続D級京都観光案内 15 山科疏水の散歩道
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大津三井寺辺りに取水口を持つ琵琶湖疏水は、長等山を貫く第1トンネルを抜けて京都市に入り、山科北部を蹴上まで至る。第2トンネルの東側から諸羽トンネル東側の間は特に山科疏水と呼ばれ、疏水沿いには遊歩道が作られている。この遊歩道部分は「東山緑地ウォーキングジョギングコース3300m」と名付けられており、地元の人にとってはこんないい散歩道はないのである。
われわれ京都観光愛好者にとっても、この散歩道の景色を楽しみながら、周辺に散在する見どころを訪問できることは楽しい限りだ。桜の3月下旬から4月、紅葉の11月下旬から12月にかけてが特におすすめの時期である。
今回はJRの新快速で山科まで行き(どうしても車でという方は駅のすぐ手前にあるラクト山科ショッピングセンター駐車場にとめておけばいい)、地下鉄に乗り換え1駅、御陵(みささぎ)の2番出口から地上に出て、まず天智天皇山科陵に行く。目の前の案内板に「『三条通』左へ山科疏水9分、天智天皇陵12分」とある。蹴上から日ノ岡峠を下ってきた三条通を山科駅に向かうのだ。歩いてすぐに左に(北に)入る道があり、「疏水散策はここから」という親切だが目立ちにくい案内板が角の店に壁にかかっている。今はここをスルーし天智天皇陵に向かう。
そこから300mほど行くと天皇陵の入り口にやってくる。左手に日時計碑がある。京都時計商組合が創立20周年記念に昭和13年に建てたもので、日本で初めて水時計を作ったといわれる天智天皇に因んでこの場所が選ばれたものだ。碑の上部には篆文体で「天恩無窮」と刻まれている。篆文体だからさっぱり読めなかったが。
ここからまっすぐ陵墓まで長い参道が続くのだが、両側には多数の樹々があり、森の中のまっすぐな道という感じでとても美しい。ことに紅葉の季節は真っ赤に染まるモミジが参道を覆い、その下に麗しき人を置き、写真を撮りたくなるのだ。陵墓境内を仕切る門があり、参道は石畳となる。さらに進むと砂利敷きの神域に入り、拝所に立つ。八角墳である墳丘の森に手を合わす。古墳は高さ8mもある大きなものだ。
次は山科疏水遊歩道へ行こう。参道中間点辺りに脇道があり、そこから遊歩道に行くこともできる。だがせっかくだからウォーキングコースとされたところはすべて紹介したい。さっきの御陵駅2番出口近くに戻って、遊歩道を目指すことにする。横断歩道の信号があるあたりが「疏水散策はここから」のある道だ。住宅街の中を曲がりながらも道なりに進むというか登っていく。四つ辻があり、そこに鏡山地蔵尊がある。身の丈1尺にも満たない小さなお地蔵さまだが、有難いいわれのあるこの地域にとって大切なお地蔵さまだという。
まっすぐ進むと登録有形文化財「栗原邸(旧鶴巻鶴一邸)」が現れる。1925年本野精吾が旧京都工芸繊維大学学長鶴巻氏邸として建てた名建築物だ。ただ一般公開は2023年5月にあったが次回はいつか未定である。
栗原邸の前を突き切ると山科疏水の遊歩道に到達する。疏水に橋が架かっている。黒岩橋である。黒岩橋に立ち疏水の下流を見るとトンネルが見える。疏水の第2トンネルだ。東側の扁額には「仁以山悦 智為水歓(仁者は動かない山によろこび、智者は流れる水によろこぶ)」という井上馨の揮毫がある。井上馨はもっと野蛮な人かと思ったが、結構、学を身に着けたのだなと感心する。
この橋は変哲もない橋のように見えて、第3トンネルの東に作られた第11号橋とともに日本で初の鉄筋コンクリート橋である。第11号橋の方は国の史跡に指定されている凄いものなのだ。この橋を渡ったところには休憩スポットがあり、東屋やトイレもある。山科疏水散策路の大きな案内図もある。橋の手前側にもベンチや机が設置された休憩スポットがあり、お弁当を食べるには絶好の場所だ。
疏水散策路周辺にはちょっとした食事をとるようなところがないので、弁当を持ってきておくのがよい。家から作って持ってくるか、山科駅付近で調達するか、御陵駅まで来てしまっていたら「おべんとう牧場」という店でゲットするか、ローソンで購入すればよい。弁当を食べて出たゴミはちゃんと持ち帰ろうと案内板にも書いてある。このマナーは守らねば。
この橋を渡って山の方に行くと曹洞宗永興寺(ようこうじ)がある。曹洞宗の開祖道元禅師示寂の地近くに建てられた永興庵に始まり紆余曲折を経て平成8年に本堂がこの地に再建されている。観光寺院でもないため情報誌にも載ることもなく、ひっそりと立っている。だが、一般の人にも除夜の鐘と8月15日終戦の日の正午の鐘は鍾うちが開放されている。
本堂の前には一対のかわいい小坊主像、「南無の子」「作務の子」が建っている。狛犬代わりに寒山拾得を子供版にしたのだろうか。本堂の西には山科豊川稲荷社の朱色の祠がある。豊川叱枳尼真天(だきにしんてん)を豊川稲荷より分霊して祀っている。豊川稲荷はてっきり稲荷神社の一つだと思っていたが、曹洞宗の寺院だったのだ。叱枳尼真天という女神は妙相端麗で稲穂を荷い、白い狐に跨っていることから、「豊川稲荷」と呼ばれるようになり通称になってしまったらしい。福徳の神・開運隆盛の神・興産の神、秀でた人物・財産を生み出す神様として、古来より人々に広くあがめられ、徳川家康など戦国武将は競って戦勝を祈願したという有難い神様だ。
境内の東には大黒天が祀られ、太鼓橋の欄干を模したかのような石造りのモニュメントが2基設置されている。ちょっと変わった光景だ。
さあ、元の橋に戻っていよいよ山科疏水散策路をゆっくりと上流に向かって歩こう。紅葉の季節なら疏水にかかる赤いモミジが、春ならば満開の桜が目を楽しませてくれる。
300mほど行くと正嫡橋という朱色の橋が見えてくる。本圀寺に通じる橋である。本圀寺は妙顕寺と並んで京都にある日蓮宗大本山の一つである。日蓮大聖人が、鎌倉松葉ヶ谷(まつばがやつ)に法華堂を建立したのが本国寺(後の本圀寺)の由来である。その後幾多の変遷を経て、六条堀川に広大な寺地を持ち、徳川光圀から圀の字を賜り、本圀寺と名を変えた。1969年六条堀川から山科の当地に移転している。
正嫡橋から少し行くと総門がある。その先右手に人形塚があり、さらに進むと赤門、別名開運門にやってくる。文禄元年、加藤清正により寄進されたもので、お題目を唱えながらこの門をくぐると、加藤清正のように開運勝利の人生が開けるといわれている。境内で本堂の前には仁王門があり、金色の額がかかっている。本堂の前には巨大な黄金色の灯籠が置かれている。
九頭龍銭洗弁財天(くずりゅうぜにあらいべんざいてん)は八大龍王の中で最も神通力の強い神さんとされ、金銭・財運を授けられるといわれる。金色の 龍神から流れ出る霊水でお金を洗い、浄財袋に入れて持っていると財運がつくといわれる。
本堂の背後には金色の鳥居を持つ清正宮がある。加藤清正廟である。
参拝が済めば正嫡橋に戻り、散策路をさらに進む。ちょうど先ほど行った天智天皇陵の北側を進むことになる。道はどんどん南に下がり弯曲してまた北に上がっていく。弯曲点のあたりは京阪電車や東海道線に近いものだから、電車の走る音が聞こえ、その姿を見ることもできる。山科展望広場が山科の町を眼下に眺める絶好の位置だ。もちろん疏水の景色も申し分ない。
展望広場から散策路を再び北に進む。道が東に向かうようになったあたりに橋がある。安祥寺橋である。橋を渡ると安祥寺の門前に来る。公開日であれば境内を参拝することができる。
安祥寺は平安時代初期、仁明天皇の娘で文徳天皇の母親 藤原順子が創建し、国分寺などの官寺に次ぐ定額寺となった。上寺と下寺があり広大な寺域を有していたが、平安時代末期には朝廷の庇護を失い、だんだん寂れていく。応仁の乱で上寺・下寺とも焼失し、江戸時代初期に徳川幕府により下寺だけが当地に移転再建された。その後も多宝塔が火災に遭い焼失したりしたが、最近は青龍殿の再建や五智遍明庭の整備がなされ、参拝者は増えている。
薬医門をくぐると右手に寺務所があり、参拝順路を案内される。まず本殿を目指す。広い境内で建物はまばらで杉やカエデの木立の中を進んでいる。本尊十一面観音菩薩立像が祀られ、四天王立像、徳川家康像も祀られている。広い境内をさらに奥に行く。青龍大権現を祀る青龍殿がある。祠の周囲は石垣で区切られた、雌雄の龍が天に昇る姿を苔で表現した庭園「蘚苔蟠龍(せんたいばんりゅう)」がある。ご神体と考えられる「蟠龍石柱」(中国唐代の作)は宝物殿にあったが、現在は京都国立博物館に寄託されている。
境内東に進むと、多宝塔跡がある。国宝五智如来坐像が安置されていたが、火事で焼失の前に京都国立博物館に寄託されていて無事だった。元の寺務所の方に戻ってくる。地蔵堂、太子堂、弁天堂を参拝する。カエデが各所に植えられており、秋の紅葉はそれは見事だろう。
寺務所の斜め前にある客殿に上がり、廊下に座って前庭を見る。五つの石を白砂の中に配置した五智遍明庭(ごちへんみょうてい)である。五智如来(中央の五石)と、生きとし生ける一切衆生(白砂、石や木々)を表しているという。
これで参拝は終わりだが、ちょっと疲れたら鐘楼の横にある、寺菓房(てらかぼう)・せむいで手作りお菓子を楽しむのもいい。このお菓子は参拝しなくてもテークアウトできる。
安祥寺橋に戻り、もと来た散策路をさらに進む。(帰路に就きたいのなら橋をまっすぐ進めば山科駅にやってくる。)しばらく行くと京都府立洛東高校の校舎が見えてくる。正門に続く橋は洛東橋である。さらに進むと疏水の下をくぐって川が流れるところにやってくる。その川の名は安祥寺川で、疏水をくぐる構造物は安祥寺水路閣といわれる。南禅寺の水路閣に比べると圧倒的に小ぶりだ。
ずんずんと散策路を行く。安朱橋という立派な石造りの橋にやってくる。それもそのはず毘沙門道が疏水に架かる橋であり、北にずんずん進めば、赤穂浪士ゆかりの瑞光院、極楽橋を越えて紅葉のきれいな毘沙門堂、安祥寺川に沿って登ると山科聖天双林院と見所一杯なのだ。
せっかくだからもう少し疏水散策路を行こう。疏水が広くなり、トンネルの入り口が見えるところにやってくる。諸羽船溜と諸羽トンネル西側である。1970年湖西線開通のため諸羽トンネルを作り、疏水の水路を変えたのだ。散策路は従来の疏水跡が公園となり、その先に四宮船溜、びわ湖疏水船・山科上下船場にやってくる。
諸羽船溜からすぐ南、由緒正しい古社である諸羽神社の裏参道に続く道がある。今日はこのあたりまでにしよう。諸羽神社からJR山科駅までは徒歩8分である。
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