D級京都観光案内 26 京都検定1級試験で京都観光案内
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昨年12月に受けた京都検定1級の試験で無事合格した。合格率10.4%と一昨年の1.8%に比べれば簡単だったせいもあるが、150点満点中134点89.3%というのはまあ自慢できる数字だ。記銘力はあまり衰えていないことは分かった。何よりも試験を要領よく受ける技はまだ衰えていないみたいだ。認知症にはまだ遠いと安心できそうだ。たかが京都検定、されど京都検定。私の京都観光案内にもちょっとお墨付きをもらった感じだ。
2年間にわたるD級京都観光案内が京都検定1級の楽しい受験対策テキストになっていたことを今回の1級試験問題を振り返りながら見ていこう。
(3)念仏が禁止され、法然・親鸞が流罪となった建永の法難は、後鳥羽上皇の女御二人が法然の弟子である住蓮・安楽のもとに出家してきたことがきっかけとなった。この女御二人とはだれとだれか。
19. 知恩院から吉水草庵安養寺
しかし法然75歳の時、後鳥羽上皇の若き女御松虫・鈴虫姉妹が専修念仏の教えに心酔し上皇不在中に法然の弟子住蓮・安楽のもとに駆け込み剃髪してしまった。激怒した上皇により住蓮・安楽はともに死罪となり、法然は讃岐に親鸞は越後に流されることになった(建永・承元の法難)。
(5)徳川家康譜代の家臣で、命を受けて伏見城を守るも小早川秀秋らから攻撃を受けて自刃した、正伝寺や養源院の血天井でもその名が知られる徳川方の総大将はだれか。
21.
鷹峯と医学の源流
この寺のもう一つの有名なものは血天井である。伏見城での鳥居元忠の討ち死にした時の廊下の床板を供養のために天井に移築したものだ。
(10)日本最初の洋風両切りたばこの製造・販売に乗り出して「煙草王」として名を馳せ、東山にロココ様式を取り入れた長楽館を建てた人物は誰か。
19. 知恩院から吉水草庵安養寺
長楽寺を辞し、もと来た道を西に行くとちょっと変わった建築物長楽館が見えてくる。外観はルネサンス風、内部はロココ、ネオクラシック、アールヌーボーが混在する洋館で、煙草王と呼ばれ後に財閥まで作った村井吉兵衛の建てた迎賓館である。
(20)今年(平成28年)、生誕300年を迎える俳人、与謝蕪村の墓や、蕪村が松尾芭蕉を偲んで再興した茶室がある寺院はどこか。
15. 金福寺、思わぬ出会い
金福寺は元禄年間に少し北にある圓光寺の鉄舟和尚が再興し、その末寺となったがそこにあった庵に鉄舟と親交のあった芭蕉がたびたび滞在したという。そこから芭蕉庵と言われるようになったが、85年後芭蕉を敬愛してやまなかった蕪村が、荒廃してしまっていたその庵を再興したと伝えられている。ここでたびたび句会を開いているのでこの寺で作られた蕪村の句も多数あるのだ。
(26)釈尊(釈迦)の生涯と前世での修行の物語を説いた伝記に絵がつけられ、上品蓮台寺や醍醐寺に残る奈良時代の物が国宝に指定されている経典は何か。
3. もう一つの小野篁と紫式部
ゑんま堂の北300mのところに上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)がある。車で行くなら十二坊交番前を左折し寺境内の駐車場に止めればいい。こちらは静かな境内で、もしその時ならば枝垂桜が咲き誇り、知る人ぞ知る隠れ桜の名所である。国宝絵因果経(現在は京都国立博物館に寄託)をはじめ重要文化財を多数所蔵している。
(27)京狩野の祖である狩野山楽と山雪が手掛けた方丈障壁画(重要文化財)のデジタル複製が5年かけて行われ、今年(平成28年)に完了した妙心寺の塔頭はどこか。
13. 天龍寺そして妙心寺
続いて北門近くの天球院を訪ねる。12年ぶりの特別公開で、京狩野派の絵師山楽・山雪親子(養子だが)の華麗な障壁画が美しい。「竹虎図」、「梅に遊禽図」、朝顔と鉄線の花を描いた「籬草花図」など、金地に映える鮮やかで濃密な色彩と垂直の線や曲線を活かした画面構成が見事な金碧障壁画で、創建当時の絢爛豪華さを今に伝えている、という。精密複製画に置き換えつつあって、現物が展示されるのは今回が最後という貴重な機会だった。
(28)与謝蕪村に俳句や絵画を学び、蕪村死後は対照的な画風の円山応挙にも影響を受け、その住まいから四条派と呼ばれる流派の祖となった絵師は誰か。
15. 金福寺、思わぬ出会い
蕪村の墓の近くには呉春の墓もある。呉春と言ってもあの大好きな池田の酒の「呉春」ではない。蕪村の南画の弟子で、四条派の呉春である。呉春すなわち松村豊晶は池田の地に因んで呉春と名乗ったのだから、酒の「呉春」といわれは一緒で勘違いしそうになったのも無理はない。
(39)鬼に強いと言われ、京町家の小屋根に祀られる風習がある魔除けの置物はなにか。
14. 相国寺そして洛中に
生麩、麩饅頭の店「麩嘉」本店がある。格子戸に大きな暖簾がかかっている。小屋根には鍾馗さんが祀られ、中二階の白壁には、虫籠窓(むしこまど)があるいかにも京町屋という風情だ。
(40)織屋の丁稚と織子のいがみ合いから起きた「撞かずの鐘」の伝説が残る寺院はどこか。
2. 御朱印集めと京都検定
またタクシーに乗って行きたかった報恩寺を目指す。千本釈迦堂といわれる大報恩寺とは違うと最近知り、「撞かずの鐘」とひょっとしたら特別公開でしか見られないかもしれないが「泣き虎図」があり、黒田長政、黒田如水ゆかりの寺でもある。
8⃣ 随心院について150字以上、200字以内の文章で書きなさい。
(「本尊」、「金剛薩捶坐像(重要文化財)の作者」、「『都名所図会』にも記された小野小町ゆかりの史跡」、「小野小町のもとに通い続けた『百夜通い』の伝説の主人公」、「3月に行われる今様を踊る行事の名称」を必ず含むこと)
11. 山科にも行かなくては
さあ次へ急ごう。車を元来た道を走らせ醍醐寺前を通り、醍醐道に沿っていくと随心院に到着する。(中略)本堂にはご本尊の如意輪観音坐像、快慶作の金剛薩捶坐像(重文)、伝定朝作の阿弥陀如来坐像(重文)をはじめ仏像がずらーっと並んでおり、書院の襖絵など見るべきものも多い。 何よりも随心院は小野小町ゆかりの寺として知られており、晩年の老いた姿を表す卒塔婆小町像や境内に文塚、化粧の井戸などの遺跡がある。小野小町は絶世の美女といわれたにもかかわらず生涯独身であったということから、「百夜通い伝説」が生まれることになる。その伝説の代表的なものはこうである。 小町の美しさに魂を奪われた深草の少将は、小町の愛を強要するが、小町は百夜通って満願の日、晴れての契りをむすぶことを約した。深草に住む少将は5㎞離れた小町のもとに99日まで通い(毎日榧の実(かやのみ)を小町邸に置くことによって日数を数えたという)、最後の晩、大雪のため途中で凍死してしまうのであった。(中略)そして3月の最終日曜日に境内の特設舞台で菅笠に梅の造花を挿した少女たちが今様を舞う「はねず踊り」が行われる。
どうです、D級京都観光案内を読んでいたら京都検定1級受験に結構有利だと分かってもらえましたね。裏を返せば、京都検定1級の試験問題がちょっとディープな京都観光案内になっているということですよね。それもそのはず京都検定の正式名称は京都・観光文化検定試験なのだから。
私が出会ったおいしい食べ物、これはD級すぎて京都検定で出題されるわけがない。となるとD級京都観光案内で触れねばならないと使命感さえ持ってしまう。
こうして「京都の奥深い魅力を新たに発見する」ことに取りつかれた私のD級京都観光案内はもう少し続けさせていただこうと思っている。ご迷惑にならない程度に。
そして私も京都検定受験をしてみようという方がおられたら、より詳しくしかも的確な京都検定1級受験必勝法を伝授しますのでどうぞお気軽にお申し出ください。まあどなたもいないと思うけど。
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