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続D級京都観光案内 18

三室戸寺の宇賀神

蛇を神使としている社寺の訪問記の第2弾である。

宇治の三室戸寺は西国三十三カ所霊場第十番目の札所であり、45月のツツジ、6月のアジサイ、11月の紅葉で有名な寺だが、まだまだ見どころ一杯の格式高い寺院である。

三室戸寺駅へのアクセスは、電車なら京阪三室戸駅下車・徒歩15分、JR宇治駅よりタクシーとある。車で行く場合、名神大山崎JCで京滋バイパスに入り、宇治西ICで降り、宇治川沿いに走り宇治橋を渡っていくか、宇治西ICを降りて一度左折し黄檗方面(萬福寺)を目指し、黄檗で南下していけば案内板が三室戸寺の門前に誘導してくれる。門前にはタイムズの駐車場があり2時間1,000円でとめればよい。

「左 みむろと寺」の自然石の道標から参道に入るが、100mほど進んだところに、「西国十番 三室戸寺」という立派な石の寺標がある。そこから山内に入るわけだが、戦川という小さな川があり、「蛇体橋」「じゃたいばし」という、気づかず通り過ぎるような橋がある。

なぜこんな小さな橋に注意を喚起するかというと、三室戸寺に宇賀神が鎮座している由来と関係するのだ。これについては後で触れる。

すぐ右手に参拝受付がある。ここで拝観料1000円を払って入山だ。参道を行くと、ほんのすぐ左手に小さいながらも立派な鳥居があり、その向こうは一対の狛犬を従えた小さな赤い祠がある。鳥居の縣額には「新羅大明神」とある。鳥居の前には「新羅大明神祠」と書かれた石碑がある。「貞観年間天台宗座主智証大師が疫病退散のため勧請し、本堂東にあったものを、昭和303月ここに再建する」とある。

結構凄いことが記されている。貞観年間といえば清和天皇の御代、京都を中心に全国で疫病が流行し、これは悪霊の祟りと恐れられ、それを鎮めるために初めて神泉苑で御霊会が執り行われ、それが祇園祭の起源となったのである。智証大師すなわち円珍は唐留学から帰る船の船首に現れた新羅大明神を自らが再興した園城寺(三井寺)の守護神とした。そしてこの地にも新羅大明神を勧請していたのだ。新羅大明神というのは聞いたこともなかったが、それもそのはず、三井寺にしかその像は存在しないらしいのである。

そこからまっすぐ参道を行くと立派な朱塗りの山門にやってくる。紅葉の季節なら、参道の両側にも色づいた紅葉があり、山門をくぐって本堂に向かう石段をのぼっていくと、右手にも左手にもそして前方にも赤く染まる紅葉が広がり、誰もがこの素晴らしい光景を写真に収めようとしている。石段をのぼり切ったところに宇賀神は祀られている。

4重にとぐろを巻いた蛇の頭はにこやかに笑う老人になっている。狛蛇というべき存在だ。「耳を触れば福が来る、髭を撫でると健康長寿、しっぽをさすれば金運がつく」とある。まあコロナやインフルエンザがはやっている時期には触るのは控えるのが賢明だが、私が参拝した時はどちらも下火だったもので、つい触ってしまった。元気な私を見かけたら、宇賀神さんの御利益はあるものだと思って下さい。

本堂には秘仏の金銅千手観音菩薩立像が安置されている。

本堂の前には狛牛とも言っていい、宝勝牛という口中に石の玉をくわえている大きな牛の石像がある。石像の腹のところに覗き窓があり、そこから体内を覗くと小さな牛の木像が見えるという。

三室戸寺のホームページには、宝勝牛について赤塚不二夫の漫画でそのいわれが語られる。バカボンのパパが「ここの滝に打たれて、千手観音様を欲しいのだ。」とやってくる。老僧がこの寺いわれをまず語り、次いで、宝勝牛について説明する。「昔、宇治の里に何某というお百姓が住んでいた。やっと手に入れた子牛は虚弱で、農耕にも使えなかった。それでもこの寺の観音詣でに連れてきては、境内の草を食べさせていた。ある時牛は苦しみながら堅いものを吐き出した。そのお百姓はその球をきれいに洗ってから大事にとっておいた。その後、牛はぐんぐん元気になりたくましく育った。それを聞きつけた欲深の男が自分の牛と戦わそうと闘牛を申し込んできた。なんとその戦いに勝ってしまい、そのお百姓は100貫という賞金を貰い、それを元手に牛の仲買をして財を成し、里一番の大金持ちになった。年老いて仏門に入り、牛の木像を作らせ、その体内に玉を納め、三室戸寺に奉納した。」

このことから勝ち運の牛とされ、「牛の口の中にある玉に触ると勝ち運がつく」と説明文がついている。

バカボンのパパが「千手観音様がほしいのだ。」と言ったのに、老僧はこう答えている。「宇治山の奥の岩淵の滝から出現された金銅の千手観音さまを宮中に迎えられたのち、光仁天皇は宇治の離宮にその千手観音様を祀られ、御室戸(・・・)寺とされた。その後も花山天皇、白河天皇と三帝の離宮になったので、御が三となり、三室戸寺になったのです。」

本堂前には狛牛に対峙して大きな狛兎がある。仁徳天皇の弟、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が兄に皇位を譲り河内の国から宇治に来た時に、道に迷った皇子をウサギが道案内してくれたという故事によっている。皇子を祭神とする宇治神社でもウサギを神使とし、ウサギの手水がある。こちらの狛兎は高さ150㎝の御影石製で、大きな玉を抱えていて、その中の卵型の石をうまく立てることができれば昇運がつくといわれる。まあこのお寺は縁起担ぎをする小道具に事欠かないみたいだ。

小道具などと失礼なことを言ってしまったが、なぜ宇賀神像が狛蛇として安置されるようになったかの言い伝えを説明しないといけない。

近郊の村に三室戸寺の観音様を信仰する心優しい娘がいた。ある日村人がカニを殺そうとしているのに出くわし、「干物をやるからカニを逃がしてやってくれ」とカニを助けてやった。その後ある日、その娘の父が畑に行くと蛇が蛙をのみ込もうとしていた。父親は「蛙を離しておやり。離したら私の娘をやるから。」と蛇に言った。蛇は蛙を放し、藪の中に消えた。その夜、蛇はりりしい若者に姿を変えて父親のところにやってきて、「約束通り娘を貰いに来たぞ。」びっくり仰天した父親は「たのむから3日だけまってくれ。」3日後、娘は家の戸を固く締め、恐怖に震えながら一心に観音経を唱えていた。外ではしびれを切らした若者は蛇の姿に戻り、尾で戸を打ち破った。「観音さま!」と娘が叫んだ途端、忽然と多数のカニが現れ、蛇を打ち負かした。翌日、娘は三室戸寺に御礼参りに来た。本降りの雨の中、参道に差し掛かると背後に何やら気配がした。振り返ると橋の上に蛇が横たわっていた。 蛇は悲しげな目で娘をじっと見つめると、橋の裏側にまわり、ふっと姿を消した。この橋を蛇体橋というようになった。後日、娘は蛇を供養するため、蛇の姿をした『宇賀神』を奉納したと伝えられている。

これで三室戸寺に宇賀神像があるかが分かったが、「蟹の恩返し」伝説は木津川市山城町綺田(かばた)にある蟹満寺にもほぼ同様に伝わり、今昔物語、日本霊異記にその原典はあるとされる。こちらでは蛇は千々に切り刻まれていて、供養されたという話はない。

「蟹の恩返し」伝説は南山城地方に多く存在して、三室戸寺と蟹満寺のちょうど中間点辺りの城陽市久世神社にも「カニ池の蟹を助けた娘が蟹たちから恩返しされる」言い伝えが残っているようだ。

元の話は今昔物語に載っているぐらいだから平安時代から言い伝えられたのだろうが、なぜ南山城地方の多くの地域に言い伝えが残っているのだろう。南山城地方といえば山城国一揆で有名な農民たちが守護大名を追い出して8年もの間、農民自治を守った土地柄である。蛇というのは守護や地頭のことで、けなげな娘を奪い取ろうとする彼らを、蟹のごとき弱い存在でしかない農民たちが一斉蜂起してやっつけたという寓話として伝え続けたのだというのは考え過ぎだろうか。

さあ境内の案内をしよう。紅葉の季節なら、境内全体がモミジの赤で染まる。境内から特に休憩所あたりから境内の下方を見下ろすと、素晴らしいモミジの美しさだ。

本堂のすぐ右手には阿弥陀堂がある。本堂の前からこの阿弥陀堂の前まで、ずっと蓮の植わった鉢が置かれている。満開の頃はさぞや見ものだろう。その7月上旬にはハス酒を楽しむ会が催される。先着300名で、蓮の葉を盃にして酒を注ぎ、茎より飲む。酒に蓮のエキスがしみ出て、健康・長寿に効ありと伝えられている。

阿弥陀堂の横には「浮舟の古蹟」の石碑がある。源氏物語宇治十帖の薄幸のヒロイン浮舟を顕彰するものである。かつては「浮舟社」という祠があったらしい。

室町時代の遺構である鐘楼があり、高さ16mの朱塗りの三重塔がある。元禄17年建立の塔であり、この朱色は紅葉の赤によく映える。

本堂から階段を下りたすぐのところには枯山水の石庭がある。それは池泉回遊式の庭園につながっていく。ドウダンツツジもことのほか赤く燃え、その美しさにため息が漏れる。中根金作による作庭だ。

215日から3月下旬までしだれ梅園が開園する。入場料1000円である。参道から左にそれたところに梅園はある。

4月に入ると久留米ツツジ園が開園し、1万株の久留米つつじ、赤・白・ピンク・紫の4色の花が咲く4月中旬になると平戸ツツジ園も開園する。2万株があり、つつじの規模は近畿では指折りのもので、紫・ピンク・白の花が見事に咲き誇る。例年はゴールデンウィーク前後に満開になるようだ。どちらも入場料1000円だ。

5月末からアジサイ園が開園する。2万株のアジサイが杉木立の間に咲く様は紫絵巻のようで素晴らしい景観だという。 西洋アジサイ、額アジサイ、柏葉アジサイ、幻の紫陽花・七段花等50種が咲き乱れ、『あじさい寺』とも称されている。アジサイの名所として有名だ。入場料は1000円だ。

6月にはアジサイ園のライトアップも行われる。ライトに照らし出されたアジサイは幻想的だと寺のホームぺージには書いてある。

なおこの寺の所有仏像には、阿弥陀三尊像、釈迦如来像、毘沙門天像、浮舟観音とどれも平安時代の仏像がある。これら仏像の開帳は毎月17日午前9時より30分間だけあるという。とてもじゃないが行けそうもない、残念だ。

この三室戸寺の近くには黄檗山萬福寺もある。そこも広大な敷地で見どころ満載なのである。

  

 


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