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メープルハウスニュース |
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箕面市の社会福祉法人息吹の月刊誌です。「こころの病気って何だろう」とこころの病気の解説を連載させていただいています。 | |||||
こころの病気って何だろう 1 | |||||
22年間箕面駅前の田中メンタルクリニックで診療にかかわってきましたが、この度、一人の精神科医として活動することになりました。その初仕事としてメープルハウスニュースの紙面で連続講義をさせていただくことになりました。どうぞお付き合いください。 こころの病気を詳しく正しく考えていきましょう。 こころの病気というと、人それぞれに思うイメージが違っているかもしれません。今では精神障害(精神障碍。精神障がい)のことだろうと思う人が多いでしょうか。いや精神疾患のことだと思う人もいるでしょう。メンタルヘルスの不調のことだと考える人も多いでしょう。 まず心と脳の関係を見ていきましょう。心は脳の働き、それだけでしょうと思いがちですが、そう単純でもないようです。 かつて心臓がこころをつかさどる臓器と考えられ、「心」臓という名にその名残をとどめています。「わが胸に熱情あり」「この胸の苦しみ」などで分かるように、ある種の精神状態を胸の内に生じる感覚(これは自律神経によるものですが)からこころは心臓にあると考えられたのでしょう。 |
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2020/10/06 前回の図の再掲です。
人間は生物学的・社会学的・心理学的存在です。 心理学的ストレスはこころに作用し、生物学的ストレスは脳に作用し、社会学的ストレスなこころと脳の両方に作用します。 カウンセリング・精神療法はこころを対象にした治療法で、薬物療法は直接脳を標的にします。 |
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こころの病気にいろいろあることが知られています。うつ病、統合失調症、パニック障害、拒食症などなど。自律神経失調症というのもあるよ、大人の発達障がいって最近よく聞くけど、みな、こころの病気でしょうか? こころの病気の診断、分類は実は大変難しいのです。専門の精神科医にとっても大変難しいのです。世間を騒がせた「幼女連続殺人犯」の精神科診断名は精神鑑定した偉い3人の先生ごとに違っていたというのがそのいい例です。 統一した診断基準を作らなければと、アメリカ精神科医会ではDSM、WHO(世界保健機関)はICDという基準を作っていますが、ともに何年かごとに変更されています。これはこころの病気が社会とのかかわりで発症することから、社会が変化すれば心の病気のありようも変化すると考えると当然です。 でもそれだけではなく、心の病気の診断・分類がまだまだ確立されないという要素も大きいのです。 さあその難しい作業を、なるべく分かりやすく、そして分からないところは正直に分からないとして説明していきましょう。
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こころの病気の診断・分類は精神症状の評価・組み合わせからスタートします。私たちの心の動きは、知・情・意の3つの軸を持つといわれます。大まかにはこれで十分なのですが、医学的にきちんと分類するとなると、もう少し詳しく見ていくことになります。 まず精神症状を評価する前提として、その人の意識がしっかりしているかを押さえておきます。「そんな寝ぼけたようなこと言わないでよ」というように、寝ぼけていて意識が少しぼんやりしているときの言動は理屈に合わないことがあっても不思議はないのです。 意識が晴明(クリアではっきりしている、普通の状態)な状態からだんだんぼんやりして混濁し、ついには呼びかけや強い痛み刺激にも反応しない昏睡に至ります。 せん妄は意識混濁に錯覚・幻覚、興奮などが加わった状態で、若い人では術後、ICUに入っているとき、高齢者では入院中や術後には特によく起こります。記憶障害や見当識障害もありますので、よく認知症になったと誤解される病態です。せん妄は器質性障害で、体調管理をすれば治り、認知機能は戻ります。
第2の知覚の障害は、「間違った知覚」です。錯覚と幻覚に分けられます。 錯覚は実際に存在するものを間違って別のものとして知覚するものです。知り合いだと思って声を掛けたら、別人だった、誰かが立っていると思ったがよく見ると誰もいなかったなどです。注意を十分向ければ間違いだと訂正できます。富士川の戦いで、河岸に陣を敷いていた平家が水鳥の一斉に飛び立つ音を対岸の源氏の夜襲だと錯覚して、全員逃走したと平家物語にはあります。 一方、幻覚は「対象のない知覚」で、実際には存在しない対象を存在するかのように確信して知覚するものです。せん妄のように意識障害を伴う時にはよく幻視が見られます。レビー小体認知症では明るい昼間でも、だれか見知らぬ人が来ていたり、ソファーに(実際はいない)犬が寝ているが見えるという幻視が起こります。 アルコール依存症の人のアルコール離脱症状の一つに、振戦せん妄というのがあり、飲酒中断後1~3日目に出現し、頭痛、嘔気・嘔吐、発汗、不眠に次いで、手指の振戦(ふるえのこと)、不安で、イライラソワソワし、怒りっぽくなり、小動物視といって、床、壁、空中にクモ、アリ、ヘビ、小人が見えたりします。 幻聴は聴覚における幻覚です。統合失調症および関連症候群では、幻聴がよくあらわれ、声として体験されます。聞き慣れた声もあれば聞き慣れない声(知らない男や女であったり、時には神の声)もありますが、自分自身の思考とは別物と知覚されます。直接自分に語り掛けてくる場合、指示・命令であったり、批判・非難であることが多いようです。 シュナイダーという精神科医は統合失調症に特徴的な幻聴は、「複数の人が本人のことをうわさ話するという形」であるといっています。 指示・命令も「薬は毒だ、飲むな」とか「死ね」などとても厳しい内容であり、うわさ話も自分に否定的な内容ですから、苦しくてたまらない体験です。 なぜこんなに苦しい症状が出てくるのでしょうか。苦しい幻聴が起こるメカニズムを考えてみましょう。 幻聴が聞こえる前段階で、ある考えが胸のあたりから湧いてくるという人がいます、さらにある考えが勝手に頭の中に生まれてくるし、さらに自分の考えではなく他人の考えが頭の中に出てくる、ついには外から耳を通して聞こえてくるようになります。幻聴の成立です。(続きは次号で) 何かを考えるとき、考えているのは自分自身だと当然のこととして認識します。考えている主体が自分であることには疑いはありません。ところが考えが勝手に浮かんでくる状態は考える主体性は弱くなっており、さらに弱くなると自分が考えてもいないことを考えさせられていると認識されるようになります。さらに、自分の内部で起こっていることが、外にいる誰かが話していることが声として聞こえると体験されるようになります。幻聴です。 頭の内部の体験が外に原因があるように体験されるのです。これは内にあって正体のつかめないものを、外に存在するものと認識する、すなわち外在化したものだといえます。 内にあるものが外に存在するように認識される状態は自分の内と外を分ける境界があいまい希薄になっていることを意味します。これを自我障害と言います。 人はだれでも自己否定して辛くなるときがあります。多くの人は何とかそこから気持ちを切り替えることをするのですが、真面目過ぎる人はこの自己否定を繰り返してしまいます。もし自我境界が弱くなっている人は、自分ではなく他者が自分を否定するのだと幻聴という体験になると考えられます。 幻触は触覚の幻覚です。皮膚の表面を虫が這う感じ、体に電気をかけられたようにピリピリする感じ、陰部を触られたりいたずらされたりする感じなどがあります。統合失調症の人によくあらわれるといわれますが、意識障害を伴う幻覚としても現れます。むずむず足症候群の時もむずむずする感じ以外、針で刺されるような痛みやアリやミミズが這うような感じを訴える人もいます。 幻嗅は臭いの幻覚で、実際はそうでないのに腐敗臭、大便の臭い、ガス漏れしているようなにおいがするというものです。統合失調症、薬物中毒、てんかんの側頭葉発作で見られます。 幻味は味覚の幻覚で食物に変な味がするというもので統合失調症の被害妄想、被毒妄想に関連して出現します。 体感幻覚、セネストパチーは脳が腐って流れ出す、頭の中が空になっている、腸が腐っている、おなかの中にキツネやタコなどの動物がいるという体感の幻覚です。口腔内異常知覚は舌や歯などに痛み、ざらざら感、ねばねばした液が出てくるなどですが、さらには口の中に何か固いものがある、針がある、小人がいるなどの口腔内セネストパチーに発展することもあります。 思考の障害に入ります。 私たちが何かを考えるとき、なかなか考えが進まず困ることやどんどんすいすい進んでいくこともあります。考えているうち、最初考えようとした目標から遠ざかってしまったぞということも経験します。 思考の流れを思路と言います。この思路の異常を見ていきましょう。 観念奔逸は観念が次々に沸き起こり、考えはどんどん進むのですが、偶然の内から湧いた連想、外からの刺激に反応して思考の流れの向きは変わり、話はあっちに行ったりこっちに行ったりし、最初の思考目標から大きく外れ、全体として思考全体のまとまりが悪くなるものです。躁状態の時によく見られます。 思考抑制(思考制止)は観念奔逸とは反対に、考えが思うように浮かばず、判断力も低下し、思考がうまく進行しない状態です。油切れの歯車みたいに本人には感じられます。うつ状態にみられる症状で、書類を2,3行読んだらそれ以上続かず、しかも何が書いてあるのか頭に入らないという状態です。 滅裂思考は思考を構成する考えの間の論理的つながりがなく、思考のまとまりがなくなるものです。軽いものは連合弛緩と言います。 思路の異常の続きです。 思考途絶は思考の進行が急に中断され思考が停止するものです。外から考えが止められる、邪魔されると体験されることもあります。自然に考えが止まると体験する場合もあります。思考抑制(制止)と違って歯車に異物が挟まって急に動かなくなる感じです。 保続は同じ観念が繰り返し現れ、観念の切り替えができず思考の流れが妨げられます。鉛筆を示され、これは何ですかと問われ、「エンピツ」と答えますが、続いて、ペンやナイフなど違うものを示されても「エンピツ」「エンピツ」と答えてしまうものです。器質脳疾患に見られます。 迂遠は、思考目標は見失われないが、一つ一つの観念にこだわって詳しく説明するので、要領よく思考目標に到達できないものです。枝葉末節にこだわり、話がそれていく場合や、その出来事の起った日時に異常にこだわり思考目標になかなか到達できない場合もあります。 思考散乱は滅裂思考に近いが意識障害を伴う場合を言います。症状性あるいは器質性精神障害で見られます。 思考の異常の中で、思路の異常について前回まで見てきました。今回は思考の体験様式の異常に入ります。だんだんややこしくなりうんざりしそうですが、頑張ってお付き合いください。 強迫思考は、自分の意志によってではなくひとりでに、あるいは自分の意志に反して、常同的に繰り返して心に浮かぶ観念、イメージ、衝動で、本人には常に苦痛をもたらす内容(暴力的、性的、反倫理的、無意味、不合理)で、無視したり抑制しようとすればするほど余計浮かんでくる。自分の意志に反した不快なもの(自我違和的)にもかかわらず、自分自身の思考として認識されるものです。 火の元や戸締りが気になると何度も何度も確認しないと気が済まないように、強迫思考には強迫行為がつきものです。不潔だと感じられると何度も手を洗わないときが済まない(洗浄強迫)、不潔と感じる人の触れたものは何度も拭き取らないと気が済まないということで分かるように、不潔恐怖も強迫思考の一種と考えられます。 支配観念というのはある思考が絶対的真実だと確信され、他のどんな考えに優先するもので、強迫思考と違って、自我親和的なものです。 強迫思考(強迫観念)は(自我違和的)で、支配観念は自我親和的なものだと説明しました。常同的に同じ思考を繰り返すところは同じなのですが、それを馬鹿らしいと思いながらもやめると苦しくなってしまうというところと、それが絶対的に正しい事だから実現させたいがそうできないから苦しいというところが違います。 「ええ加減主義のススメ」の立場からいうと、強迫観念に苦しむ人にも、支配観念に苦しむ人にも、「物事必ずこうなる、こうあらねばならないということはないですよ。不十分な今の自分をまあいいかと許してやりましょう。」とお話しすることになります。 させられ思考というのは、自分の思考であるのに自分が考えるのではなく他者によって考えさせられると体験されるものです。第9回でお話しした自我境界が弱くなっている人は自分の内的体験を外からさせられるように体験するということを思い出して下さい。他者に考えを吹き込まれる考想吹入、自分の考えを抜き取られる考想奪取、自分の考えを他者に操られる思考干渉、自分の考えが他者に伝播する考想伝播、自分の考えが他人に見抜かれる考想察知などがそうです。 思考内容の異常に移ります。 妄想は「不合理で非現実的あるいは魔術的な思考内容」で「根拠が薄弱なのに強く確信され」、「論理的に説得しても訂正不能なもの」を言います。 クリニックに通院するある若い人は超有名なグループのボーカル担当の人は自分の恋人で二人は近々結婚すると主張します。そんな有名タレントと会ったり言葉を交わすことさえ難しいのにどうやって恋人になれたのかと私は質問します。いつも夢の中で親しくしているというのがその答えです。「君が雨に濡れて困っているのを知ったなら、飛んで行って、君に傘をさしてあげる」と彼が歌っているのは、「この前、雨が降ってきて出かけるのに困ったなあと思っていたことを知って彼が作詞したに違いない。この歌詞を聞いた瞬間私たちは結婚するのだと確信しました。」とも言います。 これは恋愛妄想(被愛妄想)と言われるもので、自己に対する過大評価を内容とする妄想、誇大妄想の一種と考えられます。 妄想はその起り方によって一次妄想と二次妄想に分けられます。突然、私は神の子だとひらめいたりするような、突然不合理な考えが浮かび、そのまま確信に変わるものを一次妄想と言います。 この続きは次回に回します。 前回からの続きです。一次妄想とは違って、妄想の発生や内容がその人の異常体験、気分変調、状況などから考えて心理学的に了解可能な妄想を二次妄想と言います。 自分のしゃべったことを隣人がすべて知っているのは壁に盗聴器が仕掛けられているからだ、自分が思っただけのことをみんなが知っている(考想伝播)のは頭の中に発信機を埋め込まれたのだというのは二次妄想です。 気分変調から生じる二次妄想には、躁状態で気分爽快で自我感情が高揚した結果、自分は世界で一番偉い、大政治家になる、発明家であるなどの誇大妄想が生まれます。 一方、うつ状態が重篤になると抑うつ気分が強く自我感情が低下するため、経済的にやっていけなくなるという貧困妄想、自分は道徳に反し社会や家族に迷惑をかける罪深い人間だという罪業妄想、ついには人生が一切むなしく過酷なものだという否定妄想が出ます。 あらゆる情報から隔絶されたような状況では迫害妄想、被害妄想、赦免妄想(長期拘禁者が突然無罪となって自由になれると確信するもの)などが出ます。 次回は妄想の出現様式についてみていく予定です。 どのような経過を取って妄想は起こるのでしょうか。 妄想気分とは、周囲の世界が何となく変わってきたような感じ、周囲で起こる出来事が何か意味ありそうで不気味で、大きな事件が起こりそうで不安に感じられる状態を言います。世界没落感と言って、地球が今にも爆発し世界が滅亡する感じが起こることもあります。これが妄想形成につながる場合もあります。 妄想着想とは何らかの原因や動機なしに、突然、「自分は神の子だ」、「自分は何者かに狙われている」などの考え(着想)が浮かんできて、そしてそのまま確信される場合を言います。宗教者や預言者の中にはこのような天の啓示が突然に頭の中におりてきた人も多いのではないでしょうか。 妄想知覚は例えば道を歩いていた時に犬が吠えたのを聞き、「これは父が死んだことを知らせているのだ」と確信する場合などを言います。単なる着想ではなく、実際に正しい知覚がある場合に、それに対して了解不可能な意味づけがされ、確信されるものを言います。 みんなに狙われているとおびえている人が、周りには聞こえないパトカーのサイレンが聞こえるのは幻聴ですが、実際にたまたまパトカーのサイレンが聞こえた時、「自分を逮捕しにやってきた」と確信するのは妄想知覚です。 妄想は内容によって被害妄想、微小妄想、誇大妄想に分けられます。 1) 被害妄想 自分が他者から害を加えらるれるという内容の妄想を言い、さらに内容により次のようなものがあります 関係妄想:自分に関係ない出来事を自分に関係づけて(被害的に)考えるもの 注察妄想:自分が他人に注視されていると考え被害感情まで持つもの 追跡妄想:誰かに後をつけられているという妄想 迫害妄想:自分は敵対する個人や組織から危害を加えられるという妄想 被毒妄想:飲食物に毒を入れられているという妄想 物理的被害妄想:電波をかけられたり、放射線を浴びせられて害を受ける 嫉妬妄想:自分の配偶者が他の異性と浮気しているという妄想 2) 微小妄想 自己に対する過小評価を内容とする妄想 貧困妄想:自分は無一文になり路頭に迷うという妄想 罪業妄想:自分は道徳に反し他人に迷惑をかける罪深い人間だという妄想 虚無妄想(否定妄想):この世はむなしく生きるに値しない、一切否定する 3) 誇大妄想 自己に対する過大評価を内容とする妄想で、自分は非常に優れた人間だ、抜群の能力がある、何でもできる人間だ、大金持ちである、自分は高貴な家柄の出身だ、テレビに出てくる有名人と知り合いだ、アメリカの大統領とも知り合いだと、自己を過大に評価しそれを確信するもの。 妄想の経過 一時的に生じてほどなく消える一過性妄想とずっと継続する固定妄想とがあります。いくつかの妄想が同時に起こっていてもそれらが密接に関連付けられない間は非体系妄想と言いますが、経過とともに妄想が次第に発展し広がり密接な関連付けをもってまとまると妄想体系を形成すると言います。妄想体系が極めて強固になると、妄想構築と呼びます。 妄想内容がはじめは被害妄想であり、ついで誇大妄想に変わりそのうちだんだん荒唐無稽な妄想に変わっていく場合もあります。 妄想は統合失調症、うつ病、双極症Ⅰ型(躁うつ病)、器質性精神障害、物質使用症群(アルコール、覚せい剤など)、認知症、自閉スペクトラム症などなど正常者に至るまでよくある症状です。 妄想発現のメカニズム 私たちが思考するとき、普通は思考をつないでつないで一つの流れ(思路)を作っていくのですが、時に「ひらめき」がおこり全く新しい思考に至ることがあります。 ニュートンはリンゴが地面に落ちるのを見て、そうだ、地球の周りを円運動する月も地球に向かって落ちているのだとひらめき万有引力の発見につながったと言われます。岡本太郎は眼をむきながら「芸術は爆発だ」と叫んでいましたが、これは芸術は既存の固定観念を破るひらめきからこそ生まれるという主張でしょう。こういう凄い「ひらめき」はなかなか真似できませんが、学生時代数学の問題を解いていて、さんざん苦戦した問題をうまくひらめいて解けた時の快感は忘れられません。 ところがこのひらめきが人間関係の中、社会とのかかわりの中で発現した場合、単にひらめいたというだけでは正しいかどうかわかりません。ある人が自分を監視しているとひらめいたからといって、正しいかどうかわかりません。その人が自分を実際に監視ししている合理的証拠かその人とグルではない周りの人たちが、監視があったと認定して初めて「監視の事実」があったことになります。ひらめきだけで確信に変えると、妄想ということになります。 妄想は異常な思考だ、で済ませられるのか? 妄想を6回にわたってみてきました。「不合理で非現実的な」思考内容を「強く確信し」「論理的に説得しても訂正不能」なものと定義され、異常な思考であると説明されます。妄想はいろいろな精神疾患で出現しますし、正常であると考える人でも、ひらめいた考えをそのまま真実だと確信して他者の説得に応じなければそれは妄想になることも見てきました。 ところで合理的、科学的、現実的な思考は、永遠不滅で絶対的なものではありません。時代とともに合理性、科学性は変わります。社会が違えば合理性、現実性も変わります。中世において地動説を唱えるガリレオは妄想家として罰せられました。今ではガリレオの正しさはだれでも知っています。絶対王政にさなかに議会性民主主義を説くと妄想的扇動者として罰せられます。 妄想の診断は一応精神科医がすることになっていますが、精神科医によって、「合理的」か「現実的」かの評価の能力は違います。精神科医の主観が入り込む(誤診する)余地があります。精神医学が客観的科学性を持ちえない宿命ともいえます。 妄想と診断することはその人を病者にしてしまうことにつながります。その結果の重大性を考え、科学的で厳密な分析が必要になります。 感情・情動・気分の障害 今回から「知・情・意」の「情」を取り上げます。夏目漱石の「草枕」の冒頭、「山路を歩きながら考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通すと窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」とある中の「情」です。 「情に掉させば流される」の意味は「感情の赴くままに行動すると好ましくない対人関係・社会との関係につながる」ということでしょう。「わかる、わかる」と納得できます。 こういうこともあって、「感情」の障害というのは分かり易いと思ってしまいます。妄想・幻覚というのがどうしてそういう思考・体験になるのか分かりにくいのに比べて、「ちょっと気分が沈んでいるよ」とか「悲しくなったよ」「不安で仕方ない」「怖いなあ」「楽しいなあ」と日常的にいろんな感情を経験しているからです。 ところが。感情障害としてうつ病、双極性感情障害といわれていたものが気分障害という言い方に変わり、双極症、抑うつ症という名になり、感情障害、気分障害という名前は前面に出てこなくなっています。「感情」ってそう簡単には扱えないよということです。 感情とは 感情というのは快、不快、喜怒哀楽などの自己の状態です。感情に関連する用語に前回述べた気分、そのほかに情動、情緒、情性などがあり日常語では「感じ」というのもあります。感情という用語はこれらをまとめた広い意味で用いられます。 気分は憂うつな気分、楽しい気分というように比較的長く続く感情の状態をいいます。 情動は喜び、悲しみ、怒り、恐れなどのように、状況に反応して起こる複雑な感情の動きで、強度が強く、自律神経症状などの体への症状を伴うものです。喜びで胸の高鳴りを覚え、悲しみのあまり泣き崩れ、怒りで体が震え、恐れで冷や汗が出て身も縮んでしまいます。 情緒は情緒不安定と日常的に使われ、かつて自閉スペクトラム症は「情緒障害」と呼ばれたことがありますが、医学用語としては意味が不明確です。 情性は道徳感情ともいわれ、同情、良心、責任感などのような人間的な高等感情をいいます。 感じ、フィーリングは「感じのいい人」「あの人とはフィーリングがあう」など共感できるというように使いますが医学用語としてはあいまいです。
気分の異常 動機のない気分の異常;よい事があればあるいはありそうだと気分は軽くなりますし悪い事があればあるいはありそうだと気分は沈みます。ところが特に動機もないのに気分が高揚したり(躁状態)、憂うつになり悲しくなる(うつ状態)場合をいいます。 気分変動性:気分の持続性の障害で、外部からの影響で変わりやすいものや周期的に気分の波が起こるものがあります。 多幸症:あらゆることに楽天的で苦労がなさそうな、弛緩した爽快気分 感情の興奮性の異常 情動麻痺:地震や災害など突発的な精神衝撃を受けた時、意識は晴明であるのに恐怖感や感動など一切の情動反応が停止した状態 感情鈍麻:喜怒哀楽の感情が鈍くなり道徳感情、美的感情も低下。ただ、時に場違いなほどの怒りを表すこともある。 情性欠如;人間的な高等感情、とくに愛情、同情、羞恥、自責などの感情に乏しく残忍な犯罪行為を行うが反省の色に乏しいもの。 感情の興奮性の亢進:普通の刺激によって容易に強い喜怒哀楽の感情が起こる状態。不快感情が亢進した易刺激性(すぐイラつく)がある。 感情失禁:感情調節の障害。感情の興奮性そのものは亢進していないのに、些細なことですぐ笑ったり、泣いたり、激怒したりして感情が過度に発現される状態。脳血管障害に特徴的といわれる。 感情の疎隔:自己の知覚、感情、身体感覚が自己に所属するという意識が減弱し、自分が感情のないロボットのように感じられ、周囲の事象も生き生きと感じられなくなるもの。現実感喪失という程度から離人症に至る場合もある。 病的感情 不安、恐怖:ともに人間に普遍的に備わった感情で、恐怖は対象がある恐れの感情で、不安は対象がはっきりしない恐れの感情である。恐怖の対象としては具体的な針、抽象的な不潔、人前でしゃべるという状況などさまざま。 不安、恐怖とも自律神経系の身体反応を伴うことが多い。ドキドキしたり、息が荒くなったり逆に息が詰まったり、体が震えたり逆に固まって動けなくなったりする。その変化が怖くて不安が高まりさらに激しい身体変化が出ることもある(パニック発作)。 恍惚:あまりの幸福感のために自分自身がなくなってしまったような感じ。 両価性(アンビバレンツ):同一の対象に対して相反する感情が同時に生起する状態。愛と憎しみが同時に存在するのはこれ。
意欲と行動の障害 「知・情・意」のうち「知」と「情」をみてきましたから、次は「意」です。漱石の草枕の冒頭では「意地」という形で出てきましたが、精神医学用語としては、意志、意欲などです。ほかにも欲求、欲望、衝動などの心の動きもここに含まれます。そしてこの心の動きは行動・行為という外から見える形に変わります。そこでまとめて「意欲と行動」の様々なありかたそして障害を見ていくことになります。 意欲・行動にはどんなものがあるか 行為:欲動や意志に従って意味・目的のある動きをすること。 行動;個々の行為がよりまとまった全体的な動き。 欲動:個体の生命や生活の維持に必要な行動をするうちから湧いてくる力、精神活動のもとになるエネルギー。身体的欲動には個体保存のための食欲、睡眠欲、排せつ欲、休息欲や種族保存のための性欲がある。 欲望:社会的生命を維持するための欲動が、精神的欲動で、名誉欲、富を得たいという欲望、自尊の欲望、集団に所属したいという欲望、美的欲求など。 意志:欲動・欲望を抑制したり促進したりコントロールし、行動の目的、方法、結果を知ったうえで行動を選択する力。 意欲と行動の障害(続き) 意欲:欲望と意志を含め、人間を行動に駆り立てる力。低次なものから高次の統制力まである。 衝動:内から行動に駆り立てる力のうち、意志の統制を受けず、目的や方向性が定まらないままに自動的に行動化されるもの。衝動に基づく行為を衝動行為という。 本能:人間も含めた動物の種に固有な、遺伝的・先天的に規定された内因性の合目的な行動の型。性本能、帰巣本能、摂食本能、闘争本能など。 欲動の量的障害 欲動減退:自発性や活動性が低下し、極端な場合には行動が全く起らない。 この症状はやる気がないあるいは怠けていると誤解され、根性論で対応しようとするとんでもない間違いを引き起こすことがあります。統合失調症の人が自分は怠け者だと自己否定しまうことがありますが、そうではなくて一つの症状なのです。うつ病の場合も見られますが、認知症や高次脳機能障害で前頭葉障害として出ることもあります。これはうつ病と誤診されることもあります。 欲動亢進:躁性興奮の時は感情の高揚とともに、身体的・精神的欲動がともに高進し、性欲亢進、多弁多動、濫費が起こります。 自己保存欲の障害 食欲の障害 食欲の中枢は視床下部にある空腹中枢、満腹中枢から成り、合わせて摂食中枢と呼ばれています。血中ブドウ糖、インスリン、遊離脂肪酸の濃度に対する受容器が二つの中枢にあり、その濃度変化に応じて摂食行動の開始・中止を決めていると考えられています。( 飲水欲についても摂食中枢に近い部位に、渇水感と飽水感に関する中枢があって食欲と同様のコントロールが行われています。) 食欲の低下 1) 摂食中枢の器質的障害 2) 生命感情の障害に伴う食欲低下:うつ病・うつ状態の時など 3) 神経性無食欲症:摂食制限型、過食・排出型 食欲の亢進 1) 食欲に対する抑制の低下 2) 欲動亢進による食欲亢進 3) 神経性過食症:体重増加を防ぐための反復する不適切な代償行動 4) 過食性障害:過食はあっても不適切な代償行動はない 異食症 : 食欲の倒錯、砂、土、紙、毛髪、大小便を摂食する 自己保存欲の障害 続き 個体は自己保存のために、外部からの侵害から自己を守り、できるだけ長く生命を維持しようとする欲求を持っている。各種の感覚受容器においては、身体に侵害的な刺激は苦痛として、適合刺激は快として感じられ、個体は快を求め不快を避ける傾向を備えている。これに反する行動は自己保存欲の障害とされる。 自傷 自分自身で自己の身体を傷つける行為。 幻覚・妄想に操られたもの(周囲には動機不明と思われる場合もある) 意識混濁の際になされるもの リストカット、アームカット 直接的動機は他者への攻撃・自己への攻撃、自己存在の確認、精神的満足感の獲得、周囲への脅し 自閉スペクトラム症の自傷 フラッシュバックなどによる精神的混乱を鎮める 抜毛癖、皮膚むしり等 自殺 自殺者の90%は自殺時うつ状態にあったと言われる 自殺する以外に今の状況をよくする方法はないという硬直的思考(思考の視野狭窄状態)にあったと考えられる 種族保存欲の異常 20年前の教科書「現代臨床精神医学 大熊輝雄著」によると、性欲異常がこれに当たるとあります。確かに20年前はこれでよかったのでしょう。でも現在はちょっと違うんじゃないという気がします。 20年前の常識のおさらいをします。 人間は動物から進化してきて、個体維持のための食・飲行動、種族保存のための性行動、いわゆる本能行動を担保する神経系を人間も維持してきた。視床下部に性欲不充足感を起こす部位と性欲充足感を起こす部位があり、性ホルモンの濃度により大脳辺縁系に刺激が投射され、性欲が形成され性行動が起こる。動物にある種族保存本能はこうして人間にも受け継がれている。ただ、人間になると大脳新皮質も大脳辺縁系の上位の神経系として形成され、性欲形成や性行動発現に関与する。 最後の文章から、人間にとっての性欲、性行動は動物がもつ種族保存のためにだけの性欲形成、性行動とは違った意味を持つことが分かります。 更に、そもそも種族保存欲って何なんでしょう?あるのでしょうか?他国を侵略ことは種族保存欲なのでしょうか。子どもを作るのは嫌というのは種族保存欲の異常でしょうか。種族保存欲を規定するのは怖い気がします、やめましょう。 性関連の障害 人の「せい」には生物学的性(sex)すなわち解剖学的・生理学的性と、自分は男あるいは女として振舞いたいという心理学的・社会的性(gender ジェンダー)とがあり、一般には両者は一致しています。 しかし生まれた時の解剖学的性が男、女と特定できなかったり、または逆に認定されたりした時にはその性別(ジェンダー)に異和が生じるのは当然です。 性機能不全・パラフィリア障害(性嗜好異常) 性欲という生物学的性についての機能不全です。しかし性的反応は生物学的のみならず、社会文化的、心理学的要因との間に複雑な相互作用と関係しています。同性愛は40年前には異常とされましたが、今は多様性として認知されています。そのように時代とともにどんどん変わります。 性機能不全:射精遅延、勃起障害、女性オルガズム障害など パラフィリア障害(性嗜好異常) 異常な性行動の嗜好性 窃視症(のぞき) 露出症 サディズム マゾヒズム 異常な性的対象の嗜好性 小児性愛 フェティシズム(生命のない対象、特に異性のつけていた下着や衣類、体の一部、革・ゴムなどに性欲を覚える) 性別違和・性別不合 (ジェンダー違和・ジェンダー不合) ICD-10では性同一性障害として扱われていました。DSM 5 、ICD-11では上記のような呼称になりました。 ジェンダーは出生時に男または女として指定されます。しかし、生まれた時の性別を決める生物学的指標があいまいだった人(例えば半陰陽)にとって、長じて、ジェンダーに違和を持つ可能性があります。 また男性または女性として社会の中で生きていく役割や(自分をどう思うかという)同一性を生物学的指標とは逆に女性または男性として同一性を発展させる人、時には男性または女性のどちらでもないカテゴリーに同一性を見出す人もいます。 性別違和・性別不合の症状 出生時に指定されたジェンダーと現在自分が経験する不一致に伴う苦痛 第1次、第2次性徴から解放されたいという強い欲求。反対のジェンダーの第1次、第2次性徴を強く望み、反対のジェンダーになりたい強い欲求。反対のジェンダーとして扱われたいという強い欲求。 トランスジェンダー :出生時のと異なるジェンダーに同一性を持つ人 トランスセクシャル :男性から女性へあるいは女性から男性への社会的移行をすることでホルモン治療や性別適合手術などにより身体的転換も行う。 パーソナリティー機能 さて今まで「こころの病気」を構成するいろいろな症状を見てきました。例えば幻聴という症状はどうして起こってくるのでしょう。このシリーズ9.で「自分の内と外を分ける境界があいまい希薄になっていることを意味します。これを自我障害と言います。」と書きました。「自我障害」というのはドイツ精神医学の流れの考え方ですが、最近よく使われるアメリカ流の考え方がパーソナリティー機能の障害(低下)ということになります。 パーソナリティー機能の構成要素は自己と対人関係です。 自己: 1. 同一性 : 自己はたった一つ(内にも外にも自分以外に自分はいない)。そして以前の自分も今の自分も同じ自分。自己と他者・外界とは明確な境界がある(自分の中に外界が入り込んだりしない)。自分はまあこれでいいとほど良い自信を持てること。 2. 自律性(自己志向性):自己の能力に対する現実的な評価に基づき合理的な目標を立て、目指すこと。目標に到達できない時、もう一度評価を取り直し、一貫性をもって目標を立て直し目指すこと。 パーソナリティー機能 つづき 対人関係: 1. 共感性 : 他者の体験・動機の理解と尊重。(この人はこう考えこうこうするのだと理解できることで、他者に共鳴してしまって言いなりになるのではない。)異なる見方の容認。(それぞれの立場でそれぞれの考え方があることを認める。)自分自身の行動が他者に及ぼす影響の理解。 2. 親密さ: 他者との関係で深く、持続的な関係を保つ。思いやりがあり、親密で、互恵的な多くの関係を持てる。対人関係で相手の思考・情動・行動に柔軟に対応する。 「親密さ」って難しそうですね。地域の活動も面倒がらずにやるのですね。深く持続的な関係を持つとは親友を持つということですが、疎遠になるとついつい連絡も取れなくなりますけどね。自分を犠牲にして相手に利他的に振舞うのは「親密さ」の低下なのですね。母が自分を犠牲にしてまで子供のために行ってしまうは「親密さ」の低下なのですね。子供のためにしてやれたと満足できるなら「互恵的」ですから「親密さ」の低下ではないのでしょうか。凶暴な相手と怖さをこらえて柔軟に対応するって、私はようしません。アメリカ人ってそんな風なのかとちょっと驚きます。
ヤスパースによる4つの自我意識 1. 能動性 : 自己の知覚、思考、行動は自分がやっていると意識される。 これが障害されると、離人症(周囲が生き生きとした現実感がなく、自分はロボットになったように感じる。)、させられ体験、つきもの体験がでる。 2. 単一性 : 自己は同一の瞬間においては一人である。これが障害されると、もう一人の自分が外界にいるという、二重身・ドッペルゲンガーとなる。ゴーゴリの「鼻」、ドストエフスキーの「二重人格」、安倍公房の「壁-S・カルマ氏の犯罪」は二重身を扱っています。 3. 同一性 : 自己は時間経過の中で以前からの同一人であるという意識。これが障害されると、現在の自分は過去の自分ではないと体験される。二重人格では一人の人に異なる2つの人格が存在するが、同一性が障害されている。 4. 外界・他人とに対立するものとして : 自己と外界との境界、自己と他人との区別をはっきり意識することで、これが障害されると、外界の事象が自己の中に入って同一視する、周りで過呼吸になった人がいたら自分も過呼吸になってしまう、自己が心の中で思っていることなのに外から言われるように体験するなどが起こります。 心の病気は 精神疾患 か 精神障がい か n 精神疾患 n 医学的側面だけに光をあてたもの n 身体疾患との違いは社会的関わりで症状化 n 一定の病因・症状・経過・予後・脳の病理学的所見を持つと言えれば明快だが、ほとんどの場合多様性がある n 精神障がい n 「疾患」という用語を使用することでおこる本質的に重大な問題を避けねばならないために「障がい」が用いられた n 生活のしづらさにも光をあてる n 社会的関りがうまくいかないことが生活のしづらさを作り出す 精神疾患は医学的側面に光を当てているものですが、実はその分類が一筋縄ではいかないのです。ところが人は、精神疾患は精神病と同じでしょう、ということは幻覚・妄想があったり、訳の分からないことをすることでしょと誤解・偏見を持ってしまうのです。それで精神障がいという語が使われるのです。
精神障がいの成因 この「こころの病気ってなんだろう」のシリーズの初めに、精神障がいは「こころ」と「脳」を互いに関係する二つの実体とみると分かり易いと言いました。いろいろなストレスから心の病気が起こったり悪化させたりします。ストレスが直接こころや脳に影響を与えるだけでなく、身体的変化変調がこころや脳の変調につながります。 精神障がいの成因は、身体的原因(身体因)と精神的原因(心因)にまず分けられます。身体因は、脳炎になるあるいはアルツハイマー型認知症になり脳が直接的障害を受ける場合、薬物による脳の障害、脳以外の身体疾患が基礎になって脳の障害が起こる場合などがあります。身体因の中でもこれらを外因とします。 かつて統合失調症や躁うつ病などは明らかな外的要因なしに発病しその病因が不明確であったために何か素因が潜んでいるのだろうと内因とされました。 外因、内因、心因と3分法で精神障がいの分類は考えられていたのです。 しかしながら生物学的精神医学の発達は疾患関連遺伝子の新知見、脳(中枢神経系)の生理学的、構造学的、画像的新知見をどんどん加えていき、成因を単純に3分法で理解できるものではないと分かってきています。 精神障がいの分類 その歴史 精神障がいを分類することは精神障がいをどう科学するかすなわち精神医学をどう体系化するかにほかなりません。古今東西を問わず、精神障がいは存在し、その時代その地域に応じて精神障がいは分類されていました。 まちまちだった精神障がいの分類は19世紀のヨーロッパから科学的体系化が始まります。一つは身体疾患に準じて同一の原因、同一の症状、同一の経過・予後、同一の病理解剖所見をもつ物を一つの疾患単位としようというものです。例えば結核は結核菌を原因とし、結核菌が侵した臓器に特有の症状が出、病理解剖所見は一致し、経過・予後も特定されます。それと同じように同定される精神障がいは進行麻痺(梅毒による精神障がい)などの器質性精神障がい、症状精神障がいだけでした。 統合失調症、感情障害は極めて重要な精神障がいで、同一の精神症状、同一の経過・予後ということでは条件を満たすけれど、その病因は不明で特定の病理解剖所見は示しません。 精神医学の偉大な先駆者たちはそれぞれ独自の精神障がいの学説を作り、大学において学派を作りました。まだまだ百家争鳴状態ですね。
精神障がいの分類 その歴史 続き 精神障がいの分類に大きく影響を与える考え方は、フロイトに代表されるような心の働きを中心に据えるというものです。もちろんこの考え方もいろいろな学派ができました。 日本においても明治時代から大学に精神医学教室ができるわけですが、おもにドイツ精神医学を踏襲することが多いようでした。 精神障がいの分類は種々の考え方があったのですが、精神科の疫学(病気にかかる人の割合、年齢比、男女比などを調べる)、薬の効果の判定、治療法の優劣判定の必要性が、分類の統一性を求めるようになりました。 世界保健機関(WHO)が提唱する国際疾病分類ICDとアメリカ精神医学会による精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)が世界各国で最もよく使われるようになりました。 例えば精神障害者保健福祉手帳、障害年金診断書、企業や保険の休業診断書などには病名をICD-10に従って記載することになっています。一方、精神科の臨床研究、薬の効果判定、裁判での鑑定などではDSM―Ⅳあるいは5の診断が使われることが多いようです。
精神障がいの分類 その歴史 さらに続き 世界保健機関(WHO)が提唱する国際疾病分類ICDは1900年に国際死因分類が制定されたことに始まります。10年ごとに版を重ね、第7版からは死因だけでなく疾病の分類も含まれるようになりました。日本では第10版のICD-10が現在使われているのは前回に書いた通りですが、国際的には2022年1月に改訂版のICD-11が発効しました。日本においては和訳の検討、10/11への変換表の作成を経て厚労省、総務省での運用手続きの細則ができてから正式採用される予定です。 ICD-10からICD-11へは結構大きな変更があります。まず大きい変化は「障がい」と言われた用語が「症」という用語に変わります。(パニック障害はパニック症になります)。ICD-10では10個の大分類がありますがICD-11では18個の大分類に再編成されました。不安障害から強迫症、ストレス関連症、解離症、身体苦痛症が分離され大分類に昇格します。気分(感情)障害は気分症という大分類の中に双極症(双極感情障害)と抑うつ症群(うつ病など)の2つの(たがいに移行しない)中分類を設けています。逆にF7知的障害、F8広汎性発達障害、F9注意欠如多動障害(ADHD)は1.神経発達症群の小分類の項になりました。 ICD-11に沿ってこころの病気をみていきましょう。 06 精神的、行動的、神経発達的障害群というのがこころの病気の総称です。こころの病気として扱うものは、精神症状があるもの、行動の異常としてあらわれるもの、神経系の発達過程の機能不全を反映したものからなるとしています。 この中で18の大分類があります。順々に見ていきましょう。専門的に詳しいものは、ネットを見ていただくと出てきます。きちんとした体系が知りたいよという方はそちらも参考にしてください。 1. 神経発達症群 特定の知的、運動、社会機能の獲得および実行に重大な困難を伴う発達期に生じる行動および認知機能障害がここにはいります。 ICD-10でのこころの病気は「精神と行動の障害」として規定されていましたが、ICD-11では神経発達的障害が新たに加えられました。そのことでも分かるようにICD-10でF7知的障害、F8心理的発達の障害、F9小児期及び青年期に通常発症する行動及び情緒の障害と大分類であったものが、ICD-11では全てまとめられしかも第1大分類として登場することになったのです。
1. 神経発達症群 0. 病名の変遷 こどもの精神障がいの主要なものは精神遅滞とされていました。それは知的障害と呼び名は変わり、ICD-11では知的発達症に変わります。 昭和の時代では精神遅滞のある子は養護学校へ行くか、地域の学校の特殊学級(後には養護学級)に行くかの選択を親は迫られました。 海外では子どもの精神病として小児自閉症や子どもの精神病質としてアスペルガー症候群がいわれました。日本においては昭和40年代に自閉症といわれるようになり、社会適応の難しさが注目されました。学校現場では情緒障害児とも位置づけされ、対応の難しい子供たちとして扱われました。平成に入り、「学級崩壊」が知的障害のない発達障害児によって引き起こされていると言われるようになり、平成17年に「発達障害者支援法」が制定されました。「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとされました。(次号に続く)
1. 神経発達症群 0. 病名の変遷 続き 発達障害者支援法の中にある「脳機能の障害であって」という文言は、子どもたちの示す症状がしつけや養育の失敗から起こっているものではないということをわざわざいっているのです。自閉症が最初子どもの精神病と位置づけられていましたが、そうではなく神経発達の問題ですともいっています。 ICD-11では自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害を別々の分類とはせず自閉スペクトラム症にひとまとめにしました。自閉症とアスペルガー障害とがはっきりとどっちだと区別できるものではなく、それぞれに特徴的な症状の混ざり方がいろいろであることによります。なおこのことは正常と自閉症の間でもいえることです。正常とされる人にも自閉症の特徴を症例化しない程度に持っていることはよくあることです。 学習障害は全般的な知的発達に遅れはないが「読み、書き、計算(文科省の定義では話す、聞く、推論する、も加わる)」のどれかの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態で、ICD-11では発達性学習症になります。 1. 神経発達症群 0. 病名の変遷 続き2 ADHDは20世紀初頭に「落ち着きのない子、反抗的な子、注意散漫な子」が症例報告され、それを報告した小児科医のスティルは何らかの脳損傷があると推論しました。その頃流行したエコノモ脳炎の後遺症で同じ症状が見られることから何らかの軽微な脳損傷が原因だろうと考えられ「脳微細機能障害(BMD)」と概念づけられました。「情緒障害児」もBMDで説明された時期もありました。しかしいくら調べても脳損傷は見つからず、BMDという考えは下火になりました。1980年代になり、「不注意・注意散漫」と「多動性」「衝動性」を中心症状とする症候群ととらえられ、「注意欠陥多動性障害(ADHD)」と呼ばれるようになりました。 ICD-10ではF9小児期及び青年期に通常発症する行動及び情緒の障害の中の中分類F90多動性障害の下位分類F90.0活動性および注意の障害と注意欠陥多動性障害は位置づけられています。多動性のない不注意だけの症状を持つ注意欠陥障害(ADD)は含まれていなかったのです。 ICD-11では注意欠如多動症となり神経発達症群の一つの中分類になり、不注意および/または多動性・衝動性が特徴で、典型的には小児期の早中期に発症するとされました。したがって、ADDも含まれ、また青年、成人になって発症する場合も含まれるようになりました。 自閉スペクトラム症とADHDは同じ中分類に位置付けられていますが、互いに異なる障害ではなく、合併(共存)しうるという考えになっています。自閉症の多動とADHDの多動の異同を論じられたこともありましたが、多動の態様から自閉症かADHD を区別しようというのは意味のないこととなります。
1. 神経発達症群
1-1 知的発達症
平均的な知的機能や適応行動が優位に下回ることが特徴の多様な病因の症候群。
ICD-10では精神遅滞と呼ばれていましたが、その呼称だと、障害が精神全般にわたっているという印象を与えるため変更されました。障害年金や福祉的場面では、精神遅滞の代わりに知的障害という名称がすでに使われていました。ICD-11が運用されるようになると、知的障害の名称はそのままかあるいは変更されるのかは分かりません。
① 知的機能の発達の程度 WISC、WAIS、田中ビネー式などの知能検査が使用され、平均値を100、標準偏差15とするIQであらわされます。
軽度 70~51 中等度50~36 重度35~21 最重度20以下
② 適応行動の達成度 社会性項目:対人能力(家族・友人関係等)、社会的判断力、感情調節力 および 生活的項目:セルフケア(食事、保清、排泄、着衣)、交通機関、余暇活動、家事・仕事、健康・安全
① と②の評価を組み合わせて、知的発達症の重度は決まります。①だけで決るのではありません。年金診断書では「日常生活能力の判定」の欄が②にあたります。
1. 神経発達症群 1-2 発達性発話または言語症群 発達期に現れて、年齢及び知的機能の水準からは説明のつかない、発話および言語の理解もしくは生成、またはコミュニケーションのための文脈における言語の使用における困難によって特徴づけられます。 1, 発話が分かりにくく意思伝達の支障となるもの。発音、構音、音韻の障害も含みます 2, 発話の流暢性と時間的構成に困難があるもの。音声や音節の繰り返し、音声の延長、単語の途切れ、単語の繰り返し、発話の停止など。 3, 言語の習得、理解、産出および使用に困難を認める。声、身振り、言葉の使用などが難しいタイプや、言葉の受容から理解に至る過程での困難を呈するタイプ 4, コミュニケーションのための文脈における言語の使用における困難。例えば先生が騒いでいる子供をたしなめるつもりで「静かにできない人は(教室から)出ていきなさい。」と言うと、その子はすたすたと教室から出て行ってしまうというのがこれにあたります。
1. 神経発達症群 1-3 自閉スペクトラム症(ASD) 発達期に現れて、①年齢及び知的機能の水準からは説明のつかない、「社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的な欠陥」 ②年齢、性別、社会文化的背景に比べて明らかに非典型的または過度に「行動、興味、または活動の限定された反復的様式」をもち、社会的、学校、就労や他の重要な領域での機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしている。 ICD-10では 1)社会性の障害 2)コミュニケーションの障害 3)反復的限定的行動を自閉症の三主徴(三つ組)とし、2)のないものをアスペルガー障害としていました。しかし「社会性の障害」と「コミュニケーションの障害」をクリアカットに区別することは困難であり、これらがまとめられて使いやすくなりました。これらの症状の混ざり方は濃淡があり個性があり、スペクトラム概念はこうして出てきたものです。 「知的発達症の有無」「機能的言語の不全があるか、軽度か、ない」の特定用語を付け加えることで、スペクトラムの中の位置づけも見えるようにしようとしています。
1. 神経発達症群 1-3 自閉スペクトラム症(ASD) ① 社会的コミュニケーション及び対人的相互反応における持続的な欠陥 i) 発語がない、言葉の遅れ、会話の理解が乏しい、反響言語、人称の逆転、単語の反復、場にそぐわない定型的独語、その子(人)だけの慣用表現、格式ばった過度に字義通りの言語、 ii) 対人的相互反応の模倣はわずかか欠如し、情動の共有も欠如し、他人の行動を模倣することは少ない。対人的相互性の欠く言語、「考え・意見を述べる、感情を共有する、会話を交わす」というより、「要求する、分類する」ことに使われる、「みんなの会話にいつどうやって参加するか、何を言ってはいけないか」の処理が苦手(その結果、場をしらけさせる) iii) 視線を合わせること、文化的発達基準に比較して身振り・顔の表情・身体の向き・会話の抑揚の欠如も他は特殊な使用 iv) みんなの言う「普通」が分からない、KYといわれる v) 早期の特徴は、見せたり持ってきたりしない、指差しに無反応
1-3 自閉スペクトラム症(ASD) ① 行動、興味、または活動の限定された反復的様式 i) 単純な常同運動(手を叩く、指をはじく、手をひらひらさせる、額を叩く、とんとんと跳び跳ねる) ii) 反復的なものの使用(車輪を見ながら回し続ける、水道水を手に当て続ける) iii) 反復発語(反響言語、オウム返し、「してほしい」ことを「してあげる」という) iv) 習慣への頑ななこだわりと行動の限定された様式(いつもと違うとパニックになり、拒否する、思考の柔軟性のなさ) v) 言語的または非言語的行動の儀式的様式(同じ質問を繰り返す、同じ場所を行ったり来たりする、決まった手順を踏んだ行動) vi) 極度に限定され固執した関心(物の一部分に異常に興味を持つ) vii) 知覚の過敏性と鈍感さの混在(特定の音や触覚への過度の反応、臭いへの過度の関心、伊丹、暑さ、冷たさへの無関心、味、臭い、食物の見た目に対する極端な反応) 1. 神経発達症群 1-3 自閉スペクトラム症(ASD) 正常との境界について 前回前々回に示された症状(特性)があったとしても、すぐにASDと診断してはいけません。家庭、学校、社会など重要な生活の場面で臨床的に意味のある障害があって初めて診断すべきです。発達障害が知られるようになり、安易にASDと過剰診断されることがよくあるので注意が必要です。 対人的相互反応の持続的欠陥は「恥ずかしがり」によるものではありません。「恥ずかしがり」であれば身近な慣れた状況では適切な社会的コミュニケーションが取れます。 初期に「言葉の遅れ」がみられた子供の多くは、そのうち同年代の子供と同等の言語スキルを習得します。社会的コミュニケーションが限定的でない限りASDと強く示唆されるわけではありません。 反復的または常同的な行動は、定型発達の一部として多くの子供たちが経験します。大人になった場合も、どんな人でもある限られたことで極めて強いこだわりを持ったり、特定のものへの並外れた強い興味を待ったりするのが当たり前です。 1. 神経発達症群 1-4 発達性学習症 1-4-1 読字不全を伴うもの :字を読むことを嫌う 流暢に読めない 読んで理解しにくい 誤読が多い、行を飛ばす、「きゃ」「さっ」「ん」などが読めない、漢字の読み方が変わると難しい、文章題が苦手 1-4-2 書字不全を伴うもの :字を書くことを嫌う、書き順を間違える、板書を書き写すことが難しい、字体のゆがみが強い、マス目や行からはみ出す、形の似た字を間違える、筆圧が強すぎるか弱すぎる、漢字を書きたがらない 1-4-3 算数不全を伴うもの :数を数える(1,2,3…のように)・(12個、5枚など)数詞のついた数から物の数を把握する・数字を読むことができない、その数が順番か量かどちらを表すかを理解できない、加減乗除でできないものがある、文章題と解くことが難しい 注意点:どの学習困難も年齢相応に期待される程度より極端に劣っているときだけ診断される。算数不全は特に過剰診断しないこと。 教育用語としての学習障害(LD)では上の3つに加えて「聞く」「話す」「推論する」の困難を加えています。 1. 神経発達症群 1-5 発達性協調運動症 走る、ジャンプする、スキップするなどの「粗大運動」、靴ひもを結ぶ、ハサミを使う、などの細かい手先の作業「微細運動」、ボールを取る、バットで打つなどの「目と手の協応」、よい姿勢を一定時間保つ「姿勢制御」がその人の生活年齢や技能の学習及び使用の機会に応じて期待されるものより明らかに劣っているものです。 1-6 一次性チックまたはチック症群 チックは、突発性、急速、非律動性、反復性の運動または発声です。単純運動チックは、瞬きのような目のチックなどの顔面のチックがよくあります。喉鳴らし、咳払い、鼻鳴らし、「アッ」などと声を出すのが単純音声チックです。 1年以上チックが続くと、慢性チック症とされ、運動チックと音声チックの両方あればトゥレット症候群となり、一方のみの場合、慢性運動チック症、慢性音声チック症となる。 複雑音声チックでは耳にした言葉を発してしまうエコラリアや言ってはいけない言葉を口にしてしまう汚言症があります。
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