谷崎潤一郎とパニック障害 |
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谷崎潤一郎の作品の中に「恐怖」という短編がある。 「友達のNさんの話に依ると、私の此の病気――ほんとうに今想い出しても嫌な、不愉快な、そうして忌ま忌ましい、馬鹿馬鹿しい此の病気は、Eisenbahnkrankheit(鉄道病)と名づける神経病の一種だろうと云う。(中略) 汽車に乗り込むや否や、ピーと汽笛が鳴って車輪ががたん、がたんと動き出すか出さないうちに、私の体中(からだ)に瀰漫(びまん)して居る血管の脈摶(みゃくはく)は、さながら強烈なアルコールの刺戟を受けたときの如く、一挙の脳天へ向かって奔騰し始め、冷や汗がだくだくと肌に湧いて、手足が悪寒(おかん)に襲われたように顫えて来る。(中略)『誰か己を助けてくれェ!己は今脳充血を起こして死にそうなんだ。』私は蒼い顔をして、断末魔のような忙(せわ)しない息づかいをしつつ、心の中でこう叫んでみる。(中略) アワヤ進行中の扉を開けて飛び降りをしそうになったり、夢中で非常報知器へ手をかけそうになったりする。それでもどうにか斯うにか次の停車場まで持ち堪(こた)えて、這々(ほうほう)の体(てい)でプラットフォームから改札口へ歩いていく自分の姿の哀れさみじめさ。戸外へ出れば、おかしい程即座に動悸が静まって、不安の影が一枚一枚と剥がされて了う。私の此の病気は、もちろん汽車へ乗って居る時ばかりとは限らない。電車、自動車、劇場――凡て、物に驚き易くなった神経を脅迫するに足る刺戟の強い運動、色彩、雑沓に遭遇すれば、いついかなる処でも突発するのを常とした。」 引用が少し長くなったが、「私の此の病気」は現在の診断で言えばパニック障害である。小説家らしい精緻な描写からパニック発作に見舞われたときのからだに感じる変化および心理的動揺を生々しく読者に伝えてくれる。これだけの描写ができるのは谷崎潤一郎自身がパニック障害であったといえるだろう。 パニック障害とは、まずこの小説のように電車の中、高速道路や地下街などで突然に、動悸、胸苦しさ、呼吸困難感、発汗、手足のしびれなどに襲われ、死ぬのではないか、頭が変になってしまうのではないかという恐怖に襲われるというパニック発作をまず経験する。たまらなくなり電車から降りたり、場合によっては救急車で病院に運ばれたりするが、そうすれば嘘みたいにけろっと直ってしまう。また一度パニック発作を起こすとまたパニック発作を起こすのではないかといつも不安感を持つようになる。これが予期不安である。さらにパニック発作を起こした場所は避けるようになる。その場所というのは、閉じ込められ、逃げ出せないような空間、電車の中、高速道路、エレベーター、美容室、歯科診療室、地下街、デパート、スーパー、逆に周りに何もないだだっ広い空間などである。この症状は最後に述べた場所(広場)から名前をとって広場恐怖と呼ばれる。 パニック障害はパニック発作、予期不安からなり、場合によって広場恐怖を伴うこともある。一般内科では、部分症状をとらえて心臓神経症、過換気症候群、自律神経失調症などと呼ばれていた。心療内科・神経科を標榜する当院を受診する患者さんの1,2割がこの病気である。谷崎潤一郎が書いた時代には珍しかった病気も今や極々ありふれた病気になっているといえる。 パニック障害の治療は抗不安薬、抗うつ薬による薬物療法と認知行動療法を中心とした精神療法が有効である。薬物療法で重要なことは、最初、パニック発作を止めるのに十分量の投与を行いその後徐々に減らしていくという方法をとることである。及び腰の投与量ではむしろパニック障害を遷延させてしまう恐れがある。パニック発作というのは自律神経系の空騒ぎであり、そう気づけば発作は速やかにおさまっていく。たとえてみれば、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と気づくことが大切である。幽霊怖い怖い(認知の歪み)と逃げれば逃げるほど恐怖は高まってしまうが、ちょっと踏ん張って目を凝らせば「なんだ枯れすすきが揺れているのじゃないか」(合理的思考)と怖さはなくなるのと同じである。 認知行動療法では、狭まってしまった行動範囲を徐々に広げていき,その過程でパニックになりそうなとき「あ、またパニックになる。どうしよう、どうしよう」という、知らず知らずの思考パターン(認知の歪み)がまたパニック発作を生むという悪循環を、「しんどくなれば薬を飲めば何とかなるから」とか「ちょっと辛抱すればそのうちおさまるわ」(合理的思考)と対応することで改善させていこうというものである。パニック発作、予期不安、社会恐怖を悪い経験の予習・復習による条件反射の強化と考え、それを改善していく経験の予習・復習で置き換えていこうという手法である。 パニック障害は正しく診断され正しく治療されれば元の社会生活の質を回復することは容易であるが、遷延してしまい極めて不十分な生活の質に苦しんでいる人も多くいることも事実である。最近発売された抗うつ薬で初めてパニック障害の保険適用を取ったものがあり、こういう重症の人にとって福音になればと期待されている。 谷崎潤一郎はどういう対処法をしていたのだろうか。小説ではウイスキーのポケット壜を買ってグビリグビリと飲み干してから電車に乗ろうとするその瞬間またも恐怖に襲われてホームへ逃げ出してしまっている。さらにウイスキーをあおって1時間も逡巡していると偶然出会った知人に強引に電車に乗せられてしまうのだ。もうだめだと思ってやけくそになって友人と話をしていると、不思議なことに安心が心の中に芽生えてきたというところで小説は終わっている。誰かと一緒であること、パニックに対して居直ることが認知行動療法から言えば不安のレベルを下げることになり電車に乗ることができたのだが、一方、アルコールは今使われる抗不安薬に比べて抗不安作用が弱いということがよくわかる。薬物療法としてアルコールにしか頼れなかった谷崎には厳しい状況であったといえる。 私が現在の治療技術を携えて谷崎のもとにタイムスリップして治療しておればこの小説は書けなかったと断言できるが、谷崎が現代に生きた時、やはり同じような小説を書いたかもしれない。交通や街の形態、時間に追われる度合いおよび精神風土が時代とともにますますパニック障害になりやすくなっているように思えるからである。 |
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