D級京都観光案内 11

山科にも行かなくては

  今年2015年は琳派400年として展覧会や国際フォーラムなど75件の催しが行われる。琳派の名前の由来は「紅白梅図」「燕子花図(かきつばたず)」で有名な尾形光琳であるが、彼は俵屋宗達の「風神雷神図」を表現技法上強い影響を受けており、俵屋宗達および同時代の本阿弥光悦が琳派の祖とされている。その本阿弥光悦が徳川家康から鷹峯に所領を賜ったのが1615年であるので、今年ら琳派400年なのである。

琳派400年関連で一番注目される催し物は1010日(土)京都国立博物館の「琳派 京(みやこ)を彩る」であり、一番のお目当ては俵屋宗達、尾形光琳そして(更に100年下った江戸琳派の)酒井抱一の「風神雷神図」の揃い踏みである。京都検定での大本命の山なので行ってみたいと思ったのだが、去年のことがあるので断念した。

昨年の国立博物館の1011日(土)から始まる特別展は「国宝 鳥獣戯画と高山寺」であり、1030分に車で到着したが駐車場は満車で、しかも切符売場には100人を優に超す行列ができていたので待つのが苦手な私たちは目的地を新日吉神宮にあっさりと変えたのである。そのあと博物館のすぐそばにある養源院に行って俵屋宗達の「獅子図」「麒麟図」「白像図」を見たのだが、まさか1年後に宗達がこんな大フィーバーになるとは予想もしていなかった。

ところで養源院に行く前に妙法院という門跡寺院にも立ち寄った。御朱印をお願いし、書いてもらうその間に国宝の庫裏(特別公開の時だけ中まで入れる)を外からのぞき、ご本尊も外から覗いた。そのあと御朱印を受け取りに行ったらなんとお下がりですといって亀屋清水のお菓子「清浄歓喜団」を1つ(といっても500円、御朱印代は300円!)くれたのだ。

清浄歓喜団は奈良時代遣唐使によって伝えられた唐菓子(からくだもの)であり、日本最古のお菓子といっていい。こし餡に白檀、桂皮や竜脳など7種の香を清めのために練りこみ米粉と小麦粉の生地でくるんで巾着袋の形に整え、ごま油で20分揚げたものである。漢方薬風味の揚げ饅頭プラスかりんとうといえなくもない。亀屋清水は祇園石段下を少し南に下がった東大路通りの西側にある。

さて肝心の琳派の方は、醍醐寺霊宝堂でも秋冬期特別展が「宗達とその時代」やっているので、そちらで満足しようということにした。

名神高速の大山崎JCで京滋バイパスに入り、第2京阪(阪神高速8号京都線)に入り京都に向かい終点の山科インターで降りる。そこをすぐ右折して、高速道路の下をくぐると醍醐道に行きつき、その道なりに行って旧奈良街道に入り、300mも行くと醍醐寺に着く。広い駐車場があるのでそこに停める。まず三宝院を見学する。ここで霊宝館、伽藍共通拝観料1500円を払う。三宝院は醍醐寺の塔頭なのだが、醍醐寺の本坊的存在で座主の居住する坊である。建造物の大半が桃山時代に創建されたもので重要文化財に指定されている。なかでも表書院、唐門は国宝であり、その庭園は豊臣秀吉が慶長3年の「醍醐の花見」に際して自ら縄張りをしたと伝えられ、国の特別名勝になっている。鶴島、亀島があり庭の中央には天下を治めた武将が次々と所持したことで知られる「藤戸石」が据えられている。奥宸殿では(更に1000円の拝観料を払って入れてもらう)天下の三大名棚の一つ「醍醐棚」を見、本堂の快慶作の弥勒菩薩坐像を見ることができる。

次は霊宝館だ。醍醐寺は世界文化遺産に登録されているがそれもそのはず、国宝69,419点、重要文化財6,522点、その他未指定を含めると仏像、絵画をはじめとする寺宝・伝承文化財は約15万点におよび、紙や木の文化を守り続けてきたのだ。今年のお目当ては俵屋宗達の「舞楽図」「扇面散図」であり、さらには金銅両界曼荼羅などの工芸品があり、彫刻では国宝の薬師如来坐像があり、重文の五大明王像がある。仏像棟に移動すると千手観音立像に大日如来像とこれでもかこれでもかと仏像があり、もうそれは十分堪能できるのだ。

ずいぶん疲れてお腹も減ったので境内の雨月茶屋で昼食をとることにする。醐山料理というのが名物らしいが暇がかかりそうなので、簡単に五大力うどんにする。小餅が2個入ったうどんにゴマ豆腐と湯葉巻きずし3切れがついていた。「五大力」は特大鏡餅を持ち上げる時間を競う五大力尊仁王会の催しからとったものだろう。入っていたお餅は繰り返すようだが小餅2個でしかなかったが。

元気が付いたところで、本堂の伽藍見学だ。仁王門をくぐって右手に清瀧宮がある。本殿は重要文化財で鎮守の役目をする。上醍醐にある清瀧宮は室町時代のもので国宝だそうだ(今回はそこまで足を延ばせなかった)。京都府下で最古の木造建築である五重塔(国宝)があり、記念撮影の定番だ。

醍醐寺の本堂である金堂があり、これも国宝だ。その中に薬師三尊像がありこれがご本尊で重要文化財だ。ところでさっき見た霊宝館の中にも薬師三尊像があったはずで、帰って調べてみるとこれは上醍醐の薬師堂にあったものが平成13年から霊宝館に遷座されたとある。こちらは国宝である。国宝と重要文化財、どこで差がつくのか見比べればよかったがと思ったのは後の祭り。

不動堂の前には大きな不動明王の石像があり、堂内には不動明王をはじめ五明王がある。さらに行くと御朱印集めお目当ての観音堂が見えてくる。本来西国第11番札所は上醍醐の准胝堂なのだが、平成208月の落雷で焼失したため、こちらの観音堂が第11番札所になっているのだ。ここでは薬師如来と不動尊のお札も一緒に頂いた。そして池に映える朱塗りの弁天堂と池の周りをまわって次の目的地に向かう。

醍醐寺前の道を南に下がり約1q行ったところで左折すると一言寺、正式には金剛王院、醍醐寺塔頭で真言宗醍醐寺派別格本山である。駐車場に車を停めて石段を上る。何かぷーんと匂ってくる。本堂に上がると住職が迎えてくれて御朱印をもらう。ご本尊の千手観音は秘仏で33年に一度公開だそうだ。匂いのもとは大イチョウから落ちた銀杏だという。我々夫婦の顔に拾って帰ろうといういつもやっている細やかな野望を見てとったのか、信者さんが朝早く全部拾ってしまうから行ってもありませんよと野望へのダメ出しをする。

ではさっさと次の目的地へと石段を下ると昇ってくるこのあたりの人らしい老人に出逢った。匂いますねえと挨拶するとほれそこの大イチョウからだと教えてくれる。なるほど根元はびっしり黄色のじゅうたんが敷き詰められるようだ。隣の大イチョウはオスの木だから実はならんのですと説明してくれて、お宅駐車場に車を停めている人か、あそこに柿の木があるでしょう、えらく一杯なるから持って帰りますかと踵を返してすたすたと石段を下りて駐車場まで戻ってくれる。物置から竹竿を出してきて、柿を小枝ごと折り取ってくれて、いやもうこれで十分ですと何度も止めるまでとってくれたのだ。

この老人は誰だろう。自分のものだという具合に柿をとったのだから近所に住む人とかではないらしい。この寺の人と思えるから、さっきの若い住職のお父さん、大住職かもしれなかった。そうでなかったらひょっとして秘仏の千手観音様が老人に姿を変え、この信心深い我々夫婦にご褒美をくれたかもしれない。

さあ次へ急ごう。車を元来た道を走らせ醍醐寺前を通り、醍醐道に沿っていくと随心院に到着する。真言宗善通寺派の大本山。門跡寺院であり、山号を牛皮山という。変な名前だなあと思うが、開基の仁海が夢で牛になった亡き母を見たので、牛を飼い母への孝養を尽くすつもりで育てていたが、ほどなく死んでしまい、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいるという。ただこの牛皮曼荼羅は承久の変で焼失したという。

本堂にはご本尊の如意輪観音坐像、快慶作の金剛薩捶坐像(重文)、伝定朝作の阿弥陀如来坐像(重文)をはじめ仏像がずらーっと並んでおり、書院の襖絵など見るべきものも多い。

何よりも随心院は小野小町ゆかりの寺として知られており、晩年の老いた姿を表す卒塔婆小町像や境内に文塚、化粧の井戸などの遺跡がある。小野小町は絶世の美女といわれたにもかかわらず生涯独身であったということから、「百夜通い伝説」が生まれることになる。その伝説の代表的なものはこうである。

小町の美しさに魂を奪われた深草の少将は、小町の愛を強要するが、小町は百夜通って満願の日、晴れての契りをむすぶことを約した。深草に住む少将は5q離れた小町のもとに99日まで通い(毎日榧の実(かやのみ)を小町邸に置くことによって日数を数えたという)、最後の晩、大雪のため途中で凍死してしまうのであった。

この伝説にはいくつものバリエーションがある。深草の少将は実在しないといわれている。僧正遍照が少将その人だとも言われている。ただ随心院には榧の実が置いてある。

随心院には境内に名勝小野梅園がある。3月に一般公開されるが、薄紅色のことを「はねず」といい、小野梅園の梅は「はねず」が特徴的といわれている。そして3月の最終日曜日に境内の特設舞台で菅笠に梅の造花を挿した少女たちが今様を舞う「はねず踊り」が行われる。そこでは百夜通いの伝説に倣いながら、最後は小町が求愛などから自由になり村の娘たちとのんびりと踊っているという話になっている。

次の目的地勧修寺(かじゅうじ)を目指し醍醐道を行くのだが、京都市営地下鉄東西線「小野駅」近くに、京栄堂がある。八ツ橋を売る店の一つだが、つつみ生八ツ橋「去来花」が売りの店である。つぶあん入り生八ツ橋を三笠の生地でつつんだものである。

八ツ橋は言わずと知れた京都の銘菓である。ところが八ツ橋を作っている店は京都で40軒を越えるという。その中でも老舗といえるのは聖護院、本家西尾、井筒などであるが、多くの人はどこも同じじゃないと思っている。

ところが私とは言えばこと八ツ橋に関してはうるさいのである。食べ比べてみると全然味が違うのである。一番重要なポイントは肉桂の含有量だと思うのだが。まあ八ツ橋ソムリエを自認する私が推薦する一番おいしい八ツ橋は本家西尾のものである。

ただ私がここで言っている八ツ橋は本来のシンプルな(焼き)八ツ橋のことである。生八ツ橋になるとどこのがいいのかちょっと自信がなくなるし、ましてつぶあん入り生八ツ橋を三笠で包んだとなると、これは私の手には負えないのである。したがってまずは試食しないといかないのだが、助手席のわが女房は、こんなところで途中停車せず早く勧修寺へ向かえと言う。

勧修寺、大石神社、岩屋寺、毘沙門堂は次回になってしまうが、京栄堂は多分当分報告することはできないだろうと車を走らす私だった。


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