を撮っているから、楼門前参道石段の両端に位置する狛犬観察には支障はない。観光客のみなさんの写真撮影の邪魔をすることもないから安心だ。
台座から頭のてっぺんまでの高さが116㎝と京都府第11位の大きな狛犬だ。(ちなみに第1位の大きな狛犬は北野天満宮の191㎝のもの。)右が阿像で左が吽像で角がある。右は獅子像で左は角のある狛犬像だ。(ここで用語の注意を。八坂神社のホームページでは角のない獅子と角のある狛犬を区別して記述している。しかし我々はまとめて狛犬で通してしまう。)青銅製であるため前肢の筋肉が浮き出る、極めて精悍で迫力のある阿吽像だ。まるで運慶快慶作の筋骨隆々の仁王像を彷彿させるというと言い過ぎだろうか。顔つきは猛々しく、今にも襲い掛からんばかりだ。
台座を見てみる。大正15年12月奉献とある。設計 笹川新太郎、原型 石本曉海、鋳造 高橋才治郎と記されている。石本曉海は京都市立美術工芸学校卒の彫刻家で、同校の教員もしていた。
楼門をくぐる。左手の手水舎の前に立派な石の狛犬像一対がある。明治15年の寄進で、かつては西楼門前に鎮座していたが、大正年代の参道の移動拡張に伴い現在の青銅製狛犬にその場所を明け渡し、少し東に移動したものだ。右の阿像は口中に球をくわえ、左足元にこどもを押さえている。左の吽像は右前足に珠を押さえており、頭には角がある。阿吽像とも歯から足の爪からしっかり彫り込まれている。そして目にはプラスチック製の眼球がはめ込まれている。
この狛犬像にはまだ見どころがある。台座には京の都を守護する四神が彫られているのだ。左の狛犬の尻尾側は北面であり、北の守護神玄武が彫られている。亀に蛇が巻き付いたような神獣である。右側面は(正面は)西面であり、西の守護神白虎が彫られている。阪神タイガースファンは有難い有難いと拝んでおいて損はない。頭側の側面は南面であり、南の守護神朱雀が彫られている。阿像である獅子像の台座の北面には玄武が彫られている。ただ左の狛犬の台座の北面の玄武とは少し趣が違う。どちらかは玄武でないかもしれない、なんせ想像上の神獣なのだから。獅子像の台座の西面には東の守護神青龍が彫られている。波しぶきを上げ、背後には雲の峰を連ねるような姿だ。
八坂神社の本殿は池の上に建っており、その池は青龍の住む龍穴だと言われている。しかしその池は現在、漆喰で塗り固められており、見ることはできない。青龍は仕方なく池から出て台座の側面に現れているのかもしれない。
そんなロマンを考えながら、手水舎から絵馬堂前を北に折れると、北鳥居がある。ここには狛犬はいない。円山駐車場への近道があるだけだ。
絵馬堂前に戻り東にずんずん行く。いくつかの末社の前を通るが狛犬はいない。東北門鳥居にたどり着く。この鳥居前にも狛犬はいない。北に向かって進むと、いもぼう平野屋本家、いもぼう平野屋本店の前を通り、知恩院へと行くことになる。東北門鳥居を東に進むと、円山公園の象徴、祇園しだれ桜のところにやってくる。
境内の狛犬探しに鳥居を出ずに南に進む。「美容水」という湧水のある「美御前社」の南隣にある「悪王子社」の前には最近寄進されたと思われる新しい小さな狛犬がある。
舞殿の横を通り抜け、南楼門から外に出よう。本殿の南西にある摂社、末社はスルーしてしまうが、狛犬探訪だからお許しを。なお本殿内には重要文化財の木製の狛犬像が2対もあるが、外からは拝観できそうもない。
南楼門は八坂神社の正門である。南楼門前にはやや小ぶりの備前焼の狛犬が一対ある。右が阿像、左が吽像であるが、どうしたわけか金網に閉じ込められている。京都御所の猿が辻の神使の猿像は夜な夜な逃げ出すため金網に閉じ込めているという伝説があるが、まさかこの備前焼の狛犬も逃げ出したりしたわけではないだろう。石像に比べてずっと軽量だから容易に盗難の憂き目にあう、その予防の金網だろう。
備前焼の狛犬の手前に、はるかに大きな石の狛犬一対がある。台座が巨大であり、高さは人の背をはるかに超えている。見上げないといけないので細部まで細かく観察できないが、頭や前肢に施されたヒゲの模様など立派なものだ。右の阿像は舌を出しているみたいでちょっと変わっている。
参道東に二軒茶屋がある。田楽豆腐が名物で、稚児餅は祇園祭の間だけ売られる。その隣が創業室町時代で京都最古の料亭中村楼である。格式高そうなのに予約なしでフラッと訪ねてもちゃんと食席に案内して貰えるいいお店だ。
重要文化財の石鳥居がある。高さ約9.5mの明神鳥居。現存する石鳥居で最も大きいものといわれる。祇園祭の際に、神輿はこの鳥居より出発する。
石鳥居の前を東西に走る通りは神幸通で、中村楼の壁沿いに東に進むと長楽館がある。角の所から南に進むとねねの道になり、高台寺に通じることになる。
石鳥居を出て一筋南の東大谷参道を歩くことにしよう。日照りの強い日は相当の苦行だが、熱中症にならないよう注意しながら進もう。素晴らしいご褒美が待っている。大雲院祇園閣がしっかりと見えてくるのだ。祇園閣の最上階から眼下を眺める人の姿もくっきり見えるのだ。
大雲院の訪問は後回しにして、東大谷参道をずんずん登っていく。ねねの道も横切って、突き当たる所が大谷祖廟だ。広大な敷地にまばゆいばかりに金色に輝く祖廟がある。
大谷祖廟総門の右手前に雙林寺という大きな看板があり、細い道がある。雙林寺正門に通じる裏道のようだ。この道を通って確かに雙林寺の本堂前にたどり着く。
雙林寺は平安時代最澄が唐より持ち帰った天台密教を広めるため桓武天皇が命じて建立した祈願道場に始まる。のちに延暦寺が建てられ、その直系末寺となっている。最澄自ら彫ったと言われる薬師如来坐像がご本尊であり、特別公開の時だけ開帳される。歓喜天も祀っているが秘仏であり、御開帳の予定はないという。
鎌倉時代には数万坪という広大な寺領と17の塔頭があったという。応仁の乱後荒廃したが、豊臣秀吉により復興された。その後高台寺、東大谷本廟に寺領地を譲り、明治政府の廃仏毀釈により寺領を減らされ、塔頭も廃止され、円山公園整備により寺領は減少し、円山音楽堂建設に伴いさらに縮小し現在の姿になっている。なんともはや痛々しい歴史だが、当寺は観光寺院ではないから古文書やネットの情報でやってこられても期待外れに終わるだろうとホームページに堂々と書いてある。
表通りに出ると菊乃井無碍山房がすぐ前である。少し山の手東にある菊乃井本店に対して軽食を受け持つ「時雨弁当と喫茶の店」である。
少し西に行くと、西行が蔡華園院を営み、終焉の地であったところと伝えられている西行庵にやってくる。ここは先程の雙林寺の唯一の飛び地境内である。母屋(浄妙庵)と礼拝堂兼茶室(皆如庵)からなり、拝観は予約制で3300円とある。外観を覗くだけで満足しよう。
すぐその隣に芭蕉堂はある。芭蕉は、西行を心の師とし、西行を慕って旅の生涯を送ったが、この地で、西行の作歌を踏まえて、しばの戸の月やそのままあみだ坊の一句を詠んだ。弟子の許六が刻んだ芭蕉の木像が安置されている。
ねねの道に合流し西に行くのだが、左側の家の前に小ぶりの狛犬像らしきものが置かれている。阿吽像になっているのだが、相当デフォルメされた像だ。なぜこんな像が置かれているのだろうか。この家の守り神としての置物なのだろう。
その向かい側が大雲院である。一般拝観はされていないが、特別公開されるときはこの通りに面した入り口から入ることになる。
大雲院は本能寺の変で斃れた織田信長・織田信忠親子の菩提を弔うため二条新御所の跡地に貞安上人が建立したことに始まる。貞安上人は安土宗論で浄土宗側として法華宗に勝利したことにより、織田信長に帰依されるようになり、大きな勢力を持つようになった。その恩義に報いたかったのだろう。織田信長の後継者と自負する豊臣秀吉は、大雲院を四条寺町あたりにうつし、広大な寺域を与えた。14の塔頭を持つ名門寺院となったが、明治維新の神仏分離令により寺域は縮小され、昭和48年に、一代で大蔵財閥を築いた大蔵喜八郎の別荘であった現在地に移転した。当然、大倉喜八郎の建てた祇園閣(伊東忠太設計)も境内にある。楼閣の最上階には平和の鐘が架けられ、鉾先には金鶏が取り付けられている。 一層には阿弥陀如来像が安置され、一層から三層への通路、階段壁面には、中国
敦煌の壁画を模写した壁画が描かれている。
入り口の前には一対の狛犬の阿吽像がある。今日見てきたどの狛犬像とも違う大きいくせに愛らしい狛犬だ。
本堂も当地に移転した時に建てられてもので、2階建てでその2階に本尊の阿弥陀如来坐像が祀られている。旧本堂は智積院の明王院として移築されている。墓地には 織田信長、織田信忠父子の碑、豊臣秀吉による五奉行の一人で、主に宗教・寺院を支配した、初代丹波亀山藩主になった前田玄以、富岡鉄斎、石川五右衛門の墓といわれるものがある。
大雲院を辞し、祇園女御供養塔の前を行く。石鳥居前で左折し神幸道を進むと、結婚式場である八坂神社常盤新殿前にたどり着く。なんとそこにも一対の狛犬がいる。これで八坂神社の狛犬は全部見たことになる。
さあちょっと疲れた。ご褒美に新装なった「いづ重」で、鯖寿司かアジ寿司、グジ寿司はたまた鱧寿司を食べよう。グジ寿司を食べない時は赤だしの代わりにグジの潮汁を頼もう。もう最高である。ちょっと高いのがつらいけれど。
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