D級京都観光案内 10

京都西山・大原野の寺社を駆け巡る 2

 

金蔵寺からもと来た道を引き返す。不思議なものであれほど緊張した登りの道も下りとなるとすいすい行けるのだ。灰方近くまで来ると山道ではなく田舎道になっており、善峯寺への案内板に従って進めばいい。花SATO、佐藤養鶏場の看板が現れる。ここで一休みだ。

SATOは養鶏場が営む直売所兼喫茶室でオムライスや特製プリンが人気だそうで、のんびり座って庭を見ていると子犬が一杯じゃれている光景が微笑ましい。実はここのおやじさんは柴犬のブリーダーでもあるのだ。直売所には鶏肉、卵、ゆで卵などが売られている。

SATOを出てすぐのところに三叉路がある。善峯道に合流する所だ。右に進めるとほどなく十輪寺・なりひら寺に到着する。平安時代850年、染殿皇后の安産祈願のために創建された天台宗の寺という。古い由緒ある寺なのである。ご本尊は地蔵菩薩でかの最澄が彫ったとされるという。腹帯地蔵といわれ、安産のご利益があるらしい。鳳輦(ほうれん)形という珍しい屋根をした本堂にはこの地蔵菩薩と、西国三十三所巡礼を再興した花山法皇が背負って巡礼したという十一面観音が安置されている。すごい仏像を拝めるのだ。

本堂には復元された江戸時代の襖絵があり、三方普感の庭という立つ場所によって見え方が違ってくるという枯山水の庭もある。平成26年春のJR東海の「そうだ、京都へ行こう」キャンペーンでこの庭を覆うように立つ枝垂桜が紹介された。その名も「なりひら桜」だ。

この寺が通称業平寺と呼ばれるのは、伊勢物語の主人公で六歌仙の一人、在原業平が晩年隠棲したことに由来する。高校の古典では業平はプレイボーイだと習ったような気がするが、十輪寺には行っておけよとは言われなかった、小学校、中学校の遠足でもこの寺はスルーしていた。だからこの寺に業平関連のものがいっぱいあるとは知らなかった。

まず業平の墓と伝えられる宝篋印塔がある。お参りしたから詩歌の腕は少しは上がったかな?見所はなんといっても塩を焼いたという塩竈の跡である。かつての恋人二条天皇皇后高子が大原野神社に行幸した際、業平は塩竈から一筋の煙を昇らせ、今もあなたのことをお慕い申し上げますと知らせたのではないかと解説書には書いてある。いい話だ。昔の人はのどかでよかった。

さて塩を焼く元の塩水は遠く難波から運んだという。風流といえば風流だが、果たしてそこまでするかという疑念もわく。私が京都をちょっと深く訪ねてみようと思うきっかけになった本がある。勉誠出版から出ている「京の歴史・文学を歩く」という本で、その第1章が吉田金彦氏の「大原野と小塩山」という考察で、この地では地震により塩水が湧き出したことがあり、入り込んだ奥の塩の地が置き塩といわれ、オキシオがオイシオに変わり、さらにオシオとなって小塩の字があてられたのだろうと推論している。わざわざ難波から海水を運ばなくても業平は塩水を手に入れることができたのだろう。京都観光案内のようなこの本は、言い伝えなどをそのまま書き綴るのではなく、きちんとした史料を考証した立派な学術書になっているのだ。この本のおかげでどれだけ深く京都観光ができたかわからない。この本に巡り合えたのは本当に幸運だった。

なお「なりひら桜」に負けじと「なりひら紅葉」もあるから、紅葉の時期にこの寺を訪れても美しさに感動できる。

十輪寺からさらに5分ほど車を走らせると善峯寺に到着する。500円もとるそれはもう立派な駐車場がある。入山料も500円いる。何度も言うように小中学校の時の春の遠足の定番だったし、35年前京都に住んでいた時は車でひょいと行ったものだ。車は境内に適当に停めればよかったし、まして入山料など払った記憶はない。「そうだ、京都に行こう」キャンペーンに何度も取り上げられ、西国第20番札所ということで観光化してえらく商魂たくましくなったものだ。

平安中期に建てられ、一時は55の伽藍を持ち隆盛を極めたが応仁の乱以後衰退した後、金蔵寺と同じで綱吉の母桂昌院の肝いりで再興され、今も3万坪の広大な敷地を持っている。境内には遊龍の松があり、五葉の松で国の天然記念物に指定されている。桂昌院お手植えと伝えられる桂昌院枝垂桜があり、これはモミジとの合体木という。綱吉42歳の厄年に寄進されたという釣鐘もある。これは志納金を納めれば撞けたと記憶している。観音堂、文殊寺宝館、護摩堂、多宝塔、さらに薬師堂があり、桂昌院の父がこの薬師さんに願をかけて生まれたのがお玉のちに桂昌院で将軍の実母にまで立身出世したので、出世薬師如来とよばれている。この薬師堂あたりからも京都市内一円が見渡せる。

観音堂で御朱印をもらうのだが、ここで隣の三鈷寺にはどう行けばいいのかと聞くと、善峯寺の北門からいけますと答えが返ってくる。御帰りはその門のところのインターホンで呼びかけて下さい、門を開けますからという。なんかよく分からないが、次の三鈷寺を目指して北門のところへ行ってみる。

北門に着くと回転式のドアがついている。そこを通って道をしばらく行くと、なるほど三鈷寺の門に到着する。境内に入り、庭を見た後、拝観希望するとどうぞどうぞと住職自ら出てきて本堂に招き入れてもらえ、それから丁寧な説明を受けることができる。

まずは本殿から一望できる京都の景色の説明から始まる。あれが比叡山だあれが伏見城だあれが今度出来た高速道路だと。住職の説明に熱がこもるがそれもそのはず、京都夜景観賞を毎日14人まで限定で受け入れているし、観月の夕べも開かれるのだ。でもこんなところで泊まりはどうするのと思うが、ネットを見ると天然温泉のお宿エミナース(洛西ニュータウン高島屋の近く)にお泊り下さいとある。なるほどこれはいいかも知れない。ここをベースキャンプに移動すれば桜紅葉の季節の駐車場探しを悩まなくていいかもしれない。

さて住職の話によると、この三鈷寺は西山宗の本山であり、西山上人が浄土宗西山派の派祖であり、背後の山容が仏器の三鈷杵に似ているからとこの寺を三鈷寺と命名され、大往生された後この寺の華台廟に祀られた。それが本堂奥にあったように記憶している。

私の興味をそそったのは西山上人の一番弟子、実信房蓮生は、一人三鈷寺に留まり、上人の供養を続けられたというが、その蓮生がもとは宇都宮頼綱という武士で、藤原定家と強い関係があったということだ。妻は北条政子の妹であり(源頼朝と義理の兄弟の関係)、謀反を疑われその疑いを晴らすために僧門に入ったという。その後優雅に暮らし小倉山の山荘にも住み、定家と交流し娘を定家の息子為家に嫁がせている。山荘の襖絵に古今の名歌の色紙を張ることを定家に依頼し、それが百人一首のもとになったという。

百人一首は初めの2首と終わりの2首がともに天皇の歌である。初めの2首、天智天皇と持統天皇の歌は天皇統治の成功を歌っている。最後の2首、順徳院と後鳥羽院はともに島流しの憂き目にあう不遇の天皇の(直接的にはその不遇を嘆くわけではないが)歌である。大阪市大教授で経済学者の林直道先生は「百人一首の秘密」という本を上梓し、百人一首に含まれる政治的メッセージ、そのことを単に羅列列挙するのではなく、いやその政治性を内に秘めるために、百首の間に言葉を介した有機的つながりを持つよう歌を選び配列したという大胆な理論を展開したのである。百首の間の細かなつながりは林先生のようには私にはわからないが、単に古今の秀歌を百首選びましたというものではなく、定家の鬱屈した心性、多分にそれは政治性を帯びたはずだが、その心性を反映したものにほかならないだろうと思っていた。

そう思っていたところに、住職の話でそんなきな臭い定家と親交のあった蓮生が、きな臭い過去を持ちながら僧門に励むと聞いてかえってますますきな臭さを感じてしまったのである。参拝客がそんなことを考えているなどとはつゆ知らない住職は淡々と西山上人の供養を続ける蓮生の偉さを説くのであったが。

本殿の見学が終わると、まあ休んで行って下さいと客殿でお茶と煎餅が出された(更に500円出せば抹茶とお菓子が出たが)。そこからもとの道を戻り善峯寺の北門に着き、ピンポンを押すと寺の人が答えてくれて回転ドアは開錠され、無事善峯寺の境内に戻れるのだった。三鈷寺に行くのにはもう一つのルートがあり、善峯寺一つ手前のバス停を下車して、山道を10分ほど登ればいいらしい。

善峯寺から元の道を取って返す。十輪寺を通り、花SATOへ曲がらずまっすぐ竹林の間を通る細い善峯道を行く。丹波道にぶつかるのでそこを右折する。(なお右折せず直進すれば私の母校の小・中学校に行きつくが、そんなの皆さんには興味のないことだろう。)5分ほど行くと西山浄土宗総本山光明寺に到着する。近所の人は粟生の(あおの)光明寺といっている。西山浄土宗と浄土宗西山派が同じなのか違うのかはよくわからない。どうもちょっと違うみたいだ。

宗祖法然上人が43歳の時この地で初めて念仏の産声を上げられたという。時代は下り一ノ谷の合戦で平敦盛の首を挙げた熊谷直実は戦いに明け暮れ積もる罪業を悔い法然上人のもとで剃髪し法力房蓮生となり、数年後この地に念仏三昧院を開いたという。ややこしい話だが三鈷寺と同様第2代目はともに蓮生であり、しかももとは武士だったのだ。

総門からまっすぐ上がる女人坂を上りきると大きな御影堂がある。ここは誰でも参拝できるし、御朱印もここで戴ける。妻の両親のお骨はどちらもこのお寺に分骨して納めているものだから、昨年11月初旬妻の母の1周忌妻の父のほぼ50回忌の回向をしてもらいに行った。一人3万円二人目からプラス1万円計4万円を払って大書院で待っていると若いお坊さんが身なりを整え我々二人を御影堂の中に案内してくれる。驚いたことにそこにはすでに5人の僧が並んで座っている。さらに驚いたことには大僧正とでもいうべき立派な老僧が立派な衣装に身を包み登場し、粛々と法要は始まったのである。7人の僧侶たちの読経はそれはそれは荘厳なものであった。4万円は安いと感動した。

ただし11月ももうあと10日もすると車を門前に乗り付けるなどということはできないのだ。光明寺の紅葉は人気スポットであり、特に総門から左に医薬門に通じるもみじ道の紅葉はハッとするほど素晴らしいものだ。駐車場はすべて予約した大型バス用になる。どうしても車で来るならJR長岡京駅前の駐車場に停めてあとは阪急バスに乗ってきなさいと光明寺のホームページには書いてある。

光明寺の紅葉は確かに素晴らしいが、車で近づけないのが難点だ。個人的印象だが紅葉抜きでも見るべきところが多いお寺だ。それに門前には農家の直売所があり、なかなかいいものが手に入る。竹製品や自家製のおかきを売っている店もある。さらに門前をまっすぐ下がって2分も行くとおかき屋の小倉山荘の本店がある。ここは大駐車場があるから車で行っても安心だ。第7回で書いた東坂米菓のあられでなくてここので満足という人は、おかきを買って車を西に走らせるとほどなく京都縦貫道の長岡京・向日インターにやってくる。あっちこっち走り回った今日の旅もこれでおしまいだ。


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