お供え |
優子は私の4歳年下、精神科病院勤務時代に出会った長崎出身の統合失調症の患者さんです。長崎弁がかわいい患者さんで、「そうばってん、先生ねえ」などと語る人でした。初診時、見るからに統合失調症を長く患っていることがもうすぐ分かる人でした。27歳ごろから何度か長崎の病院に入院し、42歳のとき箕面に住む妹を頼って母と共に引っ越して来たのです。実は母も同病でした。患者として私の診察を受けたのは優子ですが明らかに付き添いの母のほうが治療をより必要としている感じでした。実際に病院にかかっているのは娘だけだったのです。母と二人で妹の家の近くに住んでいるのですが、二人の日常生活は病人同士ということで危なっかしいものでした。 傍から見ると危なっかしい日常生活なのですが、当人たちは別に危なっかしいとも思わず、2週間ごとにきちんと通院し、私の診察に対して、「別に、変わりなか。よか調子。それよか、せんせえも大変やね。」などと答えるのでした。私の外来診察は週1回だけで、多い時は5,60人の患者さんの診察をしていましたから、終わるのが3時頃になることも多かったことに同情してくれていたのでしょう。 診察の時に、「先生、持って来たけん。あげるたい。」とダイエーのポリ袋を差し出すのです。なかにはダイエー弁当、鯖の味噌煮の缶詰、あけぼの印魚肉ソーセージ3本、カップ麺、バナナなどが入っていました。昼食も食べず診察する私への差し入れのようでした。ダイエーのポリ袋の差し入れは月に1回くらいの割合で続きました。そのうち診察を実際受けるのは4ヶ月に1回になりそれ以外は薬だけを窓口で貰ってかえるようになりましたが(安定している患者さんのパターンです)、私への差し入れは相変わらず続くのです。 融通の利かない窓口と優子が言い争いになることもありました。窓口は言うのです。病院への付け届けは一切もらえませんと。優子は言い張ります。「先生に渡してくれんね。」融通の利かない窓口は私に電話をしてきます。「優子さんが先生に渡すものがあるというのですが病院の方針では代わりに受け取ることは出来ないのですが。」 「違う、違う。贈り物じゃないねん。預かっといて。それは私へのお供えやね。田中地蔵へのお供えやね。」 鯖の味噌煮、魚肉ソーセージ。これは医師への付け届けではなく、地蔵さんへのお供えに違いありません。後で窓口にとりに行くと予想通りのものが入っていました。時に昼食を食べそびれた私は、そのダイエー弁当やカップ麺をうん旨いと食べたことも1度や2度ではありませんでした。 さて私はその病院を辞め、箕面の駅前に開業しました。優子は私の診療所に変わることをしませんでした。危なっかしい日常生活を送る優子の病状から考えるとその選択は正しいものでした。ところが、優子は患者としてではなく私のクリニックを訪れてくれるようになりました。ふらっと来ては、「元気にしとっとよ。これあげるわ。」と言ってまた地蔵さんのお供えのようなものを置いていくのです。診察時間外にもよく来るようでした。クリニックの郵便受けの中に「お供え」がおいてあることがしばしばありました。 街を歩いていると時々優子に出会いました。服装や仕草が少しずつだらしなくなっていくようで心配でした。それに比例して「お供え」もなんだか変になってきました。飴玉3つとかティッシュに包んだおかきとかが郵便受けに入るようになりました。明らかに食べ残しと思われるものも「お供え」されるようになりました。さらには手作り弁当。これがなんと菜っ葉メシ!白いご飯の上にたいた菜っ葉が乗っているだけという50年の人生で見たこともない弁当。そして極め付きは道端のびわの木からもいだまだ青い実。そして、使い古した麦藁帽。 郵便受けを完全に占拠していた麦藁帽をとりあげて、クリニックの中に持ってあがり、何で優子はこんなものを私にくれたのだろうか彼女の心の動きがつかめないで悩んでいました。そんな時、優子がクリニックにやってきました。「先生、帽子がなくなってしまってなあ。」「え、帽子って、これ」「それそれ、何で先生持ってるねん?」「え、くれたんかと思った。」「違う、違う。あそこにちょっとおいといたんや。」 そうだったのか。クリニックの郵便受けは優子のロッカーになっていたのだ。菜っ葉メシ弁当も優子自身のための弁当だったのだ。それをお供えと思い込んだ私が悪かった。ただ最初のうちは間違いなく私への「お供え」の置き場だったはずです。途中からお供え置き場と自分のロッカーが渾然一体となっていったのでしょう。統合失調症の患者さんの思考のまとまりの悪さを理解するうえでヒントになるかもしれないなと感じました。 そのあと優子の「お供え」はぴたっとなくなりました。ロッカーにおいたものを先生にとられたら大変だと思ったのでしょうか。そのうち街なかで優子に会うこともなくなっていきました。噂ではまた病院に入院したということでした。 |
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