D級京都観光案内 25

舞鶴・宮津の寺社巡り

   

 

 西国三十三か所巡りの京都市及びその近郊には第10番三室戸寺、第11番上醍醐准胝堂、第15番今熊野観音寺、第16番清水寺、第17番六波羅蜜寺、第18番六角堂頂法寺、第19番革堂行願寺、第20番善峯寺、第21番穴太寺(あなおうじ)そして番外元慶寺の10ヶ寺があるが、さらに遠くの京都府内に拡げると宮津市の第28番成相寺(なりあいじ)と舞鶴市の第29番松尾寺(まつのおでら)がある。

 三十三か所巡礼完全制覇を目指すものとしては、この2つを外すわけにはいかない。平成277月京都縦貫道が全線開通したので舞鶴・宮津にはよほどの混雑時期でない限り渋滞なしで行けることになった。中国道は週末には宝塚トンネルから長い渋滞がある。そんなときでも大山崎JCから京都縦貫道を行けば渋滞に巻き込まれることはまれである。茨木まであるいは高槻バス停あたりで渋滞しているときは、箕面トンネルから摂丹街道を行き、亀岡インターから入ればストレスは大分減る。

 そうは言うものの宮津・舞鶴は遠方である。一つのお寺だけを目指すのはもったいない。ちょっと欲張って何カ所か尋ねてみよう。それにうまい食べ物に巡り合えればもっと幸せだ。

となると11月中旬に舞鶴を訪ねてみよう。117日のズワイガニ解禁の日以後で、紅葉が見ごろの時が最高だ。

京都以西で水揚げされるズワイガニは松葉ガニと称せられるが、舞鶴湾で採れたものは舞鶴ガニ、間人漁港で水揚げされたものは間人ガニと呼ばれ特に高級とされる。緑色のワッペンをつけているのがその目印だ。舞鶴とれとれセンターが大々的に宣伝していて確かに大規模なのだが、お得な買い物をしたつもりがロシア産のカニだったりということもあり、近所の人相手の地元の鮮魚店で買い求めるのが賢明だ。JR西舞鶴駅前や西舞鶴高校の近くの鮮魚店がおすすめである。

カニ以外にもいろんな魚やイカ、これらは全部料理しやすいようにさばいてくれるし、自家製の干物もなかなかうまい。

11月ではなくて67月頃なら京都ブランド産品である丹後とり貝を買うこともできる。ものすごく肉厚で大きく、何より新鮮だ。

鮮魚店を後にして、西舞鶴駅から北にすぐのところに舞鶴田辺城跡(田辺城資料館)がある。戦国の世、明智光秀とともに織田信長に仕えた細川藤孝(幽斎)は丹後の守護大名一色氏を滅ぼした功によりその地を与えられ、はじめ宮津城を築き、後により京都に近い交通の要所である当地に田辺城を作り居城とした。

藤孝の子忠興と明智光秀の娘玉は織田信長の命により結婚した。明智光秀と細川藤孝親子はこのような姻戚関係にあったにもかかわらず、本能寺の変後光秀からの援軍の要請をこの田辺城で受け取った細川親子はそれを無視し羽柴秀吉についたのである。

秀吉没後徳川家康率いる東軍と石田三成の西軍が関が原で激突することになるが、細川忠興は家康の東軍につくべく関が原に赴いていた。西軍は手薄になった田辺城を15千の軍勢で攻略したが僅か500人でそこを守っていたのは隠居となっていた細川幽斎だった。50日の籠城作戦ののち落城自決を覚悟した幽斎を救ったのは、彼が当代きっての文化人でもありとりわけ歌道の第一人者であることを知っていた後陽成天皇からの停戦勅命だった。

一方父光秀の謀反の件で丹後の山奥に幽閉されたのち秀吉の許しを得て忠興と再婚という形で妻の座に戻った玉は洗礼を受け細川ガラシャとなり、大坂城の西、玉造の細川屋敷に住んでいた。関ヶ原の合戦が起こり、西軍はガラシャを人質に取るべく細川屋敷を取り囲んだ。人質になることを拒んだガラシャは自害することは神の教えに背くと家老に槍で胸をつかして死んだという。

ガラシャの辞世の句はあの有名な「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」である。

まあお城の模型のようなこぢんまりとした建物だけれども、展示物を見ながらかつてのさまざまの人の動きに思いを馳せるのもいいものだ。

田辺城資料館から北上し大きな交差点を右折すると国道27号線(丹後街道)を東に行くことになる。途中商店街が現れるが、ここらあたりが東舞鶴の中心街なのだろう。そのあたりで左折して海側に行くと、旧海軍の施設跡地である舞鶴赤れんがパークにやってくる。さらに湾沿いに北に上がると2015年ユネスコ世界記憶遺産に登録された「シベリア抑留体験の記録」等を展示する舞鶴引揚記念館もある。

丹後街道をまっすぐ進み15分も車を走らせると金剛院口という信号があり、それを右手山側にやや細い道を行くと5分もしないところに関西花の寺第3番金剛院がある。細川幽斎が植えたといわれる全山5000本にも及ぶカエデの秋の紅葉は素晴らしいものである。室町時代創建の三重塔が赤や黄の紅葉に染まる姿は花の寺の名に背かないものだ。この三重塔は三島由紀夫の「金閣寺」の中で放火僧の少年時代の心的風景を暗示する道具として使われている。

あまり誰も入らないが500円を払って宝物殿に行くと、平安時代後期の阿弥陀仏如来坐像、多聞天立像、増長天立像、さらに鎌倉時代の快慶による力強い深沙大将立像、執金剛神立像と国の重要文化財に対面することができる。思いもかけずこんな辺鄙なところにこんな立派な仏像があったとはと感動してしまう。

もと来た国道まで戻る。国道を走らせて5分も行くと、松尾寺への案内板があり、左側に枝分かれした道に沿って行く。この道は何年か前の豪雨で崖崩れを起こし通行止めになったこともあるが今は状態よく舗装された山道だ。ただ寺の駐車場は狭い。

寺伝によれば1300年以上前、和銅元年(708年)唐の僧が馬頭観音菩薩を感得し草庵を結んだことに始まるという。平安時代には、鳥羽天皇や皇后美福門院の帰依を受け、寺坊65を数えるほど隆盛を誇ったとある。美福門院の念持仏と伝わる普賢延命菩薩像(絵画)が国宝に指定され、霊宝殿が特別公開される春秋期に拝観することができる。石段を登って行ったところにある本堂にはご本尊の秘仏馬頭観音菩薩像がある。2008年、開山1300年に当たり77年ぶりの御開帳があったが、次の御開帳は33年後といわれている。2041年ごろで、私は95,6歳になっていてまだ車の運転もできるようなら33ヶ寺中唯一の馬頭観音を拝みに来てみよう。

境内にはいろいろ古い建物が立っており、巨大な杉が何本も空に向かって生えている。このうち1本が雪の重みで倒れて参道をふさいでしまい大変だったと霊宝殿で説明してくれる老女が言っていた。その霊宝殿には先の国宝以外孔雀明王像の仏画、快慶作の阿弥陀如来坐像などがある。ここでも快慶に出会えるとは驚きである。

58日には釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来の面をつけた6人が雅楽に合わせて舞う、仏舞(ほとけまい)がある。国の重要無形民俗文化財に指定されていて、その時使われる仏面も霊宝殿で見ることができる。

今日の旅はこれでおしまいだが、帰ってカニ鍋をするときの新鮮具材も買いたい向きはわちICで降りて道の駅「和 なごみ」によればいい。ここでは丹波ワインの鳥居野(赤、白)もゲットできるが、もっとこだわれば地道で丹波ICに行く途中の豊田というところにある丹波ワインのワイナリー兼直売所に寄ればいい。今日はこれでおしまいである。

宮津の寺社巡りに移ろう。

京都縦貫道をまっすぐに進み宮津天橋立ICを越え与謝天橋立ICで降りるのが成相寺に行く最短コースだ。国道178号線に沿って与謝野町役場前を通り、右手に海を見ながら進むと成相寺の大きな案内表示があって左折して山のほうに向かう道を行く。松尾寺に向かう山道に比べ道幅も広く勾配も緩やかだと思っているうちに、急激に勾配はきつくなり物凄いヘアピンカーブを23度と回ることになる。

駐車場から歩いて本堂に向かうがこれまた急な石段が待っている。本堂には秘仏の聖観音像がある。33年に1度の御開帳だが、西国巡礼草創1300年記念事業でひょっとして見れるかもしれない。当寺のホームページで確認しておこう。身代わり観音の伝説がある。雪中の修行で何日も堂に閉じ込められ飢餓状態になった僧が何を食べるものをと観音様に祈ったところ、傷を負った鹿(一書には猪)が堂内に迷い込み、両内腿の肉を切り取り鍋で煮て食べ命を取り留めた。翌朝鍋を見ると木片が浮いている。そして観音像の両内腿が削られている。これは観音様が鹿になり自分の身代わりになって助けて下さったのだと、木片を観音様の内腿に押し当てただただ祈ると観音像は元に戻ったという、こんなお話だ。だから成り合い寺といわれるようになったのだと。

本堂のほかに鐘楼、梵鐘(撞かずの鐘の故事がある)、かつて使われていたという鉄湯船(てつゆぶね)、五重塔などがある。駐車場から車で5分上ったところに展望台が設けられている。眼下に天橋立が一望できるし、360度の大パノラマだ。

山道を降り国道をさらに進むと土産物屋が立ち並ぶ傘松公園に行くケーブルカーの駅近くにやってくる。土産物屋の呼び込みを振り切ってさらに進むと元伊勢籠神社(このじんじゃ)に来る。駐車場があるのでここに停めよう。

丹後の国一の宮であり、伊勢神宮が一時期置かれた元伊勢の一つだ。本殿は伊勢神宮と同じ神明造である。立派な狛犬があり重要文化財だという。拝観することはできないが、国宝海部氏系図(あまべうじけいず)を所蔵する。日本で最古の系図というのが国宝である所以だ。

北東400mの山すそに境外奥の院 眞名井神社があり、眞名井の水というご神水が湧き出ている。地元の人が大きなポリタンクに一杯入れていた。名水なんだろう。

ケーブルカーに乗って傘松公園に行き、イグノーベル賞の股のぞき効果を確認するのは成相寺からの光景を堪能したからスルー。

国道を戻り、湾沿いをぐるりと回って天橋立の逆の根元にある知恩寺も訪れよう。その途中天橋立ワイナリーがあるので立ち寄ってみる。醸造所見学、レストラン、ワイン直売所、それに丹後野菜直売所もある。ブドウ作りにこだわり、その生ブドウからだけで作ったワインであるというのが売りのようだ。

カニや新鮮な魚を買いたいところだが、このあたりの地元密着鮮魚店はまだ開拓できていない。観光客相手の店でそれなりに地元産の物も売っている店で我慢しないと仕方ない。

知恩寺の御本尊は文殊菩薩であり、獅子に乗る文殊菩薩の木像は秘仏とされ正月三が日、110日、724日の年5日しか拝観できない。できるものならこの日に宮津にやってきたいものだ。


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