名前

 私の名前は「千足」と書いて「ちたる」と読みます。当然のことながら、小さい頃よりこう読んでもらえることはまれで、「せんぞく」「せんあし」「むかで」などとばかり言われていました。

 この名は、終戦後間もない昭和21年、物資の貧しい時代に生まれた3番目の子に父がつけたものです。姉は千尋、兄は千秋という名で3人の名とも日本書紀に出てくるものです。「千足」は神武紀に「日本浦安国細戈千足国(やまとはうらやすのくに、くわしほこ、ちたるのくに)」とある部分からとったということです。よくは知りませんが、神武天皇が九州かどこかに攻め入り、大和朝廷に帰順するように勧めた時の言葉で、今風に言うと、「日本は平和で、軍事力抜群、国民総生産もトップだよ」というところでしょうか。

 どうしてこういう名前をつけたのかという小学生の私の問に対する父の答は、「物のない時代に生まれたから、なんでも豊かでありますようにという願いだよ」というものでした。長く結核を患い、死を人一倍恐れていた頃に生まれた姉兄には、「長生きしたかったから」と長く永いという意味の名前をつけたというのもそのころの父の説明でした。豊かとまではいえないまでも、私は大学から大学院と行かせて貰えたし、父は父で何となく結核と付き合って古希を迎えたりで、案外名前には凝ってみるものだ、などと思っておりました。

 大学では物理学を専攻しました。物理学というのは言ってみれば自然を認識する学問ですから、もっとも重要な基礎概念は時空概念です。時間と空間がどのような性質を持っているかという問題です。昔興味を持った方も多いと思いますが、アインシュタインの相対性理論の世界では空間が歪んでいるということがポイントなのです。物理を専攻したての私にとっても妙に気になる概念だった訳です。そんなときふと我々3人の名前の事が浮かびました。「待てよ。父は我々の名前を通して世界を創造したんじゃないか?」つまり、まず「千尋」という巨大な空間軸を作り、ついで「千秋」という巨大な時間軸を加えて、これで巨大な時空間の出来上がりです。でも空っぽではまずい。そこで「千足」でもって時空間を埋めつくし天地創造を成し遂げたのではないか。

 こんなつまらない事を考えていたためでもないでしょうが、私は大学に17年間おりました。学生、大学院生、研修員(研修医ではありません)と名前は変わりましたが無給であることには変わりありませんでした。アルバイトで始めた予備校の講師が本業のようになり、妻も迎え子供もできたとき、こんな状態に不全感を覚え、阪大医学部に学士入学しました。36歳でした。今度の専門は精神科です。180°の転換だねとよく言われますがその通りだと思います。

 さて精神科医になってよく出会うようになった概念はアイデンティティという概念です。自分はどんな存在なのかという思いで、自我同一性などと訳しますが「まあこれでいい」という自信というような意味です。また、ふと私の名前の由来をこのアイデンティティと結び付けたくなりました。私の生まれは敗戦直後の混乱期です。日本人が日本人としての誇りを失い、国民全体が自信喪失していた時代です。そんな時、父は日本書紀の日本のよさを高らかに宣言する文言をもちだし子供の名前とする事で自らのそして日本のアイデンティティを再確認しようとしたのではないかと思っています。
 こうしてその時々に自分の名前の由来に重要な意味が隠されているように思いついてきたのですが、これこそ精神科で言う関係妄想・誇大妄想と言うべきものではないかとちょっと冷や汗をかいているところです。

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