カルテ開示要求 |
診察をしていると待合室から時々大きな声が聞こえてくる。少し状態の悪い患者さんが来たのだろうか?しかし暴れているという様子でもなさそうだ。もしそうならスタッフがすぐ私を呼びにくるはずだから。そう思いながら診察を続けていた。平成17年4月中旬のある日、午後診が始まって間なしのことである。 やはり間歇的に大きな声が響いてきて、スタッフが困った様子で診察室にやってきた。「『昨日の診察でひどい目に合わされた。カルテを見せろ。』と、えらい言うてはるんです。」これをきいて、この騒ぎをすべて了解した。昨日の午後診で診察に文句をつけて帰った女の子がまた文句を付けに来たのだろうと。 前日、その女の子はある睡眠薬が出してもらえるかと聞いた上で予約を入れていたらしい。彼女は診察に入ってきて、ずっと別のクリニックにかかっていたけれどそこに行けなくなったのでここに来たという。 「医者と合わなくなったの?」 「いいえ、先生はやさしくていい先生でした。」 「じゃあどうしてそこに行けなくなったの?」 「受付の態度がひどかったのです。喧嘩のようになって、だからもうそこには行きません。」 これは注意しないといけないぞ。私は緊張の糸をぐっと引き締めた。よそのクリニックで起こしたことはうちのクリニックでも起こす可能性が高いということだから。私は丁寧に彼女の訴えを聞き、彼女のしんどさの訴えに共感の言葉を添えながら傾聴を続けていった。彼女の病理は深かった。単に眠れないというのが主訴だったが、不安障害や抑うつもあり、高いプライドとその裏返しの自己評価の低さがあり、うまく行かない事にたいして他罰的であった。 この前のクリニックでのトラブルが彼女の持つ対人関係の不安定性によるものだろうと予測もつき、最後に薬を処方する段になった。抗うつ薬や抗不安薬など少し多いかなと思ったがすべて彼女の希望する通りに処方した。睡眠薬の希望が私から見ると奇妙だった。あれもきかないこれも効かないと彼女は言った。私がじゃあこれはと提示する睡眠薬をすべて拒否した。そしてロラメットを出してくれと主張した。ロラメットなんていわゆるゆるい睡眠薬で研修医時代1度出したか出してないかというくらいで開業してからは一度も出したことのない薬である。わたしはその薬を出した経験がないこと、彼女の不眠にはとても効くとは思えないこと、彼女が今現に持っている睡眠薬の方が有効と思われるからそれを飲みなさいと助言した。 彼女は泣き出し、怒り出した。私は何でこんな長い時間をつぶしたのだ。出してもらえると思って来たのに時間だけを無駄にしたと。泣きぬれる彼女を見ながら、俺のほうが泣きたいよ、時間を無駄にしたのはどっちだいと思ったけれど、やさしく「希望に添えなくてごめんね。でもあなたにとって一番いいようにした積りだよ。」といって診察室を送り出した。診察時間は40分を越えていた。 泣き濡れていた彼女は受付ではしたたかだった。あんなひどい診察に金を払う気はしないと診察料の支払いを拒否した。たじたじとなった受付がじゃあお金は結構ですと言うと、「でも、保険からはきっちりお金を取るんだろう。」と毒づいて帰っていったのだ。 「Tさんだね。」診察を中断してスタッフに尋ねた。「はい、でも怒鳴っているのはお母さんの方です。」「じゃあ、カルテのコピーを差し上げなさい。ただしカルテ開示請求書に署名してもらっといてね。」私は半月前から始まった個人情報保護法の医師会がくれた運用マニュアルを思い出し、その通りにカルテ開示請求書を用意していたことに胸をなでおろし、カルテには何もこちらにとってやましいことを記入していなかったことを思い出しながら診察に戻った。 しかしあっという間にまた診察を中断しなければならなかった。防音扉ごしに聞こえてくる怒鳴り声はますます激しさを増し、スタッフが言い募られている様子が手に取るように伝わってくるのだ。診察している患者さんに「ごめんなさい。表がうるさくて、私が出ないと収拾つかないみたいなのでちょっと待っていて下さいね。」と詫びを入れて、窓口に赴いた。 「自分のカルテを見るのに何で請求書なんかにサインせなあかんねん。」窓口から覗き込むように母親がいて、私を見るなり怒鳴りつけてきた。娘のほうは少し下がったところで腕を組み私を睨みつけている。 「見て読むだけでいいならどうぞそうして下さい。ただカルテのコピーがいるなら、そのコピーが誰の請求で出されたものかを証拠として残しておかないと、うちがカルテを勝手に漏出させたと疑われることになりますからね。」 「ええわ、そんなんやったらいらんわ。どうせたいしたことが書いてある訳ないねん。」(まあ、それは的確だけどほっといてくれ!)「それより、謝れ、この子は泣いて帰ってきたんやで。心療内科の医者は、ヒトの心を治すのが当たり前やろ?それが泣かすってどういうことや。謝れ。何であの子が欲しいという薬を出さへんねや。医者というのは患者が出してほしいという薬を出すのが当たり前やろ。心療内科の医者のくせに、何でそれができひんのや。」 「Tさんの出してくれといった薬は私は使った経験が全然ないのです。医者は出す薬に責任を持たないといけないでしょう?一切出さないとなんていっていません。今お持ちの睡眠薬の方が効きますよとお話したのです。そうでしょう?」私は後ろのTさんを見ながら答えた。 ところが親子はそんなお前の言い訳は聞きたくない謝れ謝れと口々に言い募った。さらにこの医者はこの頃金儲け主義に走っている、ちょっとはやってきたかと思って偉そうにしている、箕面市でも不正があると問題にしている見たいやなどと文句を言いに来た本題からどんどん外れて、言いたい放題がエスカレートしていった。待っていた患者さんはただならぬ様子におびえて帰ってしまう人が出てきた。「今診察中の患者さんを待たすことになる」と私が言ったとたん、診察室をノックもせずに明けて、もう20分以上も待たされている女性患者の後姿を憎憎しげに見つめ「あんな患者待たしといたらええねん。」という始末である。 スタッフだけでなく他の患者さんまで恐怖に陥れている現状を打開するには何とか親子にお引取り願わないといけない、ここは謝るしかないと判断した。しかし診療行為が間違っていたとは言ってはならない。 「Tさんのため正しく診療したけれどTさんが泣くほど不愉快な思いをしたというならそれは申し訳なかったと思う。」と頭を下げた。それでも親子はあることないことわめき散らし、こんなひどい医者に診てもらうだけ損やなどと叫びながらやっと帰ってくれた。 その日は妙に患者さんが少なくて、かれこれ40分ばかりクレーム対応に診断を中止していたが、待合室が込む様子はなかった。もし患者さんがいつも通りの割合出来ていたら大混乱になっていただろうとスタッフともども喜んだものである。クレーム対応に追われ40分も待ちぼうけを食らわせた患者さんがごくごく穏やかな患者さんであったのも幸いだった。診察を開始した私の言葉は心持震えていた。 妙に少ない患者さんの診察の合間にスタッフからは「先生さっきのTさんから何度も嫌がらせの電話が入るのです。」と言ってきた。最後のほうは院長の私の家族に対するまでの攻撃で「『そんなん関係ないと思います。』と言うときました」とも。このスタッフは健気で嬉しい事だ。 後で分かったが、この親子は散々われわれに毒づいた後クリニックの入っているビルの入り口でやってくる患者さんを捕まえては、「ここの医者はひどい医者だからこんなクリニックかからないほうがいい」と診察に向かう患者さんを無理やり押し返していたという。あの時は怖かったという患者さんが後で何人かおられた。妙に患者さんが少なかったのも訳があったのだ。さらにクリニックの郵便箱の名札が引きちぎられ地面に散乱していた。とんでもない人たちだった。 それにしてもなぜ要求した薬を出さなかっただけでここまで大騒ぎをしたのだろうか?親子の精神病理だと言ってしまえばそれまでだが、何か腑に落ちないものがありそれだけに何がしかの恐怖が残った。もちろんスタッフに対してTさんの嫌がらせ電話や診療の妨害行為に対するマニュアルをその晩のうちに作った。 幸い翌日以降は嫌がらせ電話も含めて何も起こらなかった。さらに数日してたまたまインターネットの中でTさんが前のクリニックでトラブルになった顛末が載っている掲示板を見つけ、その中で前のクリニックを罵倒していたTさんに対し、逆にお前が悪いという書き込みであふれていることを知った。 そうだったのだ。そのトラブルから受けた怒りを細々と淡々と診察しているわれわれに向けたのだ。それを知ってもうこれ以上私たちの文句を言ってくることはないだろうと安心した。 カルテ開示請求、そんなのはこんな小さなクリニックには無関係なんて思っていたが、油断大敵だった。診療もそしてそれを記録するカルテもいつ何時その正当性を問われることになるかもしれないのだということを肝に銘じておかねばならない時代になっていたのである。 |
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