箕面市医師会報表紙写真 |
2020年7月以降に 箕面市医師会報表紙写真に出したものです。 |
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万博公園のコキア | ||
令和6年12月号「万博公園のコキア」 | ![]() |
万博公園では毎年10月に「コスモス・コキアフェスタ」が催される。その宣伝コピーを見てみよう。 「自然文化園にある『花の丘』では、例年10月上旬から下旬にかけて、人気品種のセンセーションミックスや、秋空に映える純白のセンセーションホワイト、鮮やかなキバナコスモスなど、約14万本のコスモスが丘一面に咲き誇ります。コスモスの見ごろとあわせて、真っ赤に紅葉し見ごろを迎える約3,500株のコキアも必見。丘の斜面にずらりと並ぶ、フワフワ・もふもふ姿をお楽しみください。また、丘の北側斜面では、幻想的なピンクの穂が美しいミューレンベルギア(ピンクミューリー)の絶景や、気温が下がると共に濃いピンク色に変化する、可愛らしい赤ソバの花など、いろいろな秋の草花でカラフルに彩られる花の丘をご堪能ください。」 2024年10月21日万博公園に行ってきた。人の映りこまない花だけの風景を撮ろうとするが、まあそれは無理な思いだ。開門と同時にダッシュで花の丘までやってくればいいが、午後2時頃の到着では土台無理な話だ。それよりわずか260円の入場料だけでこの素晴らしい景色を堪能できることにラッキーと思わないではいられない。 |
大雲院 祇園閣 | ||
令和6年7月号 「大雲院 祇園閣」 |
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京都円山公園から高台寺に続くねねの道の西側に大雲院はある。道を挟んだ向かいには円山公園音楽堂がある。 寺院建造物とは思えないまるで祇園祭の鉾のような建物がある。祇園閣である。それもそのはず、祇園閣は一代で大倉財閥を作り上げた大倉喜八郎により祇園の別荘に伊東忠太(平安神宮の設計者)設計で建てられたもので、祇園祭の鉾をモチーフに金閣、銀閣に次ぐ銅閣を目指したらしい。大金持ちの人らしい発想だ。 本能寺の変により亡くなった、織田信長・信忠父子の菩提を弔うため二条新御所後に建立された。「大雲院」は織田信忠の法名である。豊臣秀吉の庇護も受け四条寺町に広大な寺地を有していた。明治になり第1回の京都市議会は当寺で開かれている。昭和48年円山公園南側の当地に移転してきた。それで祇園閣も伽藍の一つになったのだ。 墓地には、織田信長・信忠父子の碑、富岡鉄斎そして石川五右衛門の墓もある。祇園閣の前にはちょっと愛嬌のある一対の狛犬がいる。 通常は非公開、特別公開の時をお見逃しなく。 |
「備前焼玉乗り狛犬」 | ||
令和6年5月号 「備前焼玉乗り狛犬」 |
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京都神楽岡の宗忠神社の備前焼逆立ち狛犬はとても魅力的だった。その魅力に取りつかれて、備前備中にある神社の門前の備前焼の狛犬を探訪してみようとなった。まず手始めに備前焼の窯元の集まる備前市伊部を訪ねることにした。陶正園という窯元で出会った玉乗り狛犬にえらく魅力を感じてしまい、購入してしまった。家に持って帰ってみると、店で展示されていた時より素敵に見えるから不思議なものだ。 |
「京都・西本願寺 国宝『唐門』」 | ||
令和6年1月号 「京都・西本願寺 国宝『唐門』」 |
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京都・西本願寺の御影堂、阿弥陀堂は東向に立つ。南北に走る堀川通に御影堂門、阿弥陀堂門はある。どちらの門も開放されていてその威容を眺めながら一般人は出入できる。二つのお堂の南西に位置する書院に通じる門は境内の南を東西に走る北小路通に面してあり、これが表紙写真の国宝・唐門である。入母屋造、檜皮葺屋根の前後に大唐破風をつけた黒漆塗りの四脚門である。高貴な方だけが通るので閉扉されている。その扉、袖壁そして梁などに施された豪華な彩色細工が見事で、眺めていると時の経つのを忘れることから「日暮門(ひぐらしもん)」とも呼ばれる。 唐獅子、麒麟、雲龍などの彫り物、古く中国の故事などを表す極彩色の彫り物があり、確かにこれを読み解くには5分や10分眺めているだけではすみそうもない。 駒札の西にある小さな門から外に出て、正面に回って眺めるのもまたいい。さらに七条通りに向かって右手を見ると龍谷大学の大宮学舎がある。明治12年に建てられた建造物など明治大正の香りを感じることができるところだ。どうせならここも訪れてみたい。 |
「京都・寺町通三条 矢田寺の送り鐘」 | ||
令和5年8月号 「京都・寺町通三条 矢田寺の送り鐘」 |
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寺町通三条をほんの少し上がった東側に小さなお寺の矢田寺(やたじ)はある。通りに並ぶ商店に負けず劣らずにぎやかな門構えのお寺である。お盆の終わり8月16日には「矢田寺」の扁額の直下にある「送り鐘」を撞きに来る善男善女で賑う。お盆はお精霊さん(オショライサン)と呼ばれる先祖の霊をお迎えし、感謝を込めてもてなし、そして再びあの世にお送りする儀式である。 東山区六波羅の六道珍皇寺では8月7日から10日まで「迎え鐘」を撞き、先祖の霊をお迎えする。お盆を過ごしていただき、8月16日に矢田寺の「送り鐘」で、無事あの世に帰っていただくのだ。 大和郡山にある矢田寺が本院であり、その開山の満慶上人は閻魔大王の補佐官をしていた小野篁とともに地獄の中に入り、苦しむ人々を助け出している僧侶を発見する。その僧侶こそ地蔵菩薩であり、満慶上人はこの世に戻り地蔵菩薩を彫り矢田寺の本尊としたのである。なお小野篁は6体の地蔵菩薩を彫ったとされる。それらは六地蔵参りの各寺に安置されている。 |
「京都・法住寺節分会の鬼たち勢ぞろい」 | ||
令和5年2月号 「京都・法住寺節分会の鬼たち勢ぞろい」 |
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法住寺(ほうじゅうじ)は、平安時代中期に、後白河上皇の院政御所「法住寺殿」が営まれたときの中心となった寺院だ。三十三間堂、新日吉神社、新熊野神社も法住寺殿内にあった。法住寺は今は小さいが、歴史的にはとても重要な寺院であった。 法住寺節分会(せつぶんえ)では厄除け・招福を祈願する催しがある。甘酒の供養、寺近辺の店の厄払い、餅つき・舞妓さんによる小餅まるめ・ぜんざいの供養、鬼法楽・豆まき・参拝者向けの福豆・福もち・福飴まき、厄除開運星まつり・採燈大護摩供と盛りだくさんの行事が用意されている。 近辺の厄払いでは天狗を先頭に赤鬼・青鬼・黒鬼・山伏などが法住寺近辺を回り、厄払いを行い、商売繁盛・開運を祈願する。鬼たちが訪れる店の一つにハイアット リージェンシー 京都があるので先回りしてホテルのロビーで待つ。先導の人達が小餅を配ってくれるのでそれを貰う。鬼たちが怖くない程度に暴れまくる。人間の108の煩悩のうちで最大の「三毒の煩悩」すなわち「欲」「怒り」「愚痴」の三つをそれぞれ表す、剣を持った赤鬼・斧を持った青鬼・槌を持った黒鬼たちなのだ。しばし暴れた鬼たちも天狗によって制圧され大人しくなり、一行は次のお店へと向かうのだ。 写真は2018年2月3日、近辺のお店の厄払いに出発するため勢ぞろいした、赤鬼・青鬼・黒鬼と天狗である。 |
「建仁寺襖絵 『舟出』」 | ||
令和4年8月号 「建仁寺襖絵 『舟出』」 |
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建仁寺といえば俵屋宗達による風神・雷神図が有名である。禅寺とは思えない軽妙な構図に華やかな色遣いがわれわれを魅了する。今は精密複写が飾られているとしてもだ。 小書院の襖絵を見るともっとびっくりする。8面ぶち抜きの鮮やかな青で彩られた「舟出」という作品だ。京都市立芸大美術科卒で京都精華大教授でもある、染色画家・鳥羽美花氏による襖絵だ。型染めという日本古来の技法を用いて新しい絵画の世界を切り拓いてきた彼女が、「禅とは何かをみずからに問い」仕上げた作品という。この襖絵の前に座ってみよう。「私にとって禅とは何か?」と考える心地になるかもしれない。 |
「京都・綾部 東光院 『みんなのひな祭り in綾部』」 |
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令和4年3月号 「京都・綾部東光院 『みんなのひな祭りin綾部』」 |
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三月弥生は桃の節句、ひな祭りだ。全国各地で雛人形の展示が行われる。 京都府綾部市の古刹、東光院でも「みんなのひな祭りin綾部」と銘打って、一風変わった雛人形の展示が行われる。最大の見ものは大広間の高さ約2.5m、幅3.6mもの巨大な12段のひな壇に並ぶ約430体もの雛人形たちだった。 ところが昨年からはコロナ禍のため大広間の展示は断念され、境内から拝観できるような配置になった。本坊の廊下には幅7mにわたって雛人形が置かれ、ガラス窓越しだけれど華やかだ。境内には本坊入り口前、薬師堂内の正面左右、小さな神式の祠の前にそれぞれ2~7段のひな飾りが置かれている。 本年(令和4年)は、2月8日から3月6日まで開催される。我々が拝観したのは2月8日午前10時すぎ、ひょっとしたら一番客だったかもしれない。東光院はひなびた山寺なのだ。古びた二王門とこれまた古びた仁王像はひな祭には不釣り合いなほど威厳を持って迎えてくれた。ささやかな幸運だった。 |
「波心の庭 東福寺塔頭 光明院」 | ||
令和3年10月号「波心の庭 東福寺塔頭 光明院」 | ![]() |
光明院は東福寺境内南の六波羅門をくぐり、南に下がった二つ目の塔頭である。観光寺院ではないから静寂で緊張感が走る。玄関の三和土には三角や四角の褐色の石が埋め込まれ、モダンな感じに驚かされる。方丈の庭園は重森三玲作。「波心の庭」と称される。州浜形の枯池に3組の三尊石組を巧みに配し、計算されつくされた多くの石の林立がある。それぞれは羅漢を表すのだろう。枯池を取り囲みツツジやサツキの大刈込がある。さらにその背後には紅葉がある。5月にはツツジやサツキが白にピンクの花を咲かせ、秋には紅葉が見事である。雪を頭にかぶる三尊石組はこれまた素敵だろう。 時は2021年4月、ツツジやサツキにはまだ早かったので、庭の全景をとらず、書院の中から庭の一部を切り取る形に撮ることに挑戦してみた。 |
「河合神社の鏡絵馬」 | ||
令和3年5月号 「河合神社の鏡絵馬」 |
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河合神社は下鴨神社の摂社で、社叢、糺の森の南の端に立つ。かつて、現在地より少し南の賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)の河原に祀られたことから「河合神社」と称された。川と川が合うところで河合(川合)と呼び、「ただす」は後に「糺す」の字があてられた。境内には、鴨長明が「方丈記」を著したといわれる方丈が復元展示されている。若い女性たちに人気があるのは、鏡絵馬が奉納できることである。日本古来の柄鏡(手鏡)の形をしている絵馬である。 祭神の玉依姫命は、「玉の様に美しい」といわれた神武天皇の母神さんで、その女神にあやかろうというもの。 鏡絵馬に描かれた顔を自分の顔に見立て、自分の化粧道具などで絵馬にお化粧をし、外見的な美しさだけでなく、内面的にも美しい女性になれるようにと祈願するのだそうだ。 |
「砂紋を描く」 | ||
令和2年10月号 「砂紋を描く」 |
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京都五山第4位、東福寺方丈の庭園は重森三玲により昭和14年に作庭された。建物を中心にぐるりと東南西北の四庭からなる。釈迦成道(じょうどう)の八相を表現しているとされ「八相の庭」といわれ、国の名勝に指定されていた。そういう難しい表現は現代になじまないと考えられたのか、2014年、改めて「国指定名勝 東福寺本坊庭園」となった。 東庭は北斗七星を表す7つの円柱の配置の斬新さにまず驚かされ、南庭の巨大な石組を配する広大な枯山水、西庭から北庭には大井田の市松模様がだんだん細やかな意匠に変わっていく。さすが重森三玲と唸ること間違いなしである。 2018年2月17日、東福寺本坊の南庭である。砂の庭は、大海を表しているが、その中に砂紋が描かれる。その文様の意味するところは禅の思想を理解せねばならない。砂紋を描くのが僧侶ではなく、庭師であるところがいい。 ところで東福寺塔頭の龍吟庵、光明院。芬陀院(雪舟寺)、霊雲院の庭は重森三玲の作であり、通天橋を通って行く普門院、開山堂の庭も同氏により修復されたものである。どこをとっても一見の価値ありである。 |