2026年私のクリニック



 

 今日も待合室は閑散としている。診察室の椅子からよっこらしょと立ち上がり窓の下に目を落とすと駅から滝に向かう人々の姿はまばらである。11月の終わりというのに箕面の紅葉を目当てに駅を降り立つ人はめっきり減ってしまったものだ。11月の終わりといえば私が開院した頃はそれはすごい人の波だった。地球温暖化はどんどん進み、12月でもTシャツ1枚で過ごせる日があるくらいだから紅葉がぜんぜん美しくなくなり公園の魅力もなくなってしまったのだ。公園が魅力をなくしたのはそのせいばかりでなかった。閑静なたたずまいの中にある料理屋として評判だった箕面つる家の跡地に反対運動を押し切って8階建てのマンションが建てられ、箕面の名木の一つの大欅も切られてしまった。その後堰を切ったように滝道沿いにマンションが建設され、あたりの景観は失われてしまった。観光で生計を立てていた人がどんどん撤退するということが起こってきたのだ。観光にとっての景観という大事な柱を忘れてしまって、目先の利得、開発などを進めた付けが回ってしまったのだ。

 それにしても今日は誰もやってこない。箕面市は人口15万人と開院の頃に比べて1.2倍に膨れ上がったけれど増えたのは北部の方で、このあたりはむしろ人口は減っている。新都心計画とやらで行政から商業から中心はすべて東に移動してしまった。それに何より大きいのは精神科クリニックが15軒もできたことだ。箕面市内には20世紀には3つの精神病院があって総計900床がすべて閉鎖病棟にあったけれど、今では50床ずつの急性期精神病院に変わっている。慢性期の人たちの受け皿としてのサテライトクリニックもたくさんできたし、パニック障害専門クリニックもあるし、精神美容クリニックもあれば癒しのセンタークリニックもある。新しいタイプの精神科クリニックは新都心あたりに集中していて、当院の近くの人もたくさんそっちのほうに出向いているようだ。

 自分の口から言うのもなんだがこのごろ私は患者さんの話を聞くということに関しては本当に円熟してきた。開院したての頃、ついつい患者さんの話をさえぎって、みなまで言うなあなたはこうこうで苦しいんでしょと私のほうが先回りしてしまったものだ。診察をもう切りたいなあと思うと、知らず知らず私は通院精神療法のゴム印に手を伸ばし、おもむろにカルテにぽんと押したものだ。これはあなたの診察は終わりですよという合図になっていて患者さんはしぶしぶ立ち上がるのだった。直さねば直さねばと思いつつ、効率よく患者さんをさばきたいという心境と、生来のおしゃべりが災いして患者の話を傾聴することができていなかった。ところがどうだ。この12年は本当に患者の話に耳を傾けられるようになってきた。それはいいのだが耳のほうもどんどん遠くなってしまい、実を言うと患者さんの言うことがよく聞こえないのだ。まあ心眼ならぬ心耳で聞いているというわけだ。こうやって傾聴しているものだから一人の患者さんに450分取ってしまい、待つのを嫌がる患者さんたちはどんどん去っていったのかもしれない。ボイス・コンバーターを使えば確かに患者さんの言ってることを画面上に表してくれるけれど、わがクリニックのボイス・コンバーターは変換機能の性能が今ひとつでとんでもない日本語にしてしまい、使わないほうがましなのだ。とんでもない日本語にするのか、このごろの日本語が四半世紀前の日本語に比べてとんでもないのか実は定かでないのだが、私がよく理解できなくなってしまっているのは間違いない事実のようなのだ。

 診察室のディスプレイが点滅した。「患者さんがきましたよ(^^)。それも新患さん(^o^)丿。8080番です。」開院して28年ずっと受付をしてくれるうちの女の子は(実はもう70を超えて孫もいるのだが)ふた昔も前の顔文字を使ってくるのだ。

カルテ検索クリックし、8080と入れてエンターだ。「何々、山田 翔、2001117日生まれか。これはちょうどわしがこの原稿を書いていた日に生れた子じゃないか。奇遇だなあ。主訴はと。『みんなのようにずっといい気分でいられない。職場でキレまくる。』今はやりの職場崩壊の若者かな。カルテ番号通りヤレヤレだ。」ぶつぶつ言いながらドッコイショと立ち上がり、28年持った安普請の診察室のドアを開けて、新患さんを迎え入れる。

 「どうされました?」こちらが切り出すや否や、その若者は傲然と言い放った。

「先生。先生のDNA情報開示してくれる?」

「ちょっと待ちなさい。突然やってきた見ず知らずのあなたに対してなんで私が自分のDNA情報を開示しないと行けないの?」

(こう書くと賢明なる読者はこの主人公の老先生の耳が遠くなって患者の話を心耳で聞いている割にはえらく反応が早いといぶかしく思うかもしれない。その通り。これは筆者のサービスである。実は老先生の反応は鈍く、若き患者と老先生のやり取りはもう暇がかかって大変だったのであるが、無駄を省いて読みやすく変えているのである。うーん、老先生には疲れる!)

「そっちこそ勝手に患者のDNAを調べるやないですか。」

「人聞きが悪いことは言うてはいかん。最初の問診表の下のところに『DNA検査をされることを了承して診療を受けます。』と書いてあったじゃろうが。了解済みとこっちは判断しておるぞ。それにあんたのDNAを調べることによって、あんたの体に合う薬は何か、副作用がでないかどうか分かるんじゃ。スリーエスラ(SSSRA:選択的セロトニンサブタイプ受容体拮抗剤)にしたってようけの種類がある。その中であんたに一番合うのをDNA分析を使って調べるのじゃないか。それをまるで医者があんたの秘密を暴こうとしているように言うのは、この温厚すぎるという仏の田中でもちょっと不愉快と言うものじゃ。」

「それはそっちの理屈でしょ。俺はまず先生が俺に合う医者かどうかを科学的に調べたいの。それには先生のDNAと俺のDNAのマッチングを調べるのが一番なんですよ。」と言って鞄の中からなにやら魅力的なモバイル(持ち運び可能電子機器のこと、老婆心ながら解説)を出してきた。「これにはもう俺のDNA情報は入っているの。これに先生の血をちょっともらって、ここにたらして自動解析ボタンを押せば治療関係相性度の数値が出るんですよ。実はこれには新機能がついていてね、ちょっと凄いんだけど、俺と先生のDNAの絡みの3次元画像出るんですよ。それでこの目で相性度を判断しようと思っているんですよ。」

「何、絡みの画像。ちょっと見てみたい気もするが。うーん。こら何を言わすか。DNAの絡みの画像から医者と患者としての相性が分かると考えるなんて早とちりと言うものじゃ。」

「じゃあ、まあいいです。職場ではみんなそれなりに楽しくやっているのに、 俺的には俺だけはなんか俺じゃないんです。だからすぐペッペッなんですよ。」(ここでまた注釈が必要でしょう。不愉快なことにはかつて、「腹を立てた」が、20世紀の終わりには「むかつく」ようになり、このごろは「ぺっぺっ」とつばを吐く表現で表すようになっているのだ。不愉快さの象徴の消化器症状が腸から胃そして口へと上がってきたのである。)「楽しくなるようにしてくださいよ。」

「自分が自分らしく感じられない。こりゃ離人症じゃな。あんた生きていると言う現実感がないんじゃろう?

「先生。寝ぼけたことをいわないでよ。現実なんて何時でも5つや6つは持っているよ。バーチャルであろうとなかろうとリアリティはリアリティなんだから。ペッペッを治してくれればそれでいいんだけど。実は、どの薬を出してもらえばいいかここに出てるんですよ。」とさっきのモバイルを見せるのだ。

 なるほどそこには最近出たばかりのハッピードラッグの処方例が表示してあった。本来ならもっときちんと患者の症状を聞き取り、一応の診断をつけてからその診断に至った理由を患者に説明し、予後の見通し述べ、患者のDNA分析の許可を取り、その結果最適と思われる薬剤および現れるであろう副作用の程度を明らかにした上で処方を決めるべきなのだが、もう面倒臭くなって請われるがままに処方を出すことにして診察を終えてしまった。

 患者が出て行き、入れ替わりに入ってきたこれまた28年前から働いてくれている看護婦さんから処方箋を受け取り、28年間使ってきた薄汚れたはんこを押しながら「相変わらず患者さんの言うままじゃなあ」と私はつぶやくのだった。




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