D級京都観光案内 50 南山城の古寺巡礼
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京都盆地は大和政権ができる頃には「山代」といわれ、8世紀畿内制度ができると「山背」の字があてられた。桓武天皇が京の地に都を遷し、「平安京」と名付け、国名も「山城」に変えられた。以来京都府の京都市以南の地域が山城と称されてきた。その中で木津川流域の南部地域は南山城と呼ばれる。
奈良時代、東大寺大仏建立の前に聖武天皇は平城京からこの地に恭仁京(くにきょう)を置いている。都はその後、紫香楽宮(しがらきのみや・現在の信楽)、難波宮と遷され、結局また平城京に戻った。木津川の水運もあり、奈良の文化・宗教の影響を強く受けてきているのである。南山城の地に素晴らしい仏像を所蔵する寺が多いのはこうして頷ける。
現在、木津川市加茂町恭仁小学校のすぐ隣に史跡 恭仁京跡(山城国分寺跡)がある。大極殿(金堂)礎石と七重塔礎石が残り、周辺では晩夏から秋にかけて、蕎麦の花、彼岸花、コスモスが見頃となる。ここにたたずみ、しばし1300年の時の流れに思いを馳せるのもいいだろう。
このあたりは瓶原(みかのはら)と呼ばれ、百人一首 第27番 中納言兼輔 みかのはら わきて流るる泉川 いつみきとてか 恋しかるらむ (瓶原に湧いてそしてそれを分けて流れる泉川(木津川)ではないが、いつあなたに会ったのかいや会ってもいないのに、なんてあなたのことがこうも恋しいのだろう)と登場する場所である。
ここに鉄道で行くとなると、JR大和路線加茂駅まで行くことになる。千里中央からだと地下鉄・JRを乗継いで1時間半強、阪急箕面駅からだと阪急・地下鉄・JRを使って2時間弱かかるようだ。車で行く場合、名神から大山崎JCで京滋バイパスに入り、久御山JCから第2京阪を南下し、最近開通した新名神を経由して京奈和道に入るとあとは最終の木津ICで降りればよい。名神に入ってから全く信号なしで目的地近くまで行けるので案外近い。
海住山寺への案内板には事欠かないから。それに従って、山に通じる道を行けばいい。田畑の間を走っているうちはいいが、登って行くうちに両側に人家が接していて、えらく狭い。現に私は車の前バンパーを擦ってしまった。それに物凄いヘアピンカーブも待っている。その難関を乗り越えると、広い駐車場があって、ゆっくり歩いて本堂のある境内に向かう。立派な国宝の五重塔が迎えてくれる。
本堂の十一面観音立像は168㎝の高さがあり、ほぼ全身を一材から彫り出されている。平安時代の作。顔は面長で、目は細く、独特の神秘感が漂うと言われる。四天王立像、そして奥の院の十一面観音立像(秋の特別公開で拝観できる)も重要文化財である。。
東大寺大仏の造立工事の無事を祈るため、聖武天皇の勅願により東大寺別当・良弁(ろうべん)を開山として観音寺として開創された。鎌倉時代に入り、笠置寺にいた解脱上人・貞慶が廃寺となっていた観音寺に移り住み、再興して、補陀洛山 海住山寺と号した。補陀洛山は南海に浮かぶ極楽浄土の地であり、この山から見下ろす景色を南海に浮かぶ浄土になぞらえ、山寺号をこう名付けたのだろう。
貞慶の1周忌供養に建てられたのが国宝・五重塔である。
海住山寺から下ってきてJR加茂駅の近くに現光寺はある。近くにと言っても徒歩18分かかる小高い山の上にある。観音様の姿形はほぼ立像と言っていいが、珍しい坐像が当寺の収蔵庫にある。目が細く端正な顔の十一面観音菩薩坐像である。特別公開の時にしか拝観はできない。ただ10人以上の事前予約で拝観できるようだから、有志10人を集めれば特別公開を待たずに拝観できるだろう。御朱印は先程の海住山寺でいただける。
JR大和路線の加茂の次は笠置で、8分で着く。ただ1時間に1本しかない。車では国道163号線を南山城村方面にどんどん進み、「キジ料理 松本亭」の案内板のある笠置大橋で木津川を渡ると、笠置駅近くにやってくる。笠置寺への標識に従って道を曲がると、急こう配の曲がりくねった山道が待っている。この道を行くことになる。対向車が来ないか冷や冷やしながら行くが、まず1台にもあわずになんとか広い駐車場にやってくる。
寺に続く石段の入り口に松本亭があるので、キジの釜めしを頼んでおけば帰りにまで焚き上げておいてくれる。家に帰ってからすごく楽しみにして食べたのだが、普通の鶏めしに比べてずいぶん淡白だったという印象だ。
石段を上がりきると笠置寺の山門があり、毘沙門天立像を祀る毘沙門堂があるが、残念ながら特別公開の時しか拝観できない。この寺の御本尊は巨石に彫られた弥勒磨崖仏である。1周800mの修行場めぐりで拝観することができる。
笠置山は2000年前から巨岩に神が宿るとされた「磐座(いわくら)信仰」の聖地だった。1300年前に東大寺の良弁らによって、大岩石に仏像が彫刻され、それを礼拝するために本堂・正月堂が建立された。第1回の観音悔過の法要が行われ、東大寺「お水取り」の発祥の地とされる。
その後奈良旧仏教の立て直しを図るべく、笠置寺において貞慶が戒律を重んじ修行に励み、ここ笠置山一帯が一大修行場となったのだ。その後海住山寺に移ったのは前に触れたとおりだ。
弥勒磨崖仏は戦火で焼かれ、現在は光背しか残っていない。でもさらに進むと12mの巨石に彫られた9mの伝虚空蔵菩薩磨崖仏がある。こちらは戦火から逃れそのお姿を拝むことができる。
順路を進むと、修業場巡りらしく、胎内くぐり、太鼓石、揺るぎ石、平等石、そして蟻の戸わたりとちょっとした難所が続き、後醍醐天皇行在所がある。南北朝の皇位争いに端を発して、鎌倉幕府打倒を目指した後醍醐天皇がこの地笠置山に追い込まれ、徹底抗戦を図ろうとした陣地跡である。弥勒磨崖仏が焼かれるほどの激戦の後、後醍醐天皇は敗れ、隠岐に流される(元弘の乱)。その後隠岐を脱出し、奇跡の復活を遂げ、建武の新政を行うことになる。
芭蕉ではないが、夏草や兵どもの夢の跡と心の中で往時を偲んでしまうのである。それにしても昔の人は偉かった。戦いのためとはいえ、こんな難所に、天皇みずからが登ってきて陣地を造るのだもの。攻める方も攻める方で、上から巨石を転がり落されるのをもろともせず戦うのだからなあ。
キジの釜めしをゲットして、次の浄瑠璃寺、岩船寺に向かう。この二つの寺は奈良県との境に近い、当尾(とうの)の地にある。当尾の地の成り立ちについて、木津川市観光ガイドから引用してみよう。
「木津川市内東南部の加茂町当尾(とうの)地区は古来、南都仏教の影響を色濃く受け、世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が隠遁の地として草庵を結び、念仏に専心したと伝えられている。やがて草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び『塔の尾根』ができ、いつしか『当尾』と呼ばれるようになった。」
修行を重んじ世俗化を嫌う奈良の心ある僧侶たちは、良弁、貞慶に倣いこの地に来て、石仏や石塔を造り修行に励んだのだ。
浄瑠璃寺は平安時代後半、阿弥陀浄土信仰の形式を残し、九体阿弥陀像の現存する唯一の寺である。九品とは人の往生の仕方には、生前の生き方に従って、上品、中品、下品の三段階があり、それぞれに上中下の3通りがあり、結局三三九品(3×3の9通り)の浄土があり、それを迎えてくれる9体の阿弥陀仏があるという思想である。まあ9体揃えばどんな人も浄土に行けるというものである。
小さな山門に続く参道わきには白い小さな花を咲かせるアシビがある。山門をくぐると中央の宝池を挟んで、西側(右側)には、9体の阿弥陀仏を安置する本堂(国宝)があり、それに正対する池の東側には薬師如来を祀る三重の塔(国宝)がある。この庭園様式は「浄土庭園」であり、平等院庭園と同じ様式で、過去世から送り出してくれる薬師如来の力を借りて、西方浄土の理想の地に阿弥陀如来に迎え入れてもらおうという願いを表す作庭になっている。
本堂の中は薄暗いが、9体の阿弥陀仏像(国宝)が並び壮観である。中尊は丈六(約224㎝)、両側に4体ずつの半丈六(約112㎝)像。(ただし修理に出て1,2体欠けることあり。)さらに子安地蔵菩薩像、不動明王三尊像、国宝四天王像のうち持国天と増長天(多聞天・広目天は国立博物館に寄託)がある。三重塔内の薬師如来像、北側にある灌頂堂の大日如来像、さらに本堂内の吉祥天女像は秘仏で、特別公開日しか開扉されない。
この寺の近くで食べるところを探そう。門前にある「塔尾茶屋」はひなびた峠の茶屋という感じ。参道の向かいにある「あ志び乃店」では田舎料理、そば、わらび餅が食べられる。参道に通じる少し広い道路に沿って小さな古民家を改造した「吉祥庵」はそれは風情のある店だ。そばとぜんざいといかにも素朴な字で書かれ暖簾が出ているので、期待して入ったが、冷たい蕎麦はせいろ蕎麦だけ、暖かい蕎麦はにしんそばだけという。2月の寒い日だったのでにしんそばを食べざるを得なかった。室内のしつらえは申し分なかったのだが、メニューが2品しかないのは寂しかった。
ここから次の岩船寺までは徒歩で行けば、35カ所の90もの石仏、石造物からなる石仏の里を散策することもできる。
車で道なりに行けば、10分もしないうちに、岩船寺前の駐車場につく。山門に続く石段の前には巨岩をくりぬいて作った石風呂桶がある。ここで僧侶が身を清めたと伝わり、岩風呂から寺名岩船寺がついたと言われるが、ちょっと怪しいらしい。岩船寺は花の寺、特にアジサイ寺とも言われ、境内のあちこちに四季折々の花が咲く。アジサイは5000株を数えるそうだ。
門をくぐって左手には石室があり、背面には不動明王が刻まれている。その横には鎌倉時代作の2m余りの五輪石塔がある。境内のあちこちにはいろいろな石仏がひっそりと置かれている。
本堂には高さ285㎝の阿弥陀如来像が祀られている。周囲には四天王像が祀られ、白い象にのった普賢菩薩騎象像も厨子の中に祀られる。頭に干支の動物をつけた十二神将像もある。高台には重文の鮮やかな朱色の三重塔がある。三重塔の四隅の垂木を支えるユーモラスな木彫、隅鬼がおり、本堂内で昭和18年の大修理時に取り外された隅鬼を見ることができる。
特別公開日には秘仏・如意輪観音菩薩、秘仏・弁財天、秘仏・羅刹天が拝めるし、秘宝公開日には岩船寺縁起、両界曼荼羅などが公開されるほか、三重塔初層が特別に開扉される。公開日は限定的だから前もってよく調べてから参拝しよう。
ここの駐車場前にもそうだが、当尾の散策路には、地元の人が作った野菜、柿、漬物などを吊るして売っている吊り店がある。代金は料金箱に入れればよい無人の農作物販売所だが、ぶら下げられているのが面白い。
大分強行軍の古寺巡礼になったが、まだまだ6か寺もある。もちろんこれは次号に回すことにする。
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