滝道を往復して長万部に至る |
私のクリニックは阪急箕面駅前、箕面公園の大滝に通じる滝道の始点にある。箕面の大滝までは片道2.8km、戻ってくるのにゆっくり歩いて1時間半、ちょっと頑張れば1時間強である。午前と午後の診療の合間に散歩するには手ごろな距離である。 開業当初診療以外の仕事は余りなく、その診療の合間はたっぷりあった。たっぷりあればいつでも滝道は登れそうで結局箕面の大滝まで足を運ぶことはほとんどなかった。紅葉の時期に多くの観光客に誘われるように登るという程度だった。 ところが3年前の5月のある日、午前診を終え弁当を食べてしばらくして妙に体がだるいのが気になった。まさかなと思いながら血糖を測ってみた。なんと、180を超えていた。こりゃあえらいことになった、まずは運動療法だと早速滝道を登ったのである。大汗をかいて戻って血糖を測ってみると正常範囲に入っているのだ。機器の調子がおかしいようだがまあいいとしよう。滝道登りはいい運動療法であることだけは間違いなさそうだ。 こうして私は滝道登りを日課にすることにしたのだが、日課にするぞと思ったことをきちんと実行したためしのあまりない男だった。この日課から逃れないよう縛りをつけよう。それには何がいいか?デジカメを持って滝道を登り、箕面の大滝の写真を撮り、それをその日のうちにクリニックのホームページにアップしよう。ホームページに載せるという事はいわば全世界に向かって日課を守ることを公言したことになるから、何でも三日坊主の私にはいい縛りになると考えたのだ。 この頃診療の合間にもいろいろ用事が入ることが多くなっていた。滝道往復の1時間半を見つけるのはなかなか難しくなっていたが、自分に縛りをつけたおかげで、ちょっとでも空き時間を見つけると出かけるのが癖になっていったのだ。はじめは滝だけ写していたが、そのうち滝道のいろいろの風景も写すようになっていった。このホームページの題名を「箕面滝道365日」としたが、1月1日から12月31日までの毎日を滝道の写真で埋め尽くすという野望からの命名だ。 箕面公園の見所は紅葉と桜ぐらいかなどと思っていたが大違いである。まず箕面の大滝。毎日毎日が似ているようで微妙に様子を変え、時に荒々しい滝に変身し近づく人を濡らすまでになり、冬にはその両側にツララを作り鮮烈な冷たさを示し、新緑や紅葉を背景にその美しさで人々をはっとさせるのだ。 サザンカやツバキがこんなに美しいのは滝道を登ってはじめて知った。11月、多くの人々が紅葉の美しさに目を奪われる頃、サザンカは白の赤のピンクのそして一重のまたは八重の花を滝道の両側に咲かせ、さながらサザンカの散歩道という風情になる。紅葉も終わりカエデや落葉樹が山水画のような無彩色になる2月にはヤブツバキが赤い花を咲かせ、これに雪でも降ろうものならそれは素敵な景色になる。 5月にはシャガの群生が白い花をつけ風に首を揺らせて私を待つ。高校のとき習ったワーズワースの詩にも黄金色の水仙たちが踊っているとかいうのがあったなあなどと思い出す。今年はどういうわけかまだなのだが瀧安寺前のフジも見事な花を咲かせるし、滝道から少し脇に入り展望台に続く道を行けばミツバツツジの赤紫色のトンネルもできる。 箕面公園の動物の代名詞はサルだ。確かに滝道散歩でもサルによく遭遇する。サルの立ち居振る舞いもさまざまだ。4月5月は出産期で赤ちゃんザルを抱きかかえた母ザルを見かけることも多い。カメラを向けると向かってくるサルもいて写真を撮るときには少し緊張する。 出会う動物はサルに限らない。秋の雨降りの時には道端に無数と言ってもいいくらいサワガニがぞろぞろ動いている。残念ながらカニとサルがおむすびと柿の種を交換している姿にはお目にかかったことがない。セキレイ類、ルリビタキ、カラ類、メジロ、ウグイスと鳥たちもいっぱいいる。少し大型の鳥では、アオサギとコサギが1羽ずつ箕面川によく現れる。ホームページの写真を飾る常連になっている。シカもみかけるし箕面川ではオオサンショウウオの顔を拝む幸運に恵まれることがある。 滝道を彩る草木、鳥たち、昆虫、魚類、その他の動物たち、これらの名前を何にも知らなかったことをつくづく思い知らされた。写真に短いコメントを入れるために名前がわからないと困るので図鑑とかで一生懸命調べてみるのだが、これが難しい。大体こうだろうとあやふやなまま名前を載せていると、親切なホームページの読者(箕面市医師会の先生方もおられる)から「あの写真の鳥はウグイスではなくメジロです」「あの小魚はオイカワではなくカワムツです」などとメールで教えていただけるのだ。本当にその道に詳しい方がおられるものだとつくづく感心する。 三日坊主の私には珍しくこうして丸3年間滝道を登ってきた。この原稿を書いているとき現在287回往復したことになる。滝道365日とうたっているのに延べ回数でもまだまだ足りない。365日を完全に埋めるにはあと5年はかかるだろう。前途ほど遠しだ。しかし歩いた延べ距離を計算すると1,607kmとなる。箕面駅前から鉄道距離で計算すると新大阪、東京から青森を経て青函トンネルをくぐり、函館から札幌に向かいいまや長万部あたりを歩いていることになる。今年の2月頃華やかさのなくなった寂しい滝道を歩いているとなんともわびしかったものだが、ちょうど青函トンネルをくぐっていた頃だったのだ。 自己評価が低く、先が見えないと自宅に引きこもってしまっている患者さんがたくさん来られるが、その人たちに散歩を勧めている。そして、散歩をした日をカレンダーに丸をつけて下さい、できれば歩いた距離も書いて下さいと。はじめは頑張って続けていても、2,3日滞っていかなくなるともういいやと止めてしまう。そうではなくて、行った距離を足し算していけば、あれもう京都まで歩いた、米原まで来たぞ、関が原を越えたぞと励みにもなるし自信にもなるんですよと助言している。3年かかったが長万部までやってきた、これは私の自信であり自慢である。さらに、血糖値がほぼ正常であるのもいうまでもない。 |
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