御朱印集めと京都検定
 

 御朱印集めが流行っている。特に若い女性に人気のようだ。実は私も2年前から本格的にやっている。御朱印をもらう本来の意味は納経の証なのだが、そんな律儀な人はあまり見かけない。どの人もみんな、私のように、そして最近の御朱印ブームの火付け役の女性のように、参拝の記念としてあるいは御朱印をもらうそのこと自体のためにもらっている。

 御朱印帳あるいは御集印帳に書いてもらうのだが、その御朱印はお寺の場合3つの朱印が右上から左下にかけて押され、中央にはご本尊の名称、右上には奉拝の文字が、そして左下には寺号が墨字で書いてもらえる。もちろん日付も書いてもらえる。神社の場合はずいぶん簡略化されたものしかもらえない。納経の証という意味が希薄なのだから致し方ない。ただ日付が書いてあるというのがすこぶる重要なのだ。あとで見返した時にこれほどいい旅の記念はないと思えるのだから。

 人はすべからく収集癖を持っている。人はこの悪癖から逃れることはできない。アマゾンでついついいらないものも買ってしまうのもこの悪癖のなせる業である。かくして御朱印集めに目覚めてしまうとどうしてもその数を増やしたくなる。御朱印がもらえるあらゆる寺社からすべて集めたくなってしまうものである。たくさん集められるところはどこか、もちろん京都である。

 こうして頻繁に京都を訪れるようになるのだが、御朱印集めはその数を増やせば心満たしてくれる所に留まりはしない。その寺社のいわれ、それに伴う歴史、それにかかわる人物、名物、それにつながる別の寺社、京都にかかわるありとあらゆることが経糸横糸のように編んで行かれるのである。一言でいうと京都の観光文化の奥深さに引きずりこまれていくということだ。そしてそこには京都の人たちが巧みに仕掛けた罠が潜んでいた。千年の都として日本の中心であり続けた都を支え続けた京都人の誇り、それは千年の歴史と文化を自分たちは知っているという誇りであり、他府県の人間が物知り顔にあれこれ言っても、「あんさんそれはちょっと違います、これはかくかくしかじかやと京都では言われています。」と一見柔らかくしかし断定的に否定されるのである。

 そこで京都検定なるものが登場した。2004年のことである。正式名称は京都・観光文化検定。京都市商工会議所が主催している。その案内文を見てみよう。

「京都は1200年の歴史に育まれた国際文化観光都市です。
京都検定では、京都の歴史、文化、神社・寺院、祭や行事、工芸、暮らしなど幅広い切り口で京都通度を認定する検定試験です。普段、何気なくぶらり周っている京都の街には、意外と知らない、大きな不思議がてんこもり!京都検定で、京都の魅力あふれる不思議の扉を開いてみませんか?」

京都検定には、3級、2級と1級がある。3級は京都の歴史文化の基本的な知識が問われ、公式テキストブックから9割が出題され、4択問題の7割以上正解で合格である。2級は京都の歴史文化のやや高度な知識が問われ、公式テキストブックから7割が出題され、4択問題の7割以上正解で合格になる。1級になると京都の歴史文化の高度な知識が問われ、京都の魅力について発信でき次世代に語り継ぐことができ、公式テキストブックに準拠して出題され、筆記式で8割正解で合格となる。

平成25年第10回の京都検定の合格率は、361.7%、256.1%、14.3%である。総受験者は6000名、32級には受験資格はないが1級は2級合格者でないと受験できないことを考えると2級と1級の間の壁の高さは半端でないことがわかる。医師国家試験の合格率が90%であったことを考えると、2級を合格するのは少し勉強すれば合格できそうだ。ただ1級合格は会計士の1級に合格するくらい難しそうだが、どうせそれは来年以後のことだから、まずは32級同時合格を狙ってみよう。昨年9月頃そう心に火が付いた。試験日は1214日(日)である。3か月半あれば試験勉強には十分だ。

 ちなみに3級の問題は 「皇室とゆかりの深い(   )は「御寺」ともよばれる。」 ア、三千院  イ、青蓮院  ウ、泉涌寺  エ、宝鏡寺   正解は ウ 

2級の問題は 「大徳寺の塔頭(   )には「耀変天目茶碗」や「密庵威傑墨蹟」(いずれも国宝)などがある。」 ア、龍源院  イ、龍光院  ウ、聚光院、  エ、高桐院    正解はイ

1級の問題となると 「龍光院にある国宝には密庵威傑墨蹟や(    )茶碗がある。」  正解は 耀変天目

9月から公式テキストブックを読むことと10回の過去問の問題集(残念ながら第9回のは新品は品切れで古本が約3倍の値段がついていたので手に入れることを断念した)を一応3回やることを実践し、何よりも生きた受験勉強と京都へ伏見宇治へと楽しく観光し、32級とも満点を取る自信を持って12月の試験を同志社大学新町キャンパスで受けた。

 大教室で試験を受けるというのはそれこそ28年前の医師国家試験以来である。3級の試験は10時から始まったが、いろいろな説明があり、実際に解答に取り掛かるのは1015分からである。制限時間は90分であるが、30分を越えれば退出可能という。確かに25分ほどで全部できてしまったが2,3問怪しいのがある、もう一度落着いて見直していると30分すぎましたとアナウンスがある。するとどんどん退出する人がいるのである。慌てたわけではないが私も11時前には退出してしまった。

 2級の試験は午後1時半からである。2時間半もあるので近くでおいしい昼飯を取ろうと思い、タクシーを拾い、親子丼の鳥岩楼へと頼んだ。西陣鳥岩楼の昼のメニューは親子丼しかないのだが、11時は開店には早すぎるかもしれない。運転手さんにそのことを聞くとさっとケータイを調べてくれて、開店は12時ですわ早すぎますわという。じゃあ運転手さんおすすめの親子丼の店に連れて行ってというと、僕が行くのは「京のつくね庵」ですけどそこでよろしいかという。実はそこには一度行ったことがあって、その時は鴨なんばを食べたのだが、名物は親子丼とネットには書いてあって、次は親子丼をと決めていたから二つ返事でそこにしてと車をUターンしてもらった。今京都検定を受けてきたというと、私らも受けさせられましたけど合格しても何のメリットないさかいやめましたという。

京のつくね庵の開店時間は11時半で寒空のもと店の前で待ち、35分ごろやっと入れてもらえた。もちろん一番乗りで。結局ミニ親子丼とミニ鴨なんばのセットを注文し、食べ終わるとまだ12時前だ。またタクシーに乗って行きたかった報恩寺を目指す。千本釈迦堂といわれる大報恩寺とは違うと最近知り、「撞かずの鐘」とひょっとしたら特別公開でしか見られないかもしれないが「泣き虎図」があり、黒田長政、黒田如水ゆかりの寺でもある。大河ドラマは検定試験の山だからこれはぜひ行ってみようと思ったのである。ところが運転手さんもどこにあるかよく知らない。仕方ないので堀川寺之内の交差点で下してもらい、寺之内通りを東に行き人形の寺宝鏡寺を少し行ったところで南に下がり報徳寺を見つけた。

ところが「泣き虎図」は見れないどころか参拝もできず、御朱印もいただけない、ただ「撞かずの鐘」を見ただけでむなしく帰らないといけなかった。仕方ない宝鏡寺で御朱印をもらおうかと戻って門をくぐると、「拝観謝絶」と札が出ている。ますますとぼとぼと、寺之内通りを堀川通りを越えて西に行くと妙蓮寺という立派そうな日蓮宗のお寺があった。

お寺の由来には日像上人云々とあり、四季の間を拝観し、庭園を見ることができた。御朱印もゲットできた。1時近くになったので、タクシーで試験場に戻り、2級の試験を受けることになった。

2級試験の会場はずっと大教室で、一番奥の後ろから2番目の席だったものだから年齢層がまちまちの受験者が黙々と参考書を読んでいる姿が目に入り緊張感が高まる。145分から解答開始となり、制限時間90分ただし30分経過以降退出可というのは同じだった。ところが公式テキストに載っていなかったよという問題がずいぶん多い。うーんと考え込むことが次々出てくる。脊髄反射ですいすいできた3級と大違いだ。ところがそんな中に報徳寺の撞かずの鐘と日像上人が出てきたときには「試験の山かけ名人健在なり」と心の中で自画自賛してしまっていた。40分ほどで何とか仕上げ10分見直したがもう粘る根気はなくなってまあ90点はいくだろうと退出してしまった。

タクシーを拾い、そこでも京都検定談議に花が咲き、錦小路高倉で下してもらった。実は錦小路の端が高倉通りというのがさっきの2級の試験問題だったのだが、正解に気を良くして、田中鶏卵でだし巻きを、お惣菜屋さんでおでんを買い、ぐじの塩焼きはどの店にもなかったので焼き物は鱧にして、烏丸駅に向かう途中のぎぼしに寄ってえらく高価な吹き寄せとこれまた高価なとろろ昆布をゲットした。こうやって市場や老舗でちょこちょこと買い物をするのが本当に幸せで、しんどい検定試験を受けたことへのささやかなご褒美になるのである。

さて試験の結果はどうだったか。合格発表は129日であり、正式にはまだわからない。しかし、京都新聞にはすでに各級の問題と正解が載っていて、自己採点すると398点、287点と出た。予備校講師を長くしていたものだから自己採点の精度が高いことだけには自信を持っている。誤差は±0点とまで確信している。合格はともに70点以上だから130日私の手元に両方の合格証が送られてくることは間違いなかろう。

こう豪語してみたが、実は弱音を吐かないといけないことも起こっている。2級合格は通過点に過ぎない。1級受験の前提条件だからである。さて1級の問題はどんなのだったか。もし今年受けていたらどれだけとれたろうか、試しに解きにかかった。4択と筆答には千里の隔たりがあった、千丈にも及ぶ壁があった。3割程度しか正答に至らないのだ。心は萎えてほんのちょっとやっただけでやめてしまった。

今年の9月頃まで悩み続けるだろう。受けずに逃げるのは俺のプライドが許さない、いや物知りの域を超えた細かな知識を覚えこむのに膨大な時間を費やす意味などあるのかと。ただ今から知識を詰め込んでも12月まで記憶し続けるのは無理だろう。となるともし受験勉強を始めるとしてもそれは9月からで十分だ。受験するかどうかを悩むのは9月にしよう。それまで2級合格証で割引サービスのあるホテルでおいしい食事めぐりなんかで楽しむとしよう。



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