家庭菜園 |
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8年前に箕面に引っ越してきて、たまたま家庭菜園を借りることができた。家庭菜園をするのだから自然との調和を目指し,農薬は一切使わず化学肥料も極力減らそうと意気込んだ。新しいことを始める時、趣味でもスポーツでもまず入門書を読んでそれに習いながら実践に移るというのが私のやり方である。さっそく家庭菜園入門書を2冊購入し、それを読みながら野菜作りに取り掛かった。入門書の購入はその後も続き、書店にいけば必ず園芸コーナーの棚を一覧し、持ってない本を見つけるとすぐ購入した。今では十数冊の本がある。理論武装は着々とできたのだけれど困ることもある。船頭多くして船山に登るのたとえ通りで、各書によって書かれていることが違ってどの本に従うべきか悩んでしまうこともしばしばであった。 熱し易く冷め易いのも昔からの私の性分で、野菜作りの時もご多分にもれずこうだった。まず農作業日誌を作った。その日は何をしたか,どこにどんな種を蒔いたか,苗を植えたか,芽が出たか,花が咲いたか,どんな肥料をやったか,何がどれだけ収穫できたかなどなど。さて最初長さ6mほどの畝を3本からスタートしたのだが、こんなの簡単とばかり猛然と鍬を振るって約20分で1畝と1/3を耕したのだが、もう疲れ果ててその日はダウンしてしまった。畝を耕すにもペース配分というの大切なのだ。その気になって畑を耕しているおばあさんなんかを観察するとなるほどゆっくりと鍬を動かしている。 最初に手がけたのがえんどう豆で、秋にその苗を買って植えたのが翌春思いがけず高収穫を上げることが出来た。それに勢いづいて、きゅうり、ナス、トマトと手がけるがそこそこうまくいくのである。借りる畝も少しずつ増えて8畝となった。手がける野菜の種類もどんどん増えて30種類ぐらいはゆうに越えたと思われる。休日は必ず畑に行くし,出勤の前と帰りに必ず立ち寄るような時期もあった。特に日照りの時期は,貯水槽が枯れてしまい,20gのポリタンク6個を車のトランクに積んで水撒きにいそしんだものだ。そうやって熱心に打ち込むようになると「自然との調和」をモットーに始めた野菜作りもむくむくと出てきた私の競争心や資本主義的効率主義によって、隣の畑よりたくさん作りたいとか,形のいいものを作りたいとか思うようになってしまった。 有機栽培はやろうとすると本当大変だった。堆肥作りは場所を取るし暇がかかり管理が悪いと蛆がわいたりして往生した。油粕を水に溶かし腐敗させて液肥を作ったがその強烈な臭さといったら喩えようもなく,住宅街の真中にある畑だけに苦情がこないか怯えつつ極々少量ずつ撒く始末で,二度と液肥は作らないようにしようと思ったものだ。草木灰を作ろうと木や草を燃やすと近所から苦情がきた。結局市販の堆肥や草木灰を結構高い値段で購入するようになった。一時も畑を休ませることなく何か野菜を作りつづけたものだから病害虫の発生も目立つようになってきた。始めのうちは一匹一匹手やピンセット(実は解剖実習で使った先が尖っているやつ)でとっていたがそんなことではおっつかず作物が全滅に近いことも経験した。悩んだあげく、ついに禁断の農薬の使用に手を染めてしまった。これが悲しいぐらいよく効くのですよね。いつも形が悪くて小さいものしかできなかった聖護院カブが立派に丸々とできたのだ。年賀状にはその年に採れた作物を持ってにっこりしている私の写真をつけることにしているのだが,大きなカブは見事に年賀状を飾ってくれた。ただ農薬を使うのは野菜作りの理念の変節であり,もう一度原点に立ち戻り、効率主義に陥らない野菜作りに戻らねばと考えるようになっていた。 ところが開業してから忙しくて畑のほうに足を向ける気力も回数もめっきり減ってしまった。農作業日誌も書かなくなったし,草ぼうぼうの畑の間に作物がちょっと植わっているという状態になってしまっている。そうなるとうまい具合に病害虫の発生も少ないし,作物もかえってうまく育つようになってきた。どうも子育てと一緒みたいだなあと思える。精神科の治療でも同じかも知れない。患者さんの考え方や生活に対しても精神科医として介入しなければいけない。よかれと思う介入のし過ぎがかえって患者さんの自然治癒力を損なう危険性にも注意しないといけないのだろう。ものを言わない野菜たちが私に教えてくれているのかも知れない。 |
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