D級京都観光案内 36 精進料理・湯豆腐めぐり
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いわゆる京料理は、公家社会の大饗(だいきょう)料理、武家を中心とした本膳料理、寺院を中心とした精進料理、さらに茶道ともに発達した懐石料理が混在し、連歌や俳句の会席のところで出された会席料理の流れから現在一般料亭や宴会で出される形になっている。
京都市は平成25年10月、「京都をつなぐ無形文化遺産」制度を創設し、その第1号として「京の食文化―大切にしたい心、受け継ぎたい知恵と味」を選定した。同年、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたが、この「和食」とは「京料理」に他ならないと京都の人は思っている。
最近の京料理の世界は、競争が激しいものだから、肉料理や魚料理をふんだんに使い、西洋料理風な手法も取り入れ、さらにはフォアグラなどの食材にまで手を伸ばし、ここまでしなくても思うこともしばしばだ。もちろん料理人たちの飽くなき探求心に出会えてハッとするし、何より今まで味わったことのないような素晴らしい料理が堪能出来て至福の時と感じられる喜びもある。しかし値が張る、高い。時には値段の割には期待外れで幻滅ということがないでもない。
原点に返り、精進料理を楽しめば、これは裏切られることはない。しかも料金も納得できるものであるのがありがたい。精進料理であるから肉や魚は素材として使っていない。しかしまるでそれらが素材じゃないのと思える姿・形、味・食感をしているものが出てくるところがみそである。
精進料理を食べさせるお店は大きな禅寺のそばあるいは伽藍内の塔頭にある。まず大徳寺あたりに行こう。北大路通りの大徳寺前交差点を北に上がる。この通りは大徳寺道である。左手に大徳寺前交番があるが、その前にあるのが大徳寺一久である。頓智の一休さんでおなじみの一休宗純が大徳寺の住持になったのが応仁(・文明)の乱さなかの文明6年のことである。一休を含む大徳寺の住職たちより、大徳寺納豆・大徳寺精進料理の製法・料理法の指導を受け、以来大徳寺精進料理方として500有余年の歴史を誇っている。ちなみに一久の名は一休禅師より賜ったものだというのを聞いて、納豆ではなく納得である。
気軽に食べられる弁当形式の縁高(ふちだか)盛4160円と、より本格的な本膳(3コースある)はどれも予約しておかないといけない。要予約と聞くといかにも格式張っているようだが、主人、女将そして若女将の気さくな人柄で、本当に気楽に精進料理とはこういうものかと楽しめる。
店の案内には「一久の登録商標の大徳寺麩、犠牲豆腐、筏牛蒡を盛っています。そして和え物は、季節の野菜根を盛り付けております」とある。この3つの料理は商標登録されているというから凄いものだ。若女将から大徳寺麩ですと教えてもらって食べたのだが、なるほど精進料理とはこういうものかと感心した。それ以外に肉も魚も使っていない料理ばかりなのに、まあ重厚感があり、それでいて心が爽やかになる感じ迄するから不思議なものだ。
ところでこの若女将は平成の初め頃に大阪外大中国語科を卒業した才媛なのである。4年間片道2時間近くかけて箕面に通い続けたという。私が箕面で開業しているというとえらくその頃を懐かしんでくれた。これも一久を贔屓にしたくなった一因だ。先生方も一久に行ったら、箕面で開業していると言うとちょっぴり上客扱いされるだろう。
大徳寺納豆の外見は真っ黒な粒でふつうの納豆より甘納豆に似ている。納豆菌ではなく麹菌により発酵させ、塩味をつけた後、十分熟成させたものである。一言でいうと塩辛く酸っぱい発酵食品である。一久では料理の最後に抹茶と生菓子が出るが、生菓子の横には一粒の大徳寺納豆も置かれている。
以前にも書いたが、大徳寺の門前にある山国屋細見商店の大徳寺銘酒「雪紫」のお供を大徳寺納豆はしてくれる。女房の作ってくれる弁当はおにぎり2個とおかずの2段重ねだが、一方のおにぎりには大徳寺納豆3,4個が必ず入っている。まあ雪だるまみたいだ。
大徳寺納豆を住職手ずから作っているという大徳寺塔頭がある。瑞峯院である。大徳寺の中で通常公開している4つの塔頭の一つで(他は大仙院、高桐院、龍源院)、戦国時代のキリシタン大名大友宗麟の創建になり、重森三怜作の独坐庭、閑眠庭が有名で、閑眠庭ではキリシタン灯籠から続く石組が十字架の形になり、キリシタン大名であった大友宗麟に捧げる形になっているという。さらに茶室が3つあり、その中で平成待庵という大山崎妙喜庵にある千利休作の国宝待庵の写しがある。予約すれば見学できるそうだ。
こんな庭や茶室だけの維持に大変だろうと思うのに、ここの住職は大徳寺納豆を毎年作っているのである。ネットを見るとその見学記というのをいくつも見つけることができるので、初夏のころ予約すれば仕込みの機会に見学させてもらえるかもしれない。
本題の精進料理に戻ろう。大徳寺の塔頭大悲院にある泉仙に行こう。泉仙は言わずと知れた鉄鉢料理で有名な店である。学生の頃精進料理も含め京料理など全く知らなかった私が、国際学会に来た外国人研究者たちを教授が京都らしい御馳走に連れて行くことにした運転手役として、中古で買った三菱ランサーを提供し、ついでに御相伴したのが大徳寺前の泉仙紫野店だった。40年前のその時は教授や偉い海外の学者と同席し、運転手という重責を担い、料理がどんな味がしたかさっぱり覚えていない。なぜ様々の大きさの赤い漆塗りの器が次々に出てくる意味も分かっていなかった気がする。
泉仙のホームページを見ると、料理は喜心、老心、大心の3つの心で作るとあり、鉄鉢とは、僧が食物を受けるため(托鉢)に用いた鉄製のまるい鉢のことをいい、泉仙の精進鉄鉢料理は、鉄鉢をかたどった器に、四季おりおりの味覚を盛り込んだもので、禅のこころと、京料理の伝統を現代に生かすものだとある。料理を愛で、空になった赤い器がどのように入れ子で一つの鉄鉢に畳み込まれていくかを考えると、ちょっとした脳トレパズルをするような楽しみを与えてくれる。
料理と味に関して精進料理の中で最も平均的、最も標準的な印象を持つ。もちろんわが私見ではあるが。なお嵯峨野、化野念仏寺の近くにも泉仙嵯峨野店がある。
嵐山天龍寺には寺直営の精進料理店「篩月(しげつ)」がある。雪(一汁5菜)3000円コースなら予約なしで食べることができる。ただし庭園参拝料500円は別途必要とある。だが国指定第1号の史跡・特別名勝の曹源池庭園を楽しめるのだから不満はない。
広間のようなところに通される。両側に座布団が一列ずつ置かれていて、先客がそこに座り、もうすでに食事をしている。向かい合って座ることになるが、つい緊張して正座してしまう。朱塗りのお膳に朱塗りの器に入れられた精進料理が出てくる。一番の圧巻は賀茂ナスのみそ田楽で、肉厚の賀茂ナスをたっぷりの油で素揚げし、濃厚な味噌をこれまたたっぷりかけてあるので、まるでロース肉を食べたような錯覚に陥った。精進料理あなどり難しと感じたのはここの料理である。
妙心寺の南総門の向かいに妙心寺御用達精進料理・阿じろはある。創業は昭和37年というから、びっくりするほど古いわけではない。創業者は妙心寺の庫裏でひたすら料理修業に励み、法要の時の精進料理を取り仕切る料理方を務めた後に、店を構えたという。店名は雲水のかぶるあじろ笠から借用したという。泉仙の鉄鉢料理は雲水の手に持つ鉢から命名されたが、こちらは頭にかぶる笠のほうに注目したのだ。
小ぢんまりとした店構えだが、入り口のところには龍安寺の茶室蔵六庵まえの「吾唯足知」の手水鉢をまねたものが置かれている。私たちはさらに年末の閑散とした日に予約したので個室の椅子席に通してもらえた。ずいぶんリラックスでき食べやすい。
阿じろが考える精進料理の眼目は、「1.旬の食材を使うこと、2.材料を生かしきること、3.念をいれること」で、みやびな会席風精進料理を提供するとある。縁高(ふちだか)弁当、3000円の昼限定のおすすめメニューは彩り豊かで、普通の京料理だよと言われてもそうかなと思い、刺身はついてないがまるでエビしんじょのような吸い物もちゃんとある。野菜の天ぷらもいい。
最後には朱塗りのお椀のご飯と味噌汁が出るのだが、お茶の代わりにと出されるものが珍しい。少し小ぶりの醤油たっぷりの焼きおにぎりあるいは小粒のあられをおにぎり状に固めたものといった方が正しいか、それが白湯の中に入っている水差しが出てくる。ふやけた焼きおにぎりはもちろん食べる。そして香ばしい塩味の付いたお湯をお茶代わりにいただくのだ。
東福寺塔頭天得院では夏の桔梗の庭特別公開の時、秋の紅葉ライトアップ特別公開の時に、予約しておけば精進料理も楽しむことができる。夏と秋とでは料理の中身は違うだろうが、私達が食べた夏の膳は、7つの黒塗りの椀に美しく料理が盛り付けられていた。湯葉とこんにゃくの刺身、かば焼き風の田楽、ゴマ豆腐、野菜のてんぷらなどが出ていた。さらに朱塗りの椀に入ったご飯と吸い物も出ていたはずである。
桔梗、杉苔、紅葉の庭を堪能した後に食べる精進料理だけに、視覚的にも負けない配慮がなされ、それが味覚、嗅覚、触覚そして聴覚の4感までも心地よく刺激するものになっている。
宇治黄檗・萬福寺の普茶料理は精進料理に分類されるが、江戸時代中国明の高僧隠元が黄檗宗とともに伝えた精進料理だけに趣を異にする。素材、料理法、色彩感覚が京風ではなく中国風である。大皿に人数分盛られたものが中央に置かれ、めいめいが取り皿に取っていくというのも中国風である。
「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味を示しており、席に上下の隔たりなく一卓に四人が座して和気藹藹のうちに料理を残さず食するのが普茶の作法ですと案内書にはある。
萬福寺で普茶料理を食べるには3日前までに予約しておかなければいけない。萬福寺の向かいにある白雲庵、境内にある京楽膳萬では予約なしでも普茶料理を楽しむことができる。もちろん料理内容は萬福寺のものと違うが。
一通り精進料理を巡ったところで紙面は一杯である、湯豆腐巡りは次回に回すとしよう。
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